2007/02/18(日) [n年前の日記]
#8 [anime] _ハルヒ:見た目のカメラワーク(3) フォーカス
_ハルヒ:2話 見た目のカメラワーク(2) 望遠
_ハルヒ:2話 見た目でのカメラワーク(1)
_ハルヒ:自主映画制作のススメ - 山本監督は「イマジナリーラインを信用していない」
_大反省会 - 第1回 「3年目のルサンチマン」其の壱
_「涼宮ハルヒの憂鬱」関係エントリまとめ
面白いなぁ。
そういや、ゲド戦記でイマジナリーラインがどうこうという記事がどこかであったような。
_ハルヒ:2話 見た目でのカメラワーク(1)
_ハルヒ:自主映画制作のススメ - 山本監督は「イマジナリーラインを信用していない」
_大反省会 - 第1回 「3年目のルサンチマン」其の壱
_「涼宮ハルヒの憂鬱」関係エントリまとめ
面白いなぁ。
山:何度言われても、イマジナリーラインは分からない。感覚としてない。信じてないもん。目線を合わせりゃいいとか言うんだけど、日常会話でそんなに目線気にして喋ってる?みんなあらぬ方向いて喋ってるのが普通なら、そんなに拘らなくていいと思うんだけどなぁ。
山:そうなんかなぁ。じゃ敢えて偏見込みで言うけど、俺はこの「イマジナリーライン」ってのは、そりゃ映画100年を支えて来た黄金律には違いないんだろうけど、もう観る側の中にリアリティとしてない、と思ってるの。岩井俊二も言ってたけど、「アキレスと亀のパラドックス」になりかけている。今はもう、みんなMTV作品を観慣れているでしょ?それに親から「人様と御話する時は相手の目を見ろ!」なんて教わらなくなった。そんな時代下にあって、未だにMTV出身の監督が作品中でイマジナリーライン無視しているのを「映画を解ってない」って蔑む評論家っているけど、映画を愛してるのは解るんだけどもう少し映像文法の今日的意味について考えても、バチは当たらないんじゃない?って思う訳。でないと形骸化した不文律に多くの作家達が足を取られかねないよ。それって全く無意味やん!なるほど。
辛:確かに、ひとつひとつの映像文法について、もっと開かれた議論が行われても良い筈なのに、信じてる人とそうでない人とがバラバラに映像を語っている。それってキツいよね。 山:技法書なんか読んでても、イマジナリーラインについて書いてないのもあるし、書いてあってもチョロチョロよ。きっとクレショフあたりが書き起こした凄い論文がある筈なのに、誰もそれを叩き台にすらしないで、ただ呪文みたいに「イマジナリーライン守れー」って唸ってる。気味が悪いよ!
そういや、ゲド戦記でイマジナリーラインがどうこうという記事がどこかであったような。
“ハルヒ”はアニメ化に際して原作の一人称視点の原則を忠実になぞっています。ただし、一口に一人称視点といっても実際に映像化するには色々な方法があるので、どのような構図・カメラワークを採用するかが演出の腕のみせどころです。このへんも気になる。こうなると、スレイヤーズの一人称は何が良くなかったのかが気になる。それとも、あの作品もそれなりに気を配って作られていたのだろうか。
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以上です。