mieki256's diary



2017/09/05(火) [n年前の日記]

#1 [nitijyou] SONY製オーディオセレクターを分解

自分はPCで音を聞く時にヘッドフォンをとっかえひっかえしてるのだけど。一々コネクタの抜き差しをしてたら面倒臭い、ということで、 _SONY SB-A40 というオーディオセレクターを使っていたり。

しかし最近、スイッチを切り替えても接触不良で左右が正しく聞こえない時があって。試しに分解して KURE CRC 接点復活スプレーを吹いてみようかなと。

てなわけで分解。一応写真も残しておいてみたりして。

sony_sb_a40_01.jpg

sony_sb_a40_02.jpg

sony_sb_a40_03.jpg

分解は、底面の2つのネジを外して、前面(?)の薄いほうから開ける感じ。簡単にパカッと開けるわけではなく、マイナスドライバーで少しずつグリグリしながら開けた。何かコツがあるのかな…。

分解してみて驚いたけど、スイッチの機構が謎。4つスイッチが並んでるだけのように見えたのだけど、1つを押すと他の3つがOFFになって軸が上がる。どういう仕組みになってるんだ…SONYは魔法でも使っているのか…。とにかく、昔のSONYにはアイデアマンが居たのだなと。いや、SONYが設計したわけじゃないのかもしれないけど。

とりあえず、スイッチの軸の、微妙に凹みがあるところから、接点復活スプレーをかけてみたけど。これで効果は期待できるのだろうか…。中にちゃんと入ってるのかな…。

中国企業にコピーしてほしい一品。 :

この SB-A40、もう販売してないんだよなあ…。とっても便利なのに…。ここはぜひとも中国企業にガツンとコピーしてもらって市場・店頭に流してもらいたい。今の中国の技術力ならできるはず。ていうか裏面には「MADE IN CHINA」って書いてあったし。

「今時は皆、Bluetoothヘッドフォン使ってるよ」「ケーブルなんか使わねえよ」「ステレオミニジャック? 何ソレ? 円谷特撮?」と言われてしまうだろうか…。そんな殺生な。

もし、コレが壊れたら、自作するしかないのかなあ…。はんだ付け、面倒臭いなあ…。

_monta@site >> ロータリースイッチでヘッドホンセレクターを作る
_100均工作:Seriaのブリキケースで4系統ステレオミニオーディオセレクターを作ってみた - white croquis
_電子工作知識ゼロが作る、自作オーディオセレクター 前編 : ZAPZAP!
_電子工作知識ゼロが作る、自作オーディオセレクター 後編 : ZAPZAP!

#2 [game][neta] 夢の中で気になるゲームを見かけた

寝ていたら、夢の中で、なんだか気になるゲームを見かけた。のでなんとなくメモ。







てな感じで、覚えてる範囲でメモ。

目が覚めてから気づいたけど。なんかこういうインディーズゲームの動画を見たような記憶が…。タイトル忘れたけど…。ただ、そのゲームは鬼のような難易度だったような。

「ぺったんこ」なるソレは、たぶん「もじぴったん」あたりからの連想じゃないのだろうか。ちなみに、なんとなく気になって「ぺったんこ ゲーム」でググってみたらたくさん出てきた。今まで知らなかったけど、「ぺったんこ」なる言葉はゲームのタイトルにたくさん使われていたのだな…。

寝ぼけ頭で、ゲーム制作ライブラリの類でとりあえずゲームっぽいものを作ってみる、てな時にはヨサゲな仕様かも、と思ったりもして。 であれば、ちゃんと作れたらそこそこ面白くなる可能性が。…む。考えてみたら壁だか天井だかにつかまる仕様も悪魔城伝説じゃないのか。夢ってのは、こうやって記憶を整理してたのだな…。

#3 [anime][neta] 顔芸も手描きの武器じゃなかろうか

思考メモ。

随分前に、とあるアニメーターさんが、「顔芸なんて価値はない」みたいなことを ―― 記憶が定かじゃないけど、たしかそういう感じの一文をつぶやいてた場面を見かけた…ことを某アニメを見ている最中に思い出してしまったり。

当時、その一文を読んで、「いや、それは違うのでは」と思ってしまった、そんな記憶が。

と言うのも…。

自分はCG大好き人間なので、常日頃アニメを眺めていても、「手描きの強みって何だろうなあ」みたいなことをついつい考えちゃうのだけど。そういう視点からすると、顔芸だって手描きならではの立派な武器の一つじゃないのと思えてくるからで。

だって、3DCGだの、After Effectsを駆使して実現したカットアウトアニメの類で、「賭ケグルイ」や「ボールルームへようこそ」は作れないもの…。どちらも顔芸だらけのアニメだけど、アレをポリピクに作れるか? 無理でしょ。例えばLive2Dで作れるか? 無理でしょ。ああいうのは手描きならではでしょ、と。

ところが、手描きの強みを活かしてるのに蔑まれてしまうという。なんだかな、と。

それに…。単なる止め絵の1カットだけを見せて、ソレを見た人が「怖い」「気味悪い」「楽しそう」「可愛い」等々を一瞬にして思ってしまう。それってスゴイことだよなと。たったの1カットでお客さんの気持ちに変化を与える。どう考えても武器になる。

娯楽映像の勘所とは何か。見てる人の気持ちを動かせるかどうか、だろうと。そして、お客さんの心を揺さぶる手管に貴賤は無いはず、と思うのだよなあ…。高度な技術を駆使したから偉いとか、ひたすらこだわったから偉いとか、そういうものじゃないよなと。だから「顔芸なんて」という言には「いやいや、アレはアレで」と思ってしまうという。

