2012/12/10(月) [n年前の日記]
#2 [zatta] ポージングは大事だよなあ
個人的に、政治・政策においてポージングは大事だよなと思っていたり。何事も建前と本音があるのは当たり前だけど、本音なんか見せなくてもいいからせめて建前だけはしっかり作ってくれよ、みたいな。
なんでそんなことを急に思ったかというと。原発の安全性を評価する新組織 ―― 原子力規制委員会が、敦賀原発を廃炉扱いにするかもしれないというニュースを見て、少しビックリしたのです。どうせ保安院の名前を変えただけの組織だろうと思ってたので、変な話だけど、やられた、そう来たか、と思ったり。要するに、あの組織はポージングが上手そうだと。
敦賀原発2号機は、廃炉にすべきだと個人的には思っていて。極端なことを言うと、断層の種類がどうとか、科学的な視点がどうとか、そんなの一切関係なく、日本が今後も原発を推進していきたいと本気で思っていらっしゃるのでしたら、このタイミングでは、廃炉を選択するしかないだろうと。“高度な政治的判断”とやらをするのであれば、廃炉決定しかあり得ないと思ってたわけで。
今現在、かなりの数の国民が、原子力ムラに強烈な不信感を持っている。再稼働反対が叫ばれているのはそのせいで。再稼働したらどうせ元の木阿弥になる、そして第二第三のフクシマがまた起きる、多くの人がそう勘づいている。原子力ムラはいつまで経っても反省しない。これはどうやら自分達が声を上げないとブレーキを掛けられない、そのくらい切羽詰まった状況だ、そう思ってる。
皆が、原子力政策・関連組織に絶望している。絶望しているから、自分で叫んでる。本当なら専門家達がイイ感じに仕事をしてくれて、自分達は何も気にせずのほほんと生活できるほうがいいわけだけど。御用学者、嘘つき事業者、無知な政治家ばかりでアイツラ完全にあてにならんと判ってしまったので、仕方なく庶民レベルで声を上げている状態なわけで。
そして新組織 ―― 規制委員会が出てきたわけだけど。皆、この組織に対しても絶望していたはずで。どうせダメだろう。コイツラあてにならない。役に立たない。敦賀原発? 原発直下に活断層がある? ああ、ハイハイ。どうせ「安全です」を繰り返すに決まってますよねえ…。
ところが。彼等は「廃炉に」と言い出した。ビックリですよ。「え? 嘘だろ…まさか、今度の組織は、ちゃんとやってくれそうな組織なのか?」と。
ろくでもないヤツラだと思ってたら、急にいい人っぽい行動を取ったわけだから、ヤンキー効果 ―― 学園一のどうしようもない不良のクズ野郎が雨の日に捨て猫を自分の懐に入れる場面を目撃したことで「あの人実はいい人なんだわ」と勘違いしちゃう現象 ―― が発生する。組織に対する心証は急上昇。ひょっとすると彼等ならやってくれるんじゃないか、これは期待できるんじゃないか、そんなムードが漂い始める。今まで持ってた不信感が強ければ強いほど、反転した期待感は大きくなる。高まった期待感は判官贔屓を産み、相手に対する正常な評価を失わせる。
そしてこのまま、いくつかの原発を廃炉にした後で、彼等は「この原発については安全だ」と、どこかの時点で判断を下す。たとえそれが、どんなに危険な原発でも、その判断はすんなり通るはず。実状を知る人が「俺達を騙そうとしてるぞ。あの原発はヤバイ」と叫んでも、あっさりスルーされるだろう。「彼等は他の原発をいくつも廃炉にしてきたんだぞ? 本当に危ない原発なら、同じように廃炉にするはずだ。彼等の仕事は信用できる。彼等が安全って言ってるのだから、安全なんだ」…そう思う人が多数になるのではないか。
要するに、本当に動かしたい原発を動かせるようにするためには、敦賀原発は“生贄”にしなきゃいけない。
このタイミングにおいては、誕生したばかりの規制委員会がちゃんと機能してるように見せかけるための演出装置として、敦賀原発を廃炉にするというポージングは、極めて有効なのです。委員会が機能してるように見せかけないと、今後の信用は得られない。信用さえ勝ち得てしまえば、その後の無法も通りやすくなる。だから、よほどのバカでもない限り、このタイミングでは廃炉を打ち出すのが妥当。
逆に考えると。こういう状況でありながら、敦賀原発廃炉のポージングすら取れずにグジュグジュやり始めたら…。空気は読めてないわ、権限ないわ、科学的な判断もさっぱりできてないだわ、今後のシナリオも描けてないわ。救いようのないダメダメ組織、税金泥棒の代表例、と容易に判断できてしまうわけで。新組織の発足後、早々に「俺達まともに機能してませーん」と全力でアピールするアホウが一体どこに居るのかと。
まあ、個人的には、どうせそういうアホウじゃないの? 今までがそうだったんだし、と思ってたんですけど…。ちと予想を裏切られました。
