2012/03/11(日) [n年前の日記]
#2 [zatta] _津波避難の教訓 慰霊碑を除幕
津波の避難場所とされてきた高台やその周辺で多くの人が犠牲となった宮城県気仙沼市の海沿いの地区で慰霊祭が行われ、地震の際には津波を警戒してより遠くへ、より高い場所へと逃げるよう教訓を伝える慰霊碑の除幕が行われました。
_時事ドットコム:「この地、忘れない」=93人犠牲、地区に慰霊碑−宮城・気仙沼
住民312人のうち93人が犠牲になった宮城県気仙沼市の杉ノ下地区。指定避難場所に逃げ、犠牲になった人が多かった。家族全員を亡くした世帯は10を数え、全世帯が地区から離れた。この日は「絆」と刻まれた慰霊碑が地区に完成。遺族らが集まり、除幕式をした。
数日前に石碑についてもやもや考えていたので、作って設置した地域があることを知り、少しホッとした。
もっとも、 _寺田先生の書いたソレ を読んだ限りでは、そのうち絶対に碑の存在すら忘れ去られるのだろう。道路工事やら建物の建設時にシャベルカーでドシャーンと壊されたり、邪魔だからと頓珍漢な場所に移動されて意味をなさない状態になる。碑の材質、耐久年数も気になるし、どの時代まで現在の日本語を日本人は読むことが可能なのかも気になる。とはいえ、何もないよりははるかにマシだろうけど。
体験者が生きているうちはどうにかなるとしても、その後は忘れ去られる。碑や文献はハードウェアで伝えていく努力だろうけど、ソフトウェアで伝えていく努力も必要で。名案が求められているような気もする。…創作でどうにかならないか。桃太郎や浦島太郎のような昔話の形とか。落語とか。残るかどうかを考えると難しそうな気もするけど。
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以上です。