2003/05/23(金) [n年前の日記]
#5 [zatta] 価値観の破壊って本当なんだろうか
高度経済成長による価値観の破壊、というフレーズをよく目にしたり耳にしたりするけど大抵の場合そのフレーズは現在の価値観に対して否定的意味合いを強く持って使われてるような。でもそれは否定されるべき事なんだろうか。オイラは、「天皇陛下万歳」と叫びながら航空機をミサイル代わり・自身を単なる制御回路代わりにして敵鑑へ突っ込むのが至極当然であると周囲から強要されるのなんか真っ平ごめんだしそもそも狂ってると思うし、妻は夫の3歩後ろを歩けなんて価値観を素晴らしいし守っていくべき事だなんて真顔で語りたくなんかないし。最近の若いヤツラは恥を知らん、なんてしたり顔で口にする人達が居るけど頭のいい人は恥が無くなったのではなく恥が変化しただけという事をちゃんと知っているわけで同様に価値観は破壊され消滅したのではなく単に変化しただけの事だし大体にしてそれら価値観なぞ明治以降にさほどの根拠も無く作られたものばかりで昔からずっと存在してたもんじゃない上に戦争で捻じ曲げられ歪んでしまったものが多いのに「破壊」なんて言葉を躊躇無く短絡的に口にしてまるでそれらが素晴らしいものであったかのように捉えてる人々の言はなんだかうさんくさいというか実は過去と現在の価値観についてよくわかってないのにそういうフレーズを使う事で判った気になってるだけじゃのかとか思ったりしたけどオイラも頻繁にそのフレーズを使ってるような気がするし価値観の変化についても細部まで把握してるわけじゃないから俺も同じだろうなと思った。一つ一つの事項について、これは残したほうがいい、これは変えた方がいいと、自身の頭で考えて判断を下しているわけではなくなんとなくその時代の雰囲気や風潮に迎合してる人達がほとんどという点がとにかくマズイのだろうなとは思う。日本人は、いや日本人に限らずだけど、誰かの言ってる事を丸呑みするのではなく自身の頭でちゃんと考え判断を下し自身の意思で選択をしていく行為を種として学び身につけていかんとあかんのやろなと書きつつもしかしそれら能力は後の世代へ一種のノウハウとして引き継いでいけるようなものだろうかと考えるとなんだかそこまでのスペックを本来の人間は有していない気もしていて結局はどの時代も場当たり的に対処せざるを得ないのが本当の人間の姿かもしれないなと思ったり。このへん「動物化」云々と関係がありそうな気がするんだけどオイラは現在貧乏でその手の本を読んだ事無いし頭も悪いんで結び付けようもないのでした。
勝算も無くひたすら敵鑑に特攻する事を強制しそれが賛美される風潮は展開される場所が国家から企業へと変わっただけで未だに根強く残っていると思う。他者、あるいは自分に特攻すべきと強制する必要はどこにもない。負ける事でパンが食べられたり脱脂粉乳が飲めるなら早々に負けてみせたほうがいい。負けてしまったのと負けてみせるのは違う。後者はメリットの有無を判断し自分の意思で選択してより良い状況を自ら掴み取る行為だから全然違う。いや、そもそもひもじい思いをしてたのにパンが食えるようになったなら負けとか逃げとか他者から評価を下されようが実はどうでもいいことじゃないだろうか。
勝算も無くひたすら敵鑑に特攻する事を強制しそれが賛美される風潮は展開される場所が国家から企業へと変わっただけで未だに根強く残っていると思う。他者、あるいは自分に特攻すべきと強制する必要はどこにもない。負ける事でパンが食べられたり脱脂粉乳が飲めるなら早々に負けてみせたほうがいい。負けてしまったのと負けてみせるのは違う。後者はメリットの有無を判断し自分の意思で選択してより良い状況を自ら掴み取る行為だから全然違う。いや、そもそもひもじい思いをしてたのにパンが食えるようになったなら負けとか逃げとか他者から評価を下されようが実はどうでもいいことじゃないだろうか。
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以上です。