mieki256's diary



2013/12/14() [n年前の日記]

#1 [nitijyou] 雪がうっすら積もった

朝になったら積もってた。もう、自転車では走れない時期だなあ。

#2 [anime] 漫画だけができる話の終わらせ方

「俺の脳内選択肢が〜」の、おそらくは最終回?を視聴して、「なんだか『うる星やつら』を思い出すなあ…こういうドタバタは好きだわ…」と思ったのだけど。

「うる星やつら」アニメ版をぼんやり思い出しながら、「そもそもこういうドタバタした感じの終わらせ方って、アニメでは難しいよな。漫画ならともかく」と思えてきたり。

「うる星やつら」の原作漫画は、えてして毎回、最後のコマが、ページの1/2〜1/3ぐらいを占めていて。たくさんのキャラがギッチリ描き込まれて ―― ウォーリーを探せみたいな状態で。それぞれが混乱したやり取りをして、ドタバタして終わる、という形が一つの様式美になっていたのだけど。

それを、小説、もしくはアニメで、そっくりそのまま再現しようとすると、これはもうほとんど無理で。各人のやり取りを、一つ一つ時分割して、順に並べて、読者・視聴者に見せていくしかなく。もし、それらやり取りを、漫画と同様に1カットで同時に収めようとすると、ゴチャゴチャドタバタしてることだけは伝わるけれど、そこで何が起きてるのか視聴者側が理解することは不可能で。

漫画は、そこで起きてることを、並列で見せることができるけど、小説やアニメは、直列でしか見せられないというか。

画とテキストを併存させて、時間制御を読者に任せて、読者自身は一つ一つシーケンシャルに情報を理解していくけれど、全体としてはソレが同時に起きていると認知できてしまう ―― そんな見せ方は、漫画じゃないとできないなと。

そんなわけで、「こういう終わり方は懐かしいなあ」と思いながらも、「漫画にしかできない見せ方ってあったんだな」とも思えてきたのでした。

逆に考えると、漫画ではできないけれど、アニメならできる見せ方ってのもありそうだなと。いや、間違いなくたくさんあるだろうけど。たぶんこっちは、そういう特徴に気付かないまま、ぼんやりと見ちゃってるんだろうな…。

アニメでもそういう見せ方できないかな。 :

漫画のソレを読む時も、一つ一つのやり取りを、読者は一つ一つ追いかけて読んでるわけで。それが一つのコマに収まってるから、「コレは同時に起きてることだ」と認知するわけで…。

そう考えたら、アニメでもできるんじゃないのかと思えてきたり。一つのコマに収めるという漫画のソレを、別の何かで代替すれば済む予感。

うむ…。なんだか、そういう見せ方をしてるアニメのシーンがいくつか思い浮かんできましたよ。漫画のああいう感じは、そっくりそのままできないとしても、かなり似たようなことはできるなと。

「こんなの○○で表現できねえよ」とか迂闊に思い込んだらいかんですな。「なんとかできねえかソレ」とジタバタすれば、何かしら出てくるけど。「できるわけねえよ」と思い込んでたら永遠に出てこないなと。そんなことを思ったり。

#3 [anime] まどかマギカ、ほむほむの回を視聴

BS11で放送されてるソレを見たけど。やっぱり何度見ても、クるわ…。

ほむほむの能力に制限をつけた・当面はたった一つだけ願いを叶えたことで、魔法少女らしからぬ行動を次々にとらざるを得なくなっていくあたりに感心。魔法少女という設定はどう考えても非現実的なのに、妙に現実的な展開が加えられていくことで、一見すると笑えてしまうのだけど。しかし、笑った後に、それを実行してるのが年端もいかない少女であったことを思い出して、次第に怖くなってくる。その、怖い行為を、どうして実行してるのかと言えば、そこには当人の強い想い・決心・周囲を信用できない絶望感があるが故で。…やっぱり上手い脚本だよなあ、と思えたり。

#4 [zatta] 未来の日記を書いてたり

なんやかんやで、 _DXRuby Advent Calendar 2013 に参加することになりまして、12/19に公開する予定の記事を書いていたり。要するに、未来の日記を書いているわけですけど。

スクリプトソースは3日前に書き終えていて、解説文をようやく書き始めたけど。分量が多くなって、どうしたもんかと。初心者向けの解説部分をバッサリ削ろうか…。でも、そこを削ると、その後に出てくるスクリプトの必要性が分からなくなるし。どうしようかなあ。

参加云々。 :

参加云々は、ちと悩んじゃったところもあって。どの記事もレベルが高いのに、自分が参加してもええのかな、とか。 DXRuby作者様からのお誘いは断ってしまった後で、イベント主催様からのお誘いは受けてしまってええのかな、とか。だけど当時(?)は、
  • 公開記事が少なくて、イベントのイメージが掴めなかった。
  • 自分自身、そういった記事を書いたことが全く無かったので、完全に自信がなかった。
という状態で。そこから、
  • 公開記事が増えてきて、どんなイベントなのか、ぼんやり分かってきた。
  • それっぽい記事を自分でいくつか書いてみたら、ちょっとだけ変な自信もついてきた。
と状態が変わってきて。それに加えて、
  • 主催様から、「ここ数日の日記に書いてるレベルでいいスよ」と言ってもらえた。
ので、「自分の日記を眺めた上で『これでもOK』と思うのであれば…」と。

とは言え、自分が書く予定の記事は、他の記事と比べたら絶対に頓珍漢な内容になるだろう、という妙な自信もあるのですけど。まあ、「枯れ木も山の賑わい」と申しますし…。DXRubyという山が大きくなればなあ、と願う気持ちは皆様と同じであらう、ということで御海容いただければと。

このあたり、もし来年も開催するのであれば、少し楽になりそうだな、とも。「去年はこんな感じでした」と提示すれば、イベントのイメージを掴んでもらうこともできるだろうと。なんでもそうだろうけど、前例の有無は大きいですな。

未来の日記云々。 :

考えてみたら、「未来の日記」を書くなんて、この日記ページを書き始めて以来、初めての体験だなと気付いたり。

日記を書くのを忘れていて、後になって数日前のことを思い出しながら無理矢理書き留める、なんて場面は数え切れないほどあったけど。過去は書いても、未来の事なんて、書いたことはないよなと…。

ここに来て、何かの禁を破ろうとしてる、そんな気分にもなってきたり。

そもそも自分、Web日記とblogは、性質が違うような気がしていて。
  • その日あったこと、その日見たこと、その日考えたことを、だらだら書き残すのが日記。
  • 数日〜数ヶ月かけて、内容をじっくりと煮詰め、ジャーナリストや研究者にでもなったつもりで、ドカーンと発表するのがblog。
そんな勝手な定義の違いが、自分の中にありまして。

なもんで、
「日記の中に、blog記事を書いていいのだろうか…? もしかすると、Wikiとか、単なるhtmlとか、 _Qiita とか、そういうところに書き残したほうがスッキリしないか?」
「そこまでカッチリ考えることでもないやろ。たまにはこーゆーのもいいんじゃね?」
てな間で悶々と。自分、めんどくさい人間だなあ…。

Qiitaが出てきた頃、「こういうサービスって意味あるのかな。プログラマーさんはえてして自分のblogで書いちゃうんじゃないか」と思ってしまったのですけど。自身のblogに載せるのはちょっと、と躊躇してしまう属性の記事も、Qiitaなら書けるという需要はあったのだろうなと…。未来の日記を書き始めたことで、今頃気付いた次第。

以上、1 日分です。

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