mieki256's diary



2013/11/23() [n年前の日記]

#2 [zatta][neta] 「センス」という単語は魔法の言葉だなと思った話

とある有名人らしき方のblog?メルマガ導入部?を眺めてたら、「センスが」「センスが」と連発していて。それを読んでるうちに、「『センス』って単語は便利だなあ。魔法の言葉だな。万能だな。ジャンルを問わず、何にでもくっつけられるし。中身空っぽなのに、ちょっとだけそれっぽく聞こえちゃうし。便利過ぎるわー」と妙な感心を。

まあ、その記事を書いてた方は、基本的に頭がいいほうの人なのでしょうから、冗談・皮肉・読者に対するフィルタリングの類としてわざと使ってるのかな、とも思ったのですけど。例えば、「AVは熟女モノに限るよな」「お前、センスあるな!」とかそういうやり取りって笑えるし。「センス」の一言で納得しちゃう読者のレベルなら詳細な説明も無駄なだけだし。なので、ソレはソレでそういうもんだと横に置いておくとして。

ただ、真面目に本気で、「センス」という単語を使って「俺は言ってやったぞ」みたいな気分になってる人が居たとしたら…ソレはちょっとマズイのかもな、と思えてきて。

「センス」云々って、それ単体では、ただのレッテル張りでしかないので。中身ゼロ、空虚な言葉ですし。まあ、理由をくっつけながら使うと強力な言葉になるんですけど。単体では…ねえ…。

なので、

「『センス』を言い出す人の話なんて、耳を傾けてやる必要無し。聞く価値ゼロ」

と即断してもいいのかもしれないなー、と思えてきたのでした。

このへんの話って、もうちょっと説明が必要なのかしら…?

以下は、もやもやと考えてしまったソレをメモ。ただの思考メモです。

「センス」は物差しに非ず。 :

例えば、「〜を好む人はセンスがある」みたいな物言いができたりするわけですけど。その直後、相手も、「いいや。それは違う。〜を好む人はセンスがない」と言い返すことができてしまいますよね。

コレ、変ですよ。ちゃんとソレについて考えているなら、それぞれ別の視点から見ないと、正反対の評価なんて出てこないはずで。「センス」という、“同じ物差し”を持ち出して事象を測ってるはずなのに、同時に正反対の評価が下せちゃう。これはおかしい。その「センス」って物差しは、一体何なの? 物差しになってないじゃん。どうしてこんなことになっちゃうの?

そこに明確な理由が提示されてないから、ですわな。物事の是非を判断するための基準・モノの見方 ―― つまりは「理由」がそこにない。だからこんなおかしなことが起きる。

「センス」云々は、「単体」では中身が無いのです。基準・物差しとして機能しないのです。「センス」という単語を使って、「評価」ではなく、レッテル貼りに終始してるから、正反対のレッテルも即座に貼れてしまうわけですよ。

「センス」云々は、「お前の母ちゃんでべそ」みたいなもんで。
  • 母ちゃんが出べそかどうかの事実関係を検証する必要もなく。
  • 母ちゃんが出べそだったら、どこにどんな影響を及ぼすのか検証する必要もない。
全く持って意味不明の言葉なわけですけど。しかし、そういう物言いは、誰でもできちゃう。子供でもできる。ソレを言い出した人は、相手をなじって否定できてるような、そんな錯覚で満たされてしまう。…これも、レッテル貼りと呼ばれる現象の一例、ですけど。

なので、「センス」「センス」と言ってる人は、「お前の母ちゃん出べそ」レベルのことしか言えない人なので、スルーしたほうがいいと思うのです。

でもまあ、世間一般では、「センス」云々って「俺はコレが好き(嫌い)」程度の意思表示でしかない場面がほとんどかな、という気も…。物差しとして使ってるつもりの人ってほとんど居ないんじゃ…。いや…たまに見かけるような気がしないでも…どうなんだろ。

「センス」なんて単語は本来使う必要が無い、はず。 :

「どうして自分(他者)はコレが好き(嫌い)なんだろう?」。そんな“極めて簡単な問い”を自分に投げかけて、“ほんのちょっと”でも分析の真似事をした人なら、理由の一つや二つは容易に提示できるはずでして。

要するに、ちゃんと考えることができる人・頭の中身が回ってる人 ―― つまり、本当に頭がいい人なら、「センス」なんて単語を発する必要が無いのですよ。自分が考えたことを、一つ二つ相手にチラリと見せれば、それだけで「なるほど、それはそれで一理ある」と思わせることができてしまう。だから、「センス」なんて単語は必要ない。

