mieki256's diary



2018/10/19(金) [n年前の日記]

#1 [tic80] TIC-80のスプライトの拡大縮小について確認

TIC-80 において、スプライト相当の描画時に拡大縮小率を指定できるのだけど、実数が指定できるのか、それとも整数しか指定できないのか気になったので試したり。

tic80_spr_scale_ss01.gif

整数倍で拡大することしかできないようだなと…。これでは…できることが少なくなるな…。まあ、もうちょっと色々やりたいなら love2d を使おう、という話になるのかも。

ソースは以下。
-- title:  game title
-- author: game developer
-- desc:   short description
-- script: lua

scale = 0.1
x=96
y=24

function TIC()

 cls(13)
 spr(1,x,y,14,scale,0,0,2,2)
 print("scale : "..scale,84,84)
 scale = scale + 0.05
 if scale >= 5.0 then scale = 0.1 end
end

#2 [pc] マウスパッドを購入

マウスカーソルの動きがなんだか妙な感じになったので少し調べてみたら、どうやら今まで使ってたマウスパッドがかなり削れてしまって、一部がツルツルになっていたようで…。光学マウスが表面の模様を読み取れなくてマウスカーソルの動きがおかしくなるのか、あるいはマウスがその部分で滑らなくて違和感があるのかは分からんけど、とにかくこれはマウスパッドのせいじゃないかな、と。

ということで、ケーズデンキでマウスパッドを買ってきた。 _サンワサプライ MPD-NS1BL 。税込1,005円。正直高い。でも、このぐらいの価格帯の商品しかケーズデンキには売ってなくて…。

今まで使ってた製品、おそらくは _サンワサプライ MPD-OP16BL は、もう店頭に無かった。残念。

今回購入したソレを使ってみたけど、マウスカーソルの動きはまともになった。やはりマウスパッドのせいだったらしい。

しかし、マウスそのものを動かした時の引っ掛かりは、ビミョーに増したような気もする。もっとも、今まではつるつるに削れたマウスパッドで動かしていたのだから、新品なら当然抵抗も増えるはずで。

ちなみに、使ってるマウスは、ELECOM M-XG1UBSV。BlueLEDがどうとか謳ってる光学マウス。光学マウス、特に BlueLEDを使った製品は、マウスパッドの種類によっては正しく動かない時もあるらしいけど、少なくとも今回購入したマウスパッドは特に問題は無さそう。

#3 [web][neta] TV感覚でインターネットを利用する人達が増えてきたのかもしれない

思考メモ。

たまたまあちこちで、「技術系ゴミ記事を書くな」的文句を言ってる人達を見かけて、もしかすると時代は変わったのかなと思ったりもして。

ゴミ記事が多いなと思ったら、自分でゴミじゃない記事を書いてネットにアップロードすればいいだけの話なのに…。それが本当に良記事なら、じわじわとリンクも増えて、検索サイトでも自然と上位にリストアップされるのではないのかな、と。

だけど、その手の文句を言ってる人達は、おそらくは自分で記事を書かない・書いたことがほとんどない人種、なのだろうなと想像したりもするわけで。ただ口をぽかんと開けて、「誰かが俺にとってためになる記事を、タダ働きで書いてくれねえかなあ」と思い続けてる、みたいな。雛鳥が巣の中から口だけ突き出して狂ったようにピーピー鳴いてる、そんな光景が思い浮かんでしまったり。俺達は、お前の親鳥じゃねえんだけどなあ…。

要するに、TVの視聴者のような感覚でインターネットを眺めているのだろうなと。自分は受け手オンリーなのだ、お客様扱いされて当然なのだ、的感覚。何かを見て文句を言う事ぐらいはできるけど、その何かを作る側にはなろうと思わない人達。情報はどこかから自然と湧いてくるもので、誰かが苦労して作った何かに対しても「拾ってきた」と平然と言っちゃう、そんな感覚。

少しでも記事を書いてみれば、「記事を書くのって結構大変なんだな」「こんなの無償で書いて公開するなんて…聖人か」みたいな印象になってくるだろうし、となれば、「せっかく苦労して書いてるだろうに、出てくる記事は今一つなんだよな…」「なら、良記事を書くにはどうしたらいいのだろう?」という思考になって、「どうせ書くならこういうことを意識して書いてほしい」みたいな話になっていきそうだけど。彼等はそもそも記事を書いたことがないから、「(ゴミ)記事を書くな」と根底から否定するようなことしか言えない。非建設的だなと。

大昔のインターネットは何も無かったので、そこに集まった一人一人が、知ってることを何でもいいから少しずつ持ち寄って情報を増やしていくしか無かったわけだけど。そうやって集まった情報がそろそろ結構な量になってきたので、後から使い始めた人はそのへんすっかり勘違いしてるのだろうなと。もっとも、どのサイトを開いても広告ベタベタなこの状況で、牧歌的な昔のソレを思い返してみてもアレなんだけど。

昔は、コミケのノリに近かったのかもしれないな…。参加者一人一人がどんなアクションを取るかで、イベントが成功するか失敗するかが決まる。売り手が買い手にもなるし、買い手が売り手にもなる。みたいな。まあ、コミケだって昔と比べたら随分違っているのだろうけど。