とは言うものの。「手描きの強さって他にも色々あるだろ」「顔芸だけに頼った作りはいかがなものか」という話であれば、「ああ、それはそうかも」とも思ってしまうのですが。アレかな。顔芸だけのアニメを何かに喩えるなら、辛さだけを売りにしたカレー専門店、甘さだけを売りにしたケーキ屋さん、みたいなものなのかな。偏り過ぎてもなんだかアレだなと。

でも、カレー専門店より定食屋のほうが偉いんだ、てのも違う気もする…。お客さんが満足するなら専門店でも定食屋でもどっちでもいいよなあ…。む。食べ物に喩えるのは違うな。だってアニメは娯楽商品、嗜好品だから。見なきゃ死んじゃう類のものではないし。

まあ、元々は、「俺、顔芸ってあまり好きじゃないんだよね」ぐらいの軽い話で「価値は〜」と呟いたのかな、とも想像するのですが。娯楽映像作品って嗜好品だから、そりゃ好き嫌いは絶対出てくるわけで、口に合わない人だって当然居るよな、とは思うのでした。

見る人の感情を揺さぶる何か。 :

「娯楽」に携わる側が、見る人の感情を揺さぶる何かを不当に低く評価するのは、ちょっと危ないんじゃないかなと思えてきたりもして。

例えばだけど…。
  • 昔、実写畑の人達からアニメは馬鹿にされてた。というか前からアニメ作ってた人達も「鉄腕アトム」を馬鹿にしてた。TV紙芝居とか揶揄されてたっけ。考えてみたら、紙芝居自体も馬鹿にされてたのだな…。
  • 昔、特撮映画や特撮ヒーロー番組は馬鹿にされてた。あんなの子供騙しだ、ジャリ番(ジャリ向け番組)だと揶揄されてた。
  • 昔、宮崎アニメは馬鹿にされてた。絵柄が古い、馬糞臭い、こんなの絶対ヒットしない、とか言われてた。
昔はアレもコレも馬鹿にされてた。でも、今は、それらに対してそういった評価を下してる人は(あんまり)居ない。

当時低評価を下した方々は、TVの前の子供さん達がそれらを見て「一喜一憂」してることを完全に見落としてた、だから見誤ったのではないかなあ、などと思うわけで。

客が「一喜一憂」する ―― 見る人の心を揺さぶるアレコレは、娯楽商品として通用するための強力な何かを絶対に持ってるはずで。故に、それらが後に正当(かどうかは分からんけど、まあそこそこ)な評価をされる可能性があったりするよなと。

で。顔芸だって、一目見ただけで視聴者の感情が揺さぶられてしまう手管なわけだから…。「顔芸に価値はない」と言っちゃうのは、「アニメなんて見る価値もない」的発言をしてた人達とかなり近いところに居るんじゃないかという不安が。それを提示することで見てる人の気持ちが変化するのか変化しないのか、そこって大事だよなと。そこが見えてないとマズイよなと。

アニメを馬鹿にしてた日本の実写畑が、その後どうなったかを思い返せば…。顔芸すら馬鹿にしてしまう作り手が、未来で何かを掴めるとは、ちょっと思えないというか…。技術面では高度かもしれないけどお客さんの気持ちがさっぱり動かない何かに辿り着きそうで…。いやまあ、そこらへんを考えるのは演出家と呼ばれる方々の仕事なのかもだけど。

てな感じのことを唐突に思い出して考えてしまったのでメモ。思考メモ。

顔芸はどうして有効なんだろう。 :

顔芸はどうして有効なんだろう、てなあたりが気になり始めたりもして。

アレかな。自分達人間は、日常生活においてコミュニケーションをとる相手の表情を見ながら、そこにある感情を類推して自身の言動を決めてるわけで。視聴者側が毎日毎日飽きもせずにやってることだから、情報伝達ルートとしては手っ取り早いのだ、てな感じなのかな。まあ、コストパフォーマンスは高いよな…。

アニメはデフォルメで成り立ってる表現手法だけど、顔芸も当然デフォルメによるところが大きいよなと。微妙な表情の差異を見せるのではなく、誇張して提示することで、小さい子供が見てもそのキャラがどんな感情を持ってるか瞬時に理解できる、てなところが強力、なのだろうか。しかしそれはそれで、なんでもかんでも咀嚼して与えてしまうのもどうなんだ、てな疑問も。微妙な表情の差異を提示して読み取ってもらう楽しませ方だってあるんじゃないか、とも思えてきたりもして。ただ、それをアニメで行うためには、実力を持った絵描きさんが必要で…。微妙な違いにこだわるための時間も必要になるし…。制作状況がソレを許すか許さないか、という問題が…。

表情の抽象化のバリエーションが膨大なあたりも魅力、だったりするのだろうか。そのあたりは漫画文化が普及した国ならでは、だろうけど。同じ感情でも、どんな抽象化をして表現するかで、作家や作品の独自性が出てくるというか…。各作品を眺めてると、時々、「えっ。ここでこの記号持ってくるか」と驚かされる時もあるし。全てが予想通りより、時々飛躍があると面白いわけで。ただ、あまり飛躍し過ぎると見る側がついてこれなくなって「理解不能」=「つまらない」と思ってしまう人達も出てくるけど。このあたり、ハイコンテクスト文化によって日本のアニメは成立してる、てな話になってくるのだろうか。

待てよ? 考えてみたら歌舞伎役者を描いた浮世絵もソレなんじゃないか。もしかして顔芸とは、浮世絵の復権? アニメも浮世絵も線画で絵を構築していくという共通点もあるわけで…。

「顔芸って何なんだろう」と考え始めると、眠れなくなりそう… (;´〜`)

#4 [anime][neta] アニメキャラの顔のしわ

思考メモ。考えが全然まとまってないので箇条書き。

以上、1 日分です。

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