mieki256's diary



2003/11/26(水) [n年前の日記]

#1 百聞は一見にしかず=聴覚情報より視覚情報のほうが優れている

福島民報を読んでたら、年配の元記者(?)がコラムの中で、「最近の若者は、『百聞は一見にしかず』を『聴覚情報より視覚情報のほうが優れている』という意味で捉え、使ってる」と嘆いてた。

…あのー、それって広告のコピーやジョークの類じゃないのかと。いくらなんでも、本気で、そんな意味で使ってるヤツは居ないだろう。

と思ったものの。 _「情けは人のためならず」 _「全然大丈夫」 _「役不足」 _「気のおけない人」 の例を考えれば、あながち嘘話、笑い話ではないのかもしれない。

言葉を使うための条件 :

言葉というのは、特定の集団内で、情報を効率良く伝え合うために生み出された手段。しかし言葉を使うためには条件がある。双方がその言葉を知っていなければならない。いや、知っている状態が望ましい。

例えば、「リンゴ」という言葉を知らない人に対して、「昨日、リンゴを食べたんだ」と言っても、聞いた相手は何を食べたのかわからない。「リンゴ」という言葉を有効活用する為には、「赤や緑で、丸くて、上部中央に窪みがあって、細い茶色の茎が出ていて、削ったり齧ったりするとシャリシャリと音のする、酸っぱかったり甘かったりする木の実」=「リンゴ」という認識をお互いが既に持っている必要がある。

100人の人間が居て、そのうちの99人が「リンゴ」という言葉を知らず、ただ1人だけが「リンゴ」という言葉を知ってたとする。その1人が周囲に対して「リンゴを食べた」と発言するとどうなるだろう。この場合はそれほど問題は無い。「何ソレ?」と聞かれるだろうから、「リンゴ」について説明すればいい。無知であることはまだマシな状態。教えればいいだけの話。

しかし、99人の人間が、「リンゴ」=「みかんのような果物」という認識を持ってたらどうなるだろう。本来の「リンゴ」を知る人は、そのような状況でも、「いや、それは『リンゴ』じゃないんだ。」と主張して回らねばならないのか。そうまでして万人に誤解されてしまう「リンゴ」という言葉を使い続ける必要があるのか。それは果たしてその当人にとって、言葉を活用できている姿と言えるのか。何の為に言葉が生まれたのか、その当人は考えた事があるのか。

そのうち、「百聞は一見にしかず」が本来の意味ではなく、新解釈のみで使われる時代が来るのかもしれない。そうなった時、本来の意味を知っている人間…例えば、件の元記者さんはどのようにその言葉を使うのだろう。

自分はあっさり新解釈で使いそう。そうなったらですが。

無知であることと創造性は別だろうし :

むしろ無知であるが故に新たな言葉の定義を生み出す事が容易な面もあったりするのかも。我々も新たな言葉を生んで対抗すべし。「100本のAV鑑賞は1回のソープに〜」「CCさくら100話分は1本のはじるすに〜」なんてどうだ。って意味違ってるやん。意外と難しい作業だな。

PC用語も似たところがありそう :

世間一般の言う、「ホームページ・HP」「ハッカー」「パソコン」は、本来「Webページ(あるいはサイト)」「クラッカー」「Windows」であろうし。しかしわざわざ「それはWebページと言うんだよ」と言って回る人は居ない。「ホームページ」と称しても目的は果たされるから。「ホームページ」と聞いた瞬間、一般人の脳裏にはWebページが浮かんでるし、詳しい人の脳裏にも推測ではあろうけどWebページが浮かんでる。世間話程度なら特に困る要素は無い。

もし、件の元記者さんが「ホームページ」と言ってたら少々滑稽かも。…言ってそう。年配の方が「Webページ」「サイト」なんて言ってるところを見た事無いし。

以上です。

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