mieki256's diary



2016/01/28(木) [n年前の日記]

#1 [zatta] 昔の文献に書かれた地震や津波の情報は十中八九正しいのではないのかな

思考メモ。

_高浜原発3号機、29日に再稼働 | スラド ハードウェア という記事の中で、「昔の文献は誇張されてたりするし」みたいな話を見かけて、自分も「そうだよなー。フカシがありそうだよなー」と思ってしまったのですが。

しかしその後、考えてみたら、「いやいや待て待て。それってホントか? 地震や津波に関しては誇張なんかしないんじゃないか? できるだけ正確な状況を書こうとするんじゃないの?」と思えてきたのでした。

これがもし、当時の権力者を誉めそやす系の、「○○様はこのような素晴らしい行いをしました」てな記録であれば、フカシ・捏造がバンバンあるだろうと思うのですけど。権力者や権力側に対してゴマをするために、話を大きくしたり、話を作っちゃうのって、人間の心理としてはよくあることなわけで。

でも、地震や津波等の自然災害の記録は、コレは全く別じゃないかなと。

例えばの話、現代に生きる我々が、blogや、Twitterや、Facebookに、「今日、地震があった」とメモするとして。本当は震度1の地震だったのに「今日、震度5の地震があった」と、わざわざ誇張してメモするものだろうかと。

しませんよ。するわけないですよ。できるだけ正確に、「震度1の地震だったらしい」とかなんとかメモするでしょうよ。私達は、小松左京さんでも月刊ムーでもないんだから、「○○半島は何日で海に沈んだ」とか「○○大陸は一夜で海に沈んだ」とか、そういうことをスラスラと書き残しませんよ…。

自分達が、そういう誠実な記録の仕方をするのだから、昔の人だってそういう記録の仕方をするんじゃないですかねえ。だって、地震や津波を誇張したって、一切何の意味もないわけで。地震や津波が、「よくぞ俺のアクションをよりビッグに書いてくれた」と記録者に褒美をくれるわけでもないし。

なので、地震や津波に関する昔の文献に対して、「昔の文献は誇張されてる」という捉え方は危険だよなと。自分達が記録を取るとしたら誇張なんかしないのに、どうして昔の人は平気で誇張すると我々は思い込んでしまうのか。そんな思い込みを持ってしまうのは、なんだかおかしいぞ、と。

てなわけで、「文献として残ってるから正しいのだ」と盲目的に捉えるのも危ないだろうけど、「昔の文献だから当てにならん」と切り捨てるのはもっともっと危ねえぞコレ、と思えてきたのでした。と、メモ。

ていうか、たぶんコレも _正常性バイアス なんだろうけど。「そんな大変な事、起きないといいな」→「そんな事は起きないに違いない」→「昔の文献のこの記録は、何かの間違いだろう。そうに決まってる」の流れじゃないかと。東日本大震災からまだ5年しか経ってないのに、正常性バイアスに支配される危険性をすっかり忘れてる日本人。

この調子だと、俺達は、またやらかすぞ…。防げたはずのモノを防がずに、事が起きてから「仕方なかった」「想定外の」とか絶対に言い出すぞ…。何度目だナウシカ。じゃなくて日本人。

だけど昔の文献にも種類があるよなと。 :

例えば、瓦版だの新聞だのTVだの、一般大衆に広く伝えることで商売が成り立ってる系の人達は、話を大きくしたほうが刺激があって話題になるからフカシこく可能性はフツーにありそうだなと思えてきたりもして。今のマスコミがそうじゃないですか。今のマスコミがやってることは、昔のマスコミだってやってるだろうなと。

それと、伝聞は、どんどん内容が変わっていく可能性が高いよなと。だから、「聞いた話だけど…」として書かれてる記録は、事実とはちょっと違う内容になってる可能性があるよなと。大きくもなるだろうし、小さくもなるだろうし。

だから、昔の文献と言っても、
  • 記録者当人が体験したのであろう自然災害に関する記録なら、これはたぶん正しい。誇張して記録する意味が無い。
  • 一般大衆向けのメディアだったものは、結構な確率で嘘八百が混ざってそう。
  • 伝聞は、内容が変わってる可能性がちょっと否定できない。
てな感じで、種類があることを意識した上で捉えないとヤバいだろうと思えてきました。

まあ、少なくとも、件の記事についてたコメントや、ソレを読んで「だよなあ」と思ってしまった自分のように、「昔の文献=怪しいところがある」という決め付けは、これはダメだなと。「昔の文献」で一括りにしてんじゃねえぞ、せめて「どのカテゴリの文献だろう?」ぐらいの疑問は持ちやがれ、今後は気をつけろ>自分、と思えてきました。

未来の日本人からおそらく信じてもらえない現代の日本人。 :

昔の人は、おそらく、「こういう大変なことがあったから、子孫は気をつけろよ…」てな気持ちで記録を残してたところもありそうだよなと思うのですけど。それを、「昔の文献だからなー」とかニヤニヤしながら信じようとしない現代の日本人、という図式があるわけで。

ということは、この調子だと、東日本大震災の記録も、未来の日本人は信じないだろうなと。

何せ、今ですら、「アポロが月に行ったなんて捏造だ」と言い出す人が居るわけで…。おそらく50年後ぐらいには…

「東日本大震災なんて無かった!」「あんなものは捏造だ」
「こんなところまで津波が来るわけねえだろ」
「津波の記録映像とか言ってるけど、パニック映画のCG映像だろ」
「ホラ、ここの部分が不自然だ。だからこれはCG! 津波なんて無かった!」
「東日本大震災を信じてるとかお前バカじゃね?www」

などと、したり顔で言ってる日本人がワラワラ居るんじゃねえのかな、などと思えてきたりしました。

現代の日本人が昔の文献に対してそういう反応をしてるんだから、未来の日本人も現代日本人の残した記録に同じ反応してますよ…。そして実際に起きてみてから、「アレってマジ情報だった…」「なんで対策しておかなかったんだ…」と顔面蒼白になってるんですよ。たぶん。

「賢者は歴史から学び、愚者は経験から学ぶ」と言うけれど。日本人はどこまで行っても愚者の集まりの民族ですよ。まったくもう。 *1

*1: _誤解されている「愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶ」 - Togetterまとめ によると本当は意味が違うらしいけど、ここはあえて都合のいいように捻じ曲げて使ったほうがそれっぽくなるかな、と…。いや、昔の人=他者、と捉えたら合ってる気もするけど。

以上です。

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