何でもそうだけど、規模が大きくなれば色々な歪みが出てくる、みたいな話だったりもするのだろうか。これもまた、あるある話の一つ、なのかなあ。

#4 [web][neta] 日付と環境さえ書いてあれば技術系記事としては合格点

技術系の記事に関しては、日付と環境さえ書いてあればそれだけで合格点じゃないのかなと個人的には思っていたり。

まず、日付があれば、読み手としては、「これは古い記事だから今も通用するか分からんな」と事前に察しがつくわけで。「古いけど、まあ、ダメ元で」な感覚で記事内容を試すから、残念な結果でも「やっぱりね」で済むし。あるいは最初から見切りをつけて、もっと新しい記事が無いか探し始めることだってできる。…日付さえ書いてあれば。

そして、環境が書いてあれば、Mac or Linux 向けのインストール手順をWindows環境で途中まで試してしまってなんだか様子がおかしいことに気づいてガッカリ、なんて事態も避けられる。「おかしいな…動かんぞ…。さてはこれってもしかして Mac or Linux 向けの記事じゃねえの? ああ、もう、これだからMacユーザは! どうしてアイツラ『Macで試した』の一言すら書けねえんだよ! 『世界にはMacしか存在しない』と思い込んでんじゃねえよ!」と無駄にイライラしなくて済むわけで。

また、「ゴミ記事を書くな」的主張のやり玉にあがってる、初心者向けのアプリインストール手順記事の類だって、日付と環境さえ書いてあれば、「この時期に、この環境・このバージョンでは、どうやらそれなりに動いていたらしい」という、動作実績のログとしての価値が付加される。動いていたことがあるのかないのか、動いていたとしたらどんな環境でどのバージョンが動いていたのか、そういった情報が残ってることで助かる場面は山ほどある、なんてことはPC使って作業してる人なら何度も体験しているはずで。

ところが、日付も環境も書いてなければ…。

「今年の話なのか、あるいは10年前の話なのか、
一体いつの時代の話なのかは分からんが、
とにかくいつかどこかの時代に、
私達がよく知るシステムなのか、あるいは珍しいシステムなのか、
一体どの環境なのか分からんが、
とにかく謎の環境の上で…このソフトウェアが動いていた…そんな事例もあるらしい」

これでは、まるで長老の口伝の昔話。もしくは神話の類。どれだけ詳細な内容を記しても、日付と環境が書いてないだけで、かなりゴミ記事に近づいてしまうわけで…。

ということで、「ゴミ記事を書くな」的主張より、
「せめて日付と環境ぐらいは書こうぜ」
「記事にはならなくてもログにはなるからさ」
と主張したほうが、まだ建設的じゃないのかなあ、と…。

とは言え、自分も時々うっかり環境を書き忘れてる時がありそうなのでアレなのだけど…。まあ、できる範囲で気づいた時には一応書いておく、ぐらいの軽い話ということで…。

#5 [web][neta] 記事とログは違うのかもしれない

ふと思ったけど、記事とログは違うのかもしれないな、と…。

考えてみたら、自分、そのあたり意識してなかったかも。Web上で、ログの類を記事と思い込んで眺めていた場面が多々あったような、そんな気もしてきた。マズいな…。

記事はログにもなるのだろうけど。逆に、ログは記事になるのだろうか。…ならないよな。たぶん。

かといって、ログはゴミかというとそうでもない。分かってる人がログを見れば、それだけで何かのヒントが得られることもある。しかし、分かってない人がログを見ても、ゴミかノイズにしか見えないだろう…。

ブクマ数が多いページを眺めて「なんだこりゃ。ゴミじゃねえのか」と思ってしまった時も、「待てよ? これは記事じゃなくて、ログじゃないか?」と思い直してみるのもアリかもしれないなと。自分はログを見て何かを察するほどの知識はないけれど、そっち系の人には有意義なログ、だったりするのかも。みたいな。

ログは、楽譜みたいなものかもしれない。

例えば、自分は楽器が弾けないから楽譜を見てもチンプンカンプンなのだけど。だからと言って、「自分が読めないから楽譜はゴミだ! ノイズだ!」と叫ぶかと言えばそんなことはしない。音楽やってる人なら「ほほう。なるほど」な情報だったりするわけで。

楽譜が読めない自分は、楽譜が読めるように勉強しなきゃいかんのだろうか。…別に勉強しなくていいんじゃないか。読めないことで困ってるわけでもないし。

楽譜が読めないことを恥ずかしいと思わなければいけないのだろうか。…そんな必要も無いよな。楽譜が読めない代わりに、プログラムのソースコードは読めたりするし。人それぞれ能力は違うし、興味が湧く分野も違うのだから。

「俺には読めない楽譜が、何かの拍子にたまたま目に入ってしまった! 許せない! 一体誰だ!? こんなゴミをアップしたヤツは!」と憤る必要なんて、どこにも無いよな…。

もっともこのあたり、TV感覚でネットを眺めてる人なら憤慨しそうな気はする。例えば、TV番組を見て、「なんだこの番組は!? 内容が分からない! こんなものを公共の電波で流すな!」と憤慨する場面はありそうだし。同じ感覚で、ネット上で見かけた何かしらに文句を言ってしまう…場面だってあるのかもしれない。

それはおそらく、ログなのだ。記事じゃないのだ。「ああ、これはログだな。俺に分かるわけない」とスルーしとけばいいのだ。たぶん。

以上、1 日分です。

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