2003/06/14(土) [n年前の日記]
#9 [pc][web] _多数派が正しい世界
考えこんでしまった。
つまりは、新技術が一般に浸透した時、新たな文化が発生する状況が多数なわけで、そういった状況で過去の文化に固執して新たな文化を否定して回るのはいかがなものか、という問いかけなのだろうと。たしかにそれは仮に技術の側に立つ人間であればあらかじめ意識しておかなければならない現象であるだろうし。過去の文化に盲目的に固執する事で、新たな文化が発達することにより得られるはずだった利便性なり娯楽性なりを得られない状況があるのであれば本末転倒でもあり。技術はあくまで人に楽をさせる・楽しませる為に活用されるはずのもの。過去に拘る事で、技術発展を阻害し、人々の扱うツールとしての利便性向上に制限を加えているなら再考せねばならない。
ただ、それとは別に、「無条件に多数派に迎合していればトラブルは起きない」から「多数派の意見を肯定すべし」というのであれば首を捻ってしまう。半世紀前の戦争でこの国に住む人間は、無条件に多数派に従ってさえいれば必ず皆が幸せになれると一概には言えないという事実を、多数の命を失った果てにようやく思い知ったはずではなかったか。なのに半世紀を過ぎた現在も未だその認識すら出来ず、各人が自分自身の頭で各主張の正当性や合理性について判断・評価もできず、更にそういった人種が多数派であるというなら、この国は相変らず思考面では貧しくて幼い国なのかなと。
それはそうとして、技術が生まれた当時から想定・予想されてたであろう状況が実現した場合、万人にとってメリットがあることが既にある程度見えているからこそ、それらの各主張が積極的になされている部分もあるわけで。もっとも、自身にとってのメリット・デメリットすら考える事が出来ない層にしてみればたしかにつまらないお小言にしか見えないのかもしれない。しかしそれは周囲にとっても当人にとっても不幸なことであるような。
フルチンで道を歩いてて「俺のマグナム(もしくはデリンジャー)を見るな!」と言ってる人に、「パンツ履いたら?」とか「皆もフルチンだから気にするな」と声をかけるのはそんなにおかしなことだろうか。とはいえ、今はまだパンツの数が少ないような気も。技術者はもっと色んなパンツやブラを作って、パンツを履く新しい文化についても支えていかないといけないのかも。でもそれはパソ通時代へと逆行してる感じもして。Webが爆発的に普及したのはパソ通には無い何かがあったからだろうと思うのだけど、新しい文化を支持する人達はその何かの存在をはたして感じているのだろうか。といいつつその何かについては自分の中でもモヤモヤしていて具体的に上手く説明できないのだけど(爆) なんだかどこかで矛盾を感じるというか、失ってからでは遅い気が。
パンツ履こうが履くまいが便利になるならどうでもいいのだけど、不便になるならゴネたい。誰かが、しかも多数派とやらが、単なる嗜好や思いつきや宗教性をさほど深い考えも無く場当たり的に他者に強要する事で、結果自分達が今まで当たり前のように味わえていた利便性が奪われようとしているなら、その多数派とやらと戦うなり説得していかざるをえないだろう。自分は「便利だな」と思うからWebを使っているけれど、これを「不便だな」と思わせられるモノに非合理的理由から変質させられてしまったら困ってしまう。例えば検索ワードを打ち込んで1ページたりとも情報が出てこないWebなんて多くの人は絶えられないだろうけど「無断リンク禁止」が至極当然の世界になればそういう事態も充分起こり得る可能性がある。先人達の様々な努力・苦労のおかげで今まで思う存分利便性を味わってきておきながら、他者や後輩、そして子供達にはその利便性を提供したくないなんて、随分虫が良すぎる話じゃないかとも思うし。
ていうか元々それらの各主張は、俺も出すから君も出そうよそしてお互い補完しあってお互い楽をしようぜエンジョイしようぜ皆でHAPPYになろうぜ、ってだけの単純な話のような気もするし。こういう考えは老人よりむしろ若者の中から出てくるモノのような気もして。「俺のモノは俺のモノ。だから無断リンク禁止」なんてのは、戦後に飢えてヒモジイ思いをして自分の所有物の多さに拘らざるを得なかった昭和世代から真っ先に出てきそうな主張、という印象もあったりして。実際はどうなのかわかんないけど。
なんか文章が矛盾だらけだなぁ…。
なにはともあれそんな事をグズグズと考えてると、Trackbackの「リンク上等!」的な姿勢は健全で好ましい感じがして拍手を送りたい、みたいな。流行るといいなぁ。