…まあ、それは、相手に思考力があればそういう展開になる、という話なのですけど。レッテル貼りをしてやろうと待ち構えてる人には通じないんですけどね。そういう人は、最初から「理由」を聞く耳持ってないから。

これがもし、理由を考えることができない人 ―― 頭が悪い人だとしても、「センス」なんて単語を使う必要はなくて。ただ、正直になればいい。「自分はコレが好き(嫌い)」「どうしてなのかさっぱりわからんけど、とにかく好き(嫌い)なんだ」と言えばいいだけの話でして。

「コレが好き(嫌い)」というのは、その当人とって、間違いなく事実なのだから、他者は否定できないのですよ。「いいや、お前はソレが嫌い(好き)なはずだ」と他者が否定してみても、相手の「好きだ(嫌いだ)」は全然否定できないので意味が無い。正直であることは、強いんです。揺らがないのです。

…まあ、これはこれで、その後はさっぱり議論にならないんですけどね。「俺はコレが好きだ」「そうか。俺は嫌いだ」「人それぞれだね」で話が終わっちゃうので。

ということで、本来なら、頭がいい人も、頭が悪い人も、「センス」なんて単語を使う必要はないわけですけど。

だけど世の中、「理由」を一つも思いつけない上に、「好き嫌い」すら正直に口に出せない人が居て。そういうのって、「他者から、頭がいい人と思われたくて思われたくてしょうがない人」だと思うんですけど…。

「理由」は思いつかないので、逆立ちしたって口に出しようがない。かといって、「好き嫌い」は感情論だから、子供でも口に出せるわけで、そんな物言いはバカっぽい。俺はバカっぽいことを口にして、相手から馬鹿にされたくない。馬鹿にされたくないから、意地でもそんなことは言わないぞ。と、思い込んでる人が居るんじゃないのかなと。そして、なんとか別の言い方を模索する…。アンタ今までどんだけ虐げられてきたんだよ…と想像しちゃって、なんだかちょっと可哀想な気もしてきますけど。それはともかく。

そういう人って、頭が悪いくせして、虚勢を張って、見栄を張って、カッコつけたつもりになって…。あげく、「センス」云々を口にしちゃう、のではないかなと。

頭がいい人と思われたいなら、「センス」なんて単語は絶対に言わないぞー、ぐらいのMYルールを設定しなきゃダメじゃないかなあ、と。「センス」を口にした瞬間、「あ、コイツ、頭回ってねえや」と周囲から判断されるのですから。

バカだと思われたくないなら、「センス」は使うな。考えることを諦めるな。何が何でも理由を捻りだせ。考えることを諦めちゃうなら、正直になりなよ。見栄張ってんじゃねえよ。パンツ脱げよ。自分のストリップにもっと自信を持てよ…と、松岡修造氏ノリで言ってみたい気もしてきました。自分の好みに、もっと自信持てよ! 「響子さん、好きじゃああ!」って叫べよ! 「響子さんが好きな人はセンスがある」とか言って取り繕ってんじゃねえよ! かえってバカ丸出しじゃねえか! …みたいな?

本当に頭がイイ人は、「センス」なんて口にしませんよ。そんな単語、必要無いんですから。頭が悪いことを自覚できてる人も、「センス」なんて口にしませんよ。正直に、「俺はコレが好き(嫌い)」で済むのですから。それはそれで、自分の身の丈を知っている賢い人、とも言えるわけで。

てなことを考えていくと、「センス」を口走る人は…。コレ、チョーカッコ悪いですわ。いい歳したおじさんなのに、「お前の母ちゃん出べそ」レベルの物言いしかできないのかと…。それでいて、「俺のことを『頭がいい人』と思ってくれ!」てなオーラを全身から出してるわけで。面倒臭いなあ。

まあ、このあたり、見事自分にもブーメランなんですけどね! 今、後頭部に刺さった状態でキーボード叩いてますが。

ちなみに、「チョーカッコ悪い」も、ただのレッテル貼りでして。「ワシはそういうのは好かん!」と言ってるに過ぎないんですけど。

「センス」という単語も使い方次第。 :

