mieki256's diary



2015/08/17(月) [n年前の日記]

#1 [zatta] 1984年にCGなんてあったっけか

いや、あったと言えばあったけど。今のイメージとは、ちょっと…。

_フィラデルフィア・エクスペリメント(1984) - みんなのシネマレビュー を眺めてたら、1984年の映画なのに、レビューを書いてる人達が「CGが」「CGが」と書いていて。「は? CG? どゆこと?」と思ったわけで。あの頃、CGなんてもんは映画で使えるレベルじゃなかったような…。違ったっけ? どうだったかな。合成作業だってフツー(?)にフィルムだよなと。

ひょっとして、今時の世間様は、特撮・合成映像のことを全て「CG」って呼んでるのかな。…ちょっと待ってくれよ。それはさすがに色々と困る。例えば最初のウルトラマンの映像を見て「うわっ。CGショボwww」とか言っちゃうのだろうか。ソレはマズイ気がする。

それとも…。件の映画の中でも、当時なりに頑張ったCGカットが存在するのだろうか。しかし、当時のCGってどんなレベルだったっけ。

てなわけで、ちょっと気になってググり始めたわけで。

当時のCGと言えばレンズマン。 :

「CGを使ってるんだぜ! どや!」と宣伝してた、 _アニメ映画版レンズマン は、ちょうど1984年の作品。あの頃のCGなんて、 _あんなレベル だよなと…。それでいて手間はめちゃくちゃかかってて…。

_JCGL 制作部の伝説(198X年) - 1980年からプログラマしています で興味深い話が。
 NYITのレンダリング・アルゴリズムは、Zバッファだった。今では当たり前のテクスチャ・マッピングすらなかった。Zバッファでは、アルゴリズムの都合上、透明体の表現ができない。レンズマンの映像ディレクター大口孝之氏は、オプチカル・プリンターで、20枚ものCG画像をコンポジットをして、レンズマンのオープニング・シーケンスを作り出した。

JCGL 制作部の伝説(198X年) - 1980年からプログラマしています より

今なら合成作業と言えば当然CGで、だろうけど。当時はどうやら「CGで合成? 何言ってんの」状態で、レンダリング結果を _オプチカル・プリンター で合成するのが当たり前、かつ、レンダリングアルゴリズムの欠点すらソレで補っていたと…。コンピュータの計算で光らせてるんじゃなくて、フィルム撮影技術、アナログ技術を駆使してCGを光らせてたと…。頓智の世界…。

CGと言えばピクサー。 :

_ピクサー の設立が1986年。

なのだけど、ピクサーは元々ILMのCG部門だったはずで…。ILMが手掛けてた、 _スタートレックII カーンの逆襲 が1982年。 _ヤング・シャーロック/ピラミッドの謎 は1985年。ヤング・シャーロックでは、ステンドグラスから出てくるアレをCGで作ってて、当時話題になったような…。

_GTC - ルーカス・フィルム、映画制作の在り方を変えたGPUのパワーについて講演 (1) 模型ベースの特撮からCGへ | マイナビニュース で少し紹介されてた。記憶は合ってたらしい。

「アビス」が1989年、「ターミネーター2」が1991年か…。たった数年で、結構レベルが上がってるなあ。もちろん今見るとアレだけど。

当時のPC(パソコン)と言うと。 :

今はもう、個人でもPC使ってCG映像を作り放題だけど。1984年前後の状況は…。

_MZ-700 が1982年の発売だったらしい。 _野球拳がこんな感じの画面になる PCで。もちろんこんなPCで、CG映像なんか作れるわけがない。

_Macintosh が1984年の発売。あの頃は白黒画面だったっけ。

_パソコンの歴史 1984年 というページにまとまってた。画面はえてして8色〜16色しか出せない時代、なのですな…。

そういや当時のコンピュータ関係の本で、「コンピュータでアニメーションを作ろう!」→「まずは、8ミリフィルムカメラをコンピュータから制御する回路を作ります」→「コレで1コマずつ画面を撮影できるよね?」→「アニメーションが作れますね!」という内容を読んだ記憶も。