なんでそんなことを急に思ったかというと。原発の安全性を評価する新組織 ―― 原子力規制委員会が、敦賀原発を廃炉扱いにするかもしれないというニュースを見て、少しビックリしたのです。どうせ保安院の名前を変えただけの組織だろうと思ってたので、変な話だけど、やられた、そう来たか、と思ったり。要するに、あの組織はポージングが上手そうだと。
敦賀原発2号機は、廃炉にすべきだと個人的には思っていて。極端なことを言うと、断層の種類がどうとか、科学的な視点がどうとか、そんなの一切関係なく、日本が今後も原発を推進していきたいと本気で思っていらっしゃるのでしたら、このタイミングでは、廃炉を選択するしかないだろうと。“高度な政治的判断”とやらをするのであれば、廃炉決定しかあり得ないと思ってたわけで。
今現在、かなりの数の国民が、原子力ムラに強烈な不信感を持っている。再稼働反対が叫ばれているのはそのせいで。再稼働したらどうせ元の木阿弥になる、そして第二第三のフクシマがまた起きる、多くの人がそう勘づいている。原子力ムラはいつまで経っても反省しない。これはどうやら自分達が声を上げないとブレーキを掛けられない、そのくらい切羽詰まった状況だ、そう思ってる。
皆が、原子力政策・関連組織に絶望している。絶望しているから、自分で叫んでる。本当なら専門家達がイイ感じに仕事をしてくれて、自分達は何も気にせずのほほんと生活できるほうがいいわけだけど。御用学者、嘘つき事業者、無知な政治家ばかりでアイツラ完全にあてにならんと判ってしまったので、仕方なく庶民レベルで声を上げている状態なわけで。
そして新組織 ―― 規制委員会が出てきたわけだけど。皆、この組織に対しても絶望していたはずで。どうせダメだろう。コイツラあてにならない。役に立たない。敦賀原発? 原発直下に活断層がある? ああ、ハイハイ。どうせ「安全です」を繰り返すに決まってますよねえ…。
ところが。彼等は「廃炉に」と言い出した。ビックリですよ。「え? 嘘だろ…まさか、今度の組織は、ちゃんとやってくれそうな組織なのか?」と。
ろくでもないヤツラだと思ってたら、急にいい人っぽい行動を取ったわけだから、ヤンキー効果 ―― 学園一のどうしようもない不良のクズ野郎が雨の日に捨て猫を自分の懐に入れる場面を目撃したことで「あの人実はいい人なんだわ」と勘違いしちゃう現象 ―― が発生する。組織に対する心証は急上昇。ひょっとすると彼等ならやってくれるんじゃないか、これは期待できるんじゃないか、そんなムードが漂い始める。今まで持ってた不信感が強ければ強いほど、反転した期待感は大きくなる。高まった期待感は判官贔屓を産み、相手に対する正常な評価を失わせる。
そしてこのまま、いくつかの原発を廃炉にした後で、彼等は「この原発については安全だ」と、どこかの時点で判断を下す。たとえそれが、どんなに危険な原発でも、その判断はすんなり通るはず。実状を知る人が「俺達を騙そうとしてるぞ。あの原発はヤバイ」と叫んでも、あっさりスルーされるだろう。「彼等は他の原発をいくつも廃炉にしてきたんだぞ? 本当に危ない原発なら、同じように廃炉にするはずだ。彼等の仕事は信用できる。彼等が安全って言ってるのだから、安全なんだ」…そう思う人が多数になるのではないか。
要するに、本当に動かしたい原発を動かせるようにするためには、敦賀原発は“生贄”にしなきゃいけない。
このタイミングにおいては、誕生したばかりの規制委員会がちゃんと機能してるように見せかけるための演出装置として、敦賀原発を廃炉にするというポージングは、極めて有効なのです。委員会が機能してるように見せかけないと、今後の信用は得られない。信用さえ勝ち得てしまえば、その後の無法も通りやすくなる。だから、よほどのバカでもない限り、このタイミングでは廃炉を打ち出すのが妥当。
逆に考えると。こういう状況でありながら、敦賀原発廃炉のポージングすら取れずにグジュグジュやり始めたら…。空気は読めてないわ、権限ないわ、科学的な判断もさっぱりできてないだわ、今後のシナリオも描けてないわ。救いようのないダメダメ組織、税金泥棒の代表例、と容易に判断できてしまうわけで。新組織の発足後、早々に「俺達まともに機能してませーん」と全力でアピールするアホウが一体どこに居るのかと。
まあ、個人的には、どうせそういうアホウじゃないの? 今までがそうだったんだし、と思ってたんですけど…。ちと予想を裏切られました。
◎ 2012/12/14追記。 :
どうもグジュグジュ言い出したっぽい。当初の予想通り、ドアホウ組織だったのかな…。
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以上です。