世間のコラムニスト・エッセイストの方々は、「センス」という単語を上手に使ってる印象があって。

例えばですけど。まず、理由を一つ二つ提示して。その直後、「他にも様々な側面があろうが、要するにセンスが無いのである」と一刀両断。

コレ、上手いよなと。説得力が全然違う。

実は、その人が思いついた理由って、その一つ二つしかないのかもしれない。だけど、「他にも様々な側面が」と書くことで、「俺はもっと色々気付いてんだけど、全部書いてたら大変だからあえて書かないことにしてるんだよ?」と読者に対して嘯いちゃう。そして、「要するにセンス」と書くことで、あらゆる理由をセンスという単語で内包しちゃう。読者・聞き手は、「センス」という単語に色んなものが含まれてるものと勘違いさせられてその気になる。本当は「センス」の中に何一つ入ってないかもしれないのに!

「技だなあ…文章で飯を食ってる人達の技だわ…」と、自分などは感心しちゃうのですけど。

そういう手管に比べたら、最初から終わりまで「センス」“しか”言えない人って、下の下ですわな…。

もっとも、Web上の記事では、またちょっと違うのかもなと。Web記事って、基本的に読み飛ばされるので、「結論を先に書いておけ」なんてテクニックが広まってたりするわけですけど。

もしかすると、Webを意識して記事を書いてる人は、最初に「センス」という結論を書いちゃって、その後、理由を提示していく、という構成を意識してたりするのかな、とも思えてきたり。「フック」だか「釣り針」だかを頭のほうに仕込んでおいて、後ろのほうの記事に興味を持たせる、みたいな技なのかなと。

だとしたら…。まあ、メディアによって手管は変わってくる、ということなのでしょうけど。

さておき。どうしても「センス」という単語を使いたければ、一つ二つは理由を捻りだして一緒に並べておくと説得力が違うかもよ、と思ったりするのでした。印刷物だろうとWebだろうと、そこは変わらないんじゃないかなと。メディアによって提示する順番は変わるかもしれませんけど。

「センス」を口にしたからと言って全発言をスルーする必要もない。 :

こんな感じで、「センス」という単語“しか”口にしない人の話なんてわざわざ聞いてあげるだけの価値はない、と結論づけられるわけですけど。

だからと言って、その人の全ての発言、その人の全人格が、あてにならないというわけではもちろんなくて。…なんだかWebを眺めてると、たった一つのエピソードから、その人の全てを否定、みたいな短絡的反応をする人をたまに見かけますけど。それは早計だよなと。

各人、守備範囲・得意分野ってのがあるわけで。例えばアニメオタクだって、作画オタク、脚本オタク、演出オタク、声優オタク、色々居るわけですよ。作画オタクが声優さんのことをよく知らないこともありえるし、声優オタクが作画についてはちんぷんかんぷんなこともあるし。100%カバーできてる人なんて居るわけがない。

あるジャンルについて、その人が、「センス」云々を言い出しても…。それはたぶん、その人にとっての苦手ジャンル・その人がカバーしてないジャンルでしかない可能性がありそうだよなと。その人が、その特定ジャンルでは頭が全然回ってなかったとしても、別ジャンルになったら途端に頭脳明晰になり、豊富な知識に基づいて、聡明な分析をし始める可能性は充分あって。

なので、「センス」云々をその人が言い出したら、「ああ、この人は、このジャンルが苦手なのか」「この人の得意分野はここじゃねえんだろ」と、生暖かい目で見てあげる…ことができるのが、賢い読者・聞き手の姿なのかもしれないなー、てなことを思ったりもするのでした。

でもまあ、知らないジャンルなら「分からない」と言えばいいのに、という気もしますけど。本当によく出来た人って、分からないことには素直に「分からない」と言えますよねえ…。「分からない」と言えずに「センスが」って言い出しちゃう人って、やっぱりなんか妙なモノを抱え続けてるのでしょうな…。

ふと唐突に思ったけど。得意ジャンル云々という話で言えば、「ソープに行け」という言葉はスゴイですな。どんな事象も自分の得意なジャンルに引きずり込んじゃう魔法の言葉。「そんなの知るか。ソープに行け」。これは強い。揺るがない。それでいて、ちゃんと正直。人気が出たのも分かります。

「センスが」なんて言ってちゃいかんですわな。そこは、自分なりの、「ソープに行け」クラスの名言を捻り出さねば…。なんておバカなことも思ったりして。

まあ、本物の作家さんじゃないと、そういう名言を生み出せないのかもしれないなあ、てな気もするんですけど。凡人にできることではないですわな。

以上です。

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