2015/08/11(火) [n年前の日記]
#2 [anime] 「下ネタ」アニメが気になる
BS11で放送されてる、「下ネタという概念が存在しない退屈な世界」というタイトルのアニメを興味深く視聴していたり。
内容は…例えばノイタミナで放送されてた「PSYCHO-PASS」が、万人におススメできそうな「表のディストピアモノ」だとすれば、「下ネタ〜」は「裏のディストピアモノ」とでも言えばいいのかしら。違うか。いや、結構合ってるか。合ってるのか? 本当にそうか? どうなんだ。
作品の世界設定は…。日本の社会から性を売り物にしたあらゆるコンテンツが権力により撲滅されて、紛うことなき「美しい日本」「清浄な社会」が実現しましたよ、てな設定で。その中で、表現の自由を獲得すべく、その作品世界においてはほとんどテロ活動に等しい行動へと走っていく若者達の姿を描く、みたいな感じの話なのだけど。要するに「図書館戦争」を特定ジャンルに限定して見せている作品、とでもいうか。
などと書いてはみたけれど。実際の本編はひたすら下ネタを叫びまくってるだけなので…。つまりはギャグアニメなのですけど。何せOP歌詞からして、「引き抜け 君の○クスカリバー」ですし。
しかし、見ていて苦笑しながらも、結構考え込んでしまう瞬間があって。
何せ日本は、一応は憲法で「表現の自由を保障」と言っているのに…。
それとは別に。コレはもしかすると、江戸時代に幕府からのお達しで規制がかかった際に、ちょっと捻った内容にして劇として見せてた町人文化のソレに近いのかもしれないよなあ、とも。真面目な顔してお上に面と向かって抗議や主張をするのはなんだか無粋だよな、この厳しい状況を作品として昇華してみせてこそ戯作者ってもんじゃあねえのかい? それが粋ってもんよ、てなノリのしたたかさ・バイタリティを現代においても感じないでもないというか。
かといって、本編内容が絶賛できる出来かと言うと全くそういうわけでもなくて。「表現の自由って何だろう…。好き勝手やっても構わない、というモノではおそらくないよなあ…」と悩み始めてしまうぐらいに中身が酷いというか頭がおかしい内容だったりするわけで。
ということで、バカバカしい内容のはずなのに実は深いんじゃないかと不安になってくる不思議な作品だな、と思いながら視聴しているのです。方向性はともかく、全力でアクセル踏んでる印象を受けるので…自分は、こういう作品、結構好きです。アクセル踏んでる作品、好きですわ。方向性はともかく。方向性はともかく。
全然関係ないけど、謎の白い光が無粋と言うか芸が無いことを毎回認識させてくれるあたり感心していたり。このアニメのように、やっぱり変な絵で隠したほうが、ちょっとは面白くなるなと。娯楽作品たるもの、隠し方にも一工夫が欲しいというか、そんな部分にも芸は存在するのだと感じられるというか。
原作者が脚本を書いた回も興味深い内容だったなと。Aパートはひたすら規制音が鳴り続ける作りだったけど、おそらく元の台詞はそんなにヤバイ台詞じゃなかったのではと想像するわけで。ありとあらゆるものを「アレもダメ。これもダメ」とひたすら隠しまくってると、かえってヤバイことになるよねと見事に証明したシーン、だったような気もしたけれど、実はやっぱりヤバイ台詞だらけだったのだろうか…。あるいは、あのシーン、直接出さないで、丁寧に、執拗に、隠しまくることでも面白いシーンに変貌するんだぜ、と証明していたところもありそうな。
まあ、色々考えさせられてしまう作品だなと思いながら眺めています。とメモ。
内容は…例えばノイタミナで放送されてた「PSYCHO-PASS」が、万人におススメできそうな「表のディストピアモノ」だとすれば、「下ネタ〜」は「裏のディストピアモノ」とでも言えばいいのかしら。違うか。いや、結構合ってるか。合ってるのか? 本当にそうか? どうなんだ。
作品の世界設定は…。日本の社会から性を売り物にしたあらゆるコンテンツが権力により撲滅されて、紛うことなき「美しい日本」「清浄な社会」が実現しましたよ、てな設定で。その中で、表現の自由を獲得すべく、その作品世界においてはほとんどテロ活動に等しい行動へと走っていく若者達の姿を描く、みたいな感じの話なのだけど。要するに「図書館戦争」を特定ジャンルに限定して見せている作品、とでもいうか。
などと書いてはみたけれど。実際の本編はひたすら下ネタを叫びまくってるだけなので…。つまりはギャグアニメなのですけど。何せOP歌詞からして、「引き抜け 君の○クスカリバー」ですし。
しかし、見ていて苦笑しながらも、結構考え込んでしまう瞬間があって。
何せ日本は、一応は憲法で「表現の自由を保障」と言っているのに…。
- 手塚治虫先生その他の漫画を「悪書」呼ばわりして、学校の校庭に山のように漫画本を積んで火をつけて燃やしたり。
- スカートめくりがけしからんと永井豪先生をTVに出してよってたかって糾弾したり。
- 宮崎勤事件の際は漫画やアニメを見てるだけで犯罪者予備軍扱いされたり。
- 非実在青少年が云々で条例が作られたり。
それとは別に。コレはもしかすると、江戸時代に幕府からのお達しで規制がかかった際に、ちょっと捻った内容にして劇として見せてた町人文化のソレに近いのかもしれないよなあ、とも。真面目な顔してお上に面と向かって抗議や主張をするのはなんだか無粋だよな、この厳しい状況を作品として昇華してみせてこそ戯作者ってもんじゃあねえのかい? それが粋ってもんよ、てなノリのしたたかさ・バイタリティを現代においても感じないでもないというか。
かといって、本編内容が絶賛できる出来かと言うと全くそういうわけでもなくて。「表現の自由って何だろう…。好き勝手やっても構わない、というモノではおそらくないよなあ…」と悩み始めてしまうぐらいに中身が酷いというか頭がおかしい内容だったりするわけで。
ということで、バカバカしい内容のはずなのに実は深いんじゃないかと不安になってくる不思議な作品だな、と思いながら視聴しているのです。方向性はともかく、全力でアクセル踏んでる印象を受けるので…自分は、こういう作品、結構好きです。アクセル踏んでる作品、好きですわ。方向性はともかく。方向性はともかく。
全然関係ないけど、謎の白い光が無粋と言うか芸が無いことを毎回認識させてくれるあたり感心していたり。このアニメのように、やっぱり変な絵で隠したほうが、ちょっとは面白くなるなと。娯楽作品たるもの、隠し方にも一工夫が欲しいというか、そんな部分にも芸は存在するのだと感じられるというか。
原作者が脚本を書いた回も興味深い内容だったなと。Aパートはひたすら規制音が鳴り続ける作りだったけど、おそらく元の台詞はそんなにヤバイ台詞じゃなかったのではと想像するわけで。ありとあらゆるものを「アレもダメ。これもダメ」とひたすら隠しまくってると、かえってヤバイことになるよねと見事に証明したシーン、だったような気もしたけれど、実はやっぱりヤバイ台詞だらけだったのだろうか…。あるいは、あのシーン、直接出さないで、丁寧に、執拗に、隠しまくることでも面白いシーンに変貌するんだぜ、と証明していたところもありそうな。
まあ、色々考えさせられてしまう作品だなと思いながら眺めています。とメモ。
[ ツッコむ ]
以上です。