つまりは、新技術が一般に浸透した時、新たな文化が発生する状況が多数なわけで、そういった状況で過去の文化に固執して新たな文化を否定して回るのはいかがなものか、という問いかけなのだろうと。たしかにそれは仮に技術の側に立つ人間であればあらかじめ意識しておかなければならない現象であるだろうし。過去の文化に盲目的に固執する事で、新たな文化が発達することにより得られるはずだった利便性なり娯楽性なりを得られない状況があるのであれば本末転倒でもあり。技術はあくまで人に楽をさせる・楽しませる為に活用されるはずのもの。過去に拘る事で、技術発展を阻害し、人々の扱うツールとしての利便性向上に制限を加えているなら再考せねばならない。
ただ、それとは別に、「無条件に多数派に迎合していればトラブルは起きない」から「多数派の意見を肯定すべし」というのであれば首を捻ってしまう。半世紀前の戦争でこの国に住む人間は、無条件に多数派に従ってさえいれば必ず皆が幸せになれると一概には言えないという事実を、多数の命を失った果てにようやく思い知ったはずではなかったか。なのに半世紀を過ぎた現在も未だその認識すら出来ず、各人が自分自身の頭で各主張の正当性や合理性について判断・評価もできず、更にそういった人種が多数派であるというなら、この国は相変らず思考面では貧しくて幼い国なのかなと。
それはそうとして、技術が生まれた当時から想定・予想されてたであろう状況が実現した場合、万人にとってメリットがあることが既にある程度見えているからこそ、それらの各主張が積極的になされている部分もあるわけで。もっとも、自身にとってのメリット・デメリットすら考える事が出来ない層にしてみればたしかにつまらないお小言にしか見えないのかもしれない。しかしそれは周囲にとっても当人にとっても不幸なことであるような。
フルチンで道を歩いてて「俺のマグナム(もしくはデリンジャー)を見るな!」と言ってる人に、「パンツ履いたら?」とか「皆もフルチンだから気にするな」と声をかけるのはそんなにおかしなことだろうか。とはいえ、今はまだパンツの数が少ないような気も。技術者はもっと色んなパンツやブラを作って、パンツを履く新しい文化についても支えていかないといけないのかも。でもそれはパソ通時代へと逆行してる感じもして。Webが爆発的に普及したのはパソ通には無い何かがあったからだろうと思うのだけど、新しい文化を支持する人達はその何かの存在をはたして感じているのだろうか。といいつつその何かについては自分の中でもモヤモヤしていて具体的に上手く説明できないのだけど(爆) なんだかどこかで矛盾を感じるというか、失ってからでは遅い気が。
パンツ履こうが履くまいが便利になるならどうでもいいのだけど、不便になるならゴネたい。誰かが、しかも多数派とやらが、単なる嗜好や思いつきや宗教性をさほど深い考えも無く場当たり的に他者に強要する事で、結果自分達が今まで当たり前のように味わえていた利便性が奪われようとしているなら、その多数派とやらと戦うなり説得していかざるをえないだろう。自分は「便利だな」と思うからWebを使っているけれど、これを「不便だな」と思わせられるモノに非合理的理由から変質させられてしまったら困ってしまう。例えば検索ワードを打ち込んで1ページたりとも情報が出てこないWebなんて多くの人は絶えられないだろうけど「無断リンク禁止」が至極当然の世界になればそういう事態も充分起こり得る可能性がある。先人達の様々な努力・苦労のおかげで今まで思う存分利便性を味わってきておきながら、他者や後輩、そして子供達にはその利便性を提供したくないなんて、随分虫が良すぎる話じゃないかとも思うし。
ていうか元々それらの各主張は、俺も出すから君も出そうよそしてお互い補完しあってお互い楽をしようぜエンジョイしようぜ皆でHAPPYになろうぜ、ってだけの単純な話のような気もするし。こういう考えは老人よりむしろ若者の中から出てくるモノのような気もして。「俺のモノは俺のモノ。だから無断リンク禁止」なんてのは、戦後に飢えてヒモジイ思いをして自分の所有物の多さに拘らざるを得なかった昭和世代から真っ先に出てきそうな主張、という印象もあったりして。実際はどうなのかわかんないけど。
なんか文章が矛盾だらけだなぁ…。
なにはともあれそんな事をグズグズと考えてると、Trackbackの「リンク上等!」的な姿勢は健全で好ましい感じがして拍手を送りたい、みたいな。流行るといいなぁ。
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以上です。