考えてみたら、当時のPCスペックでは、24コマ/秒で静止画を次々に表示するところからして無理だったなと。記録媒体もカセットテープだったし…。どこから画像データ読み込んでくるんだよ、みたいな。カセットテープからの読み込みは、600ボーとか1200ボーとかそんな速度だから…1秒間に1200bit = 150Byte、24コマ/秒なら1コマ50bit = 6.25Byteですよ。1コマ、英数字6文字分の情報量で、一体どんな絵が出せるのかと。そりゃ「1コマ出来たらフィルムで撮影して残しておこうぜ!」って話になりますわ。

そんな調子だから、当時、映画用のCGカットを作るなんて、めちゃくちゃ金がかかったんだろうなと…。

でも、 _パソコンの歴史 1986年 によると、X68K が 1987年の発売だったらしい。たった数年で32768色(65536色?)が出せるPCが買えるようになったのか…。X68Kが登場すると、DoGAの話も出てくるから、個人でもどうにかCG映像を作れる、という話にもなってくるのかしら。

その前に _Amiga があったか…。1985年に発売されたらしい。 _LightWave 3D がいつから存在してたのかはググっても分からなかったけど、VideoToaster なる動画編集用ハードウェアがあったぐらいだから、もうその頃はPCで動画編集する未来がフツーに見えてたんだろうなと。

#2 [nitijyou] 歯医者に行ってきた

一応メモ。後で読み返して何かしら思い出さないといかんかもしれんので。

雨の中、近所のS歯科まで徒歩で。ちなみに場所は須賀川第二中学校の近く。郡山方面に道路を下りていった右側。

以前連絡をしたときの感じからすると、どうせ予約を入れようとしても1〜2週間後になってしまうのだろう、それまで痛み止めを飲みながら耐えられるだろうか…。などと暗い気持ちになりながら、朝、予約の電話を入れてみたところ、幸い予約キャンセルがあったので今日中に診察できるとのお話で。助かった…。マジ助かった…。キャンセルしてくれた方、ありがとう…。

予想通り、Iデンタルクリニックで治療・冠をかぶせた3本のうちの1本がアレだった。根の部分が炎症を起こして膿んでしまっている、とのお話。

冠を外して、おそらくは化膿止めの薬っぽい何かを詰めて蓋をして、という感じの治療だったけど…。冠を外すのがとにかく大変で。削って、何かの器具でグリグリギリギリして、また削って、またグリグリギリギリして。

根の部分だから麻酔は使えないとのことで、治療してもらってる間、「ウッ」「ウウー」「グッ」と痛みで思わず声が。うるさくてスイマセン。ヘタレなもんで…。でもホントに痛くて…。ミシッとかギシッとか怖い音もするし…。治療が終わってみたら全身汗びっしょり。

今週の中頃にまた診察してもらえるらしい。2週間後とか言われたらどうしようかと思った…。助かった…。

一応先生に、どういう状況か、治療がちゃんとされてなかったのかと尋ねてみたら、炎症が再発したのだろう、との回答で。ざっくりとした状況は分かったけど、前の治療がどうだったのかは分からずじまい…。

化膿止めの薬と、痛み止めの薬を出してもらった。化膿止めは、1日3回食後に服用。痛み止めは、やはりロキソニンで、痛みが酷い時に飲んでくれとのこと。

余談。 :

そういえば、十数年前とは内装が違ってたような…。改装したのかな…。と思ったけど、前と変わってないのかな…。N歯科の内装と記憶が混ざってる気もしてきた…。

Iデンタルクリニックもそうだったけど、待合室に歯の治療関係の本が一冊も無かったのが微妙に気になる…。なんだか、待合室にその手の本を山ほど置いてある歯医者さんと、一切置いてない歯医者さんが居るよなと。あの違いはどこから来るんだろう。そこで歯医者さんの傾向を判別できたりするのかしらん。

まあ、今時は予約を入れるのが当たり前になってるから、本来なら患者さんが待合室でその手の本を読んでる時間も無いはずだから本は要らないはず、という判断だってできたりもするのかな。

以上、1 日分です。

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