mieki256's diary



2015/10/24() [n年前の日記]

#2 [anime][neta] 「人間の愚かさ」を描いてきた云々

ふと、「高畑勲監督はずっと人間の愚かさを描くことに専念してきた監督である」みたいなフレーズが脳裏に浮かんだのだけど。

考えてみたら、それは富野監督や宮崎駿監督にも当てはまってしまうなと。ていうか、何かしら「人間の愚かさ」を描いたことのない監督って居ないんじゃないか。「人間の愚かさを描き続けた監督」というフレーズは、誰にでも使えてしまう便利なフレーズなのではないかと思えてきたり。

と思ったけど。ひょっとすると高畑監督は、悪意を持った人間が愚かなことをする、という状況はほとんど描かず、悪意どころか善意もしくは正義感を持ってやってるのに愚かなことをしている、という状況を多々描いてきたのでは、という気もしてきたり。

例えば、「火垂るの墓」の主人公は、基本的には自分が正しいことをしていると思っているはずで。しかし、その行動は、子供の幼稚さがある故に愚かでしかなく。

「かぐや姫〜」の翁は、全ては姫のため、とアレコレするけど悪手の連続で。男親の善意から生まれてしまう愚かさを描いていたわけで。

「ぽんぽこ」の日本人も、自然破壊について何ら悪意は持ってない。住宅地その他を開発することは正しいことなのだ、と思いながら主人公達の住家を破壊し尽すわけで。

「ハイジ」に登場する大人達も、悪意を持って何か酷いことをする、というわけではないような。例えば、ロッテンマイヤーさんは、別に悪意を持ってるわけではないだろうし。ちゃんと子供を躾けなきゃダメだ、と責任感を持ってハイジを精神的に追い込むわけで。

ただ、「ホルス」だけは、例外のような気はしたり。アレは、倒すべき明確な悪が存在してる。しかし、東映動画を追い出された後、高畑監督は明確な悪を設定しない作品ばかり作っているような…。

もしかすると、ホルスの時点では、監督は人間というモノに希望を見出していたのでは。そして、東映動画を追い出された時、監督の中には人間に対する絶望が産まれてしまったのでは。そして、それ以後、俺以外の人間はみーんな馬鹿ばっか、てなところを描き続けた…。

押井守監督は、延々「ビューティフルドリーマー」を作り続けてる監督だけど。高畑監督も似たようなもので、延々「悪意なんて持ってないのに愚かなことをしてしまう人間の姿」を描くことに固執し続けている監督、だったりするのだろうか。

とかそんなことを思ったけど、どうも考えがまとまりませんで。

まあ、仮にそうだとしても、それ故に登場人物を突き放して冷徹さや残酷さを感じるほどに、淡々と描写する作家性を会得したのだろうから、それはそれで、なのですけど。

以上です。

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