mieki256's diary



2007/10/20() [n年前の日記]

#1 [anime][neta] _『ef - a tale of memories.』が面白い!〜アニメにおける「わかりやすさ」の探求〜 - tukinohaの絶対ブログ領域

興味深い。

_絵の描けないアニメーター話 をなんとなく思いだしたり。 _キャラが似せられないなら手足等体の一部の画を多用する的後ろ向きな姿勢の作戦はどうかとあくまで冗談で思ったり していたのだけど、能力のある演出家が本気で真剣にその手法に取り組むと高い評価を得られる映像に仕上げることが可能なのだないやはやスゲーな凄過ぎる、みたいな感心を。映像表現に正解はない、あるいは、全てが正解に成り得る、ということだったりするんだろうか。わかりませんが。

実は難易度が高いことに今頃気がついた。 :

顔を見せずに手足の動きその他で何かを表現するというのは、後ろ向き・撤退戦どころか、とんでもなくめちゃくちゃ難しいことなんじゃないのかと今頃になって気がついたり。

たとえば、
  • 「キャラの顔の表情で悲しみを表現せよ。」
という課題が提示されたら、容易に方法は思いつく。眉を八の字にするとか。涙を流すとか。…顔文字ですら実現できる。(T_T) (´・ω・`) …ホラ、できた。アニメキャラの表情なんてのは特に記号化が進んだモノだから、「記号として伝える」“だけ”なら容易。だと思う。

しかしコレが、
  • 「手の動きで悲しみを表現せよ。」
  • 「後姿で悲しみを表現せよ。」
  • 「小道具で悲しみを表現せよ。」
  • 「風景で悲しみを表現せよ。」
  • 「画面レイアウトで悲しみを表現せよ。」
てな課題だったら。咄嗟に方法が思いつかない。また、仮に思いついたとして、それが視聴者に、本当に伝わるのだろうかという不安も残る。

てなわけで、キャラの顔を見せないで映像を作るってのは、演出家にとってあまりに過酷過ぎる修行ではないのか。みたいな。「演出百人組み手」「演出道場破り」「演出火渡り」「演出滝登り」「演出ラマダン」等の呼称を使うに相応しい荒行のように思えてきたり。

つーかコンテ描きあげるまでに時間かかりそう…。1カット1カットについて頭をかなり悩ませないといけない予感。なんとなく、「コンテ千本切り」の対極に位置する荒行なのではないかという予感も。下手すると「アイツ、遅いから」と干されてしまうのでは。危険過ぎる。

しかし、そういう手法を得意とする演出家になれたら、個のセールスポイント・アピールポイントになるのかな、などと根拠はないけど想像も。

たとえば、バンドのコンテストか何かで。皆が皆、何かルールでもあるかのように、ドラム+ベース+ギター+ボーカルでバンド構成をしてる中。ポツンとテルミン使いが混ざってたら、ある面では演奏前から勝負に勝ってしまったようなもんで。…いや、アニメ制作という集団作業の中では、もしくは、出る杭は打たれてしまうこの日本社会においては、テルミン使いはえてしてハブにされがちなのかしらん。右へならえ的に仕事しないとダメなのかな。そのへん全然知りませんが。

でも、上手くできたら気持ちいいだろうな。 :

演出家と視聴者の間に何らかのコミュニケーションが発生しそう。

演出家「さあ、どうだ? これが判るか?」
視聴者「…フッ。伝わったぜ…」

みたいな。そこにあるのは、アイコンタクトならぬムービーコンタクト。

って何を馬鹿なことを書いてるのか>俺。なんスか、ムービーコンタクトって。

ムービーコンタクト自体が話になりそうではあるな。 :

たとえば、主人公が映画を使って愛の告白をするとか。…どういう脚本になるのかさっぱりイメージ湧きませんが。

と思ったが、それに近い映画があったことを思い出した。タイトル失念したけど、映画少年の半生を描いためちゃくちゃ有名な実写映画がそんな感じだったような。アレのラストシーンはソレだよな。主人公は、 映像を見て、その向こう側にある、故人の、自分への愛情を感じ取ってボロボロ泣いてしまうわけで。故人と主人公だけが判るソレ、てのがまた上手いというか。

映画じゃなくて、写真でやりとりするというのもあったか。連城三紀彦「恋文」の一篇にもそんな話があったような。 *1 カメラマンの主人公が撮影した、今は故人となった女性の記念写真。その写真の中に、 主人公に対する女性の感情が隠されていた、みたいな。

つーか、故人の残したソレ、というのがポイントなのかしら、もしかすると。…そういや、「北の国から」SPでも、似たようなのがあったか。 故人がカセットテープに残した、お祝いの言葉。会場の全員、ボロ泣き。

当てはめられる小道具はたくさんありそうだな。ムービー、写真、音声、手紙、創作物、服、料理…。どれも、「故人の」をつけると、何かエピソードが作れそう。

とか考えていくと、ガンダムSEEDの続編の、当初は主人公と思われてたキャラの妹 ―― 戦闘に巻き込まれて命を落とした妹の、携帯に残されたムービー、なんてのは実に惜しい設定だなと。単に復讐心(?)を維持するためだけに使われてたし。もう少し別の使い道も ―― 視聴者が貰い泣きしてしまうような使い道もあったのではないかという気もしてきた。惜しいなぁ。…いや、アレはバンバン何度も見せてたから、実は使い道がないのか。そういうのって、最後の最後で「実はこういうものがあったんですよ」的に見せないと、効果が得られない気もする。

なんだか話があさっての方向になってきたナリ。

*1: 検索してみたら、「私の叔父さん」という話っぽい。

以上です。

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