mieki256's diary



2013/08/17() [n年前の日記]

#1 [anime] 「言の葉の庭」を視聴

弟がBDを持ってきて「これは見る価値アリかも」みたいなことを。てなわけで視聴させてもらったり。

相変わらず凄いんだろうなあと想像してたけど。やっぱり相変わらず凄かった。

とにかく綺麗。とにかく美しい。どのカットも、日常のどこにでもありそうな、なんてことのない風景を切り取ってるわけだけど。どうしてここまで美しく見せられるのか…。この人の作品は、毎回とんでもねえことになってるなあ、恐ろしいなあ、と。

監督さんが、「話に関しては、言い訳をしないで済む作品にしたかった」と何かのインタビューで言及してた記憶があるけど。たしかに、設定・ストーリー面でも、そういう作品になっていたような気がしたり。そして、この作品なら比較的、万人にオススメできそうだな、とも。

まあ、話・展開についてはしっくりこない人、拒否反応を示す人、テンポが合わなくて下手すると寝ちゃう人も居るかもしれんと予想もするのですが。しかし、そういう人でも、46分の絵画展、46分の庭園巡り映像としてはどうよ? と尋ねたら、「そういうことなら…それは全然アリかな」と、よほどアレな人でもない限り納得してもらえそうな予感も。

あちらこちらで、映像美がどうとか、映像文学とか喩えられているほどに、映像制作に対する気合いの入れっぷり、作り込みは尋常じゃないので。そういう面では誰が見ても、何かしら、どこかしら、感じるところがあるのではないか、と。

この監督さんの手にかかれば、チン○やウン○すら溜息が出てくる映像にしちゃうんじゃないの? と一瞬馬鹿なことを思ってしまいました。馬鹿だね、自分。まあ、そのくらい、この作品はスゴイと思ってしまったということで。素晴らしい。コレは素晴らしい。

相変わらず作り込みが狂ってる。 :

オーディオコメンタリーで監督さんが言及していて、巻き戻してみて「うわ、マジだ!」と驚愕しましたが。ノートに鉛筆でスケッチをしてるカットで、ノートの紙が鉛筆で押されて凹むのですよ。…文章で説明しても何言ってんのか分かんないと思うけど、見れば分かる。気付いた瞬間、ゲロ吐きそうに。アニメでそこまでやるか…! ある種、これは狂ってるなと。

監督自身、「ここまでやる意味あるのかなあ…」と弱音(?)を吐いてましたけど。意味はあったんじゃないかなと。だって、ノートに鉛筆でスケッチをしてるだけなのに、そのカットだけ見ても、「綺麗だなあ…」とこっちは感じたわけで。それってつまり、抽象化された映像に、無意識なレベルで現実性を連想させる動きを付加したことで、結果、見る人の脳内に、その人にとっての理想的な映像を結実させることができました、ってことですから…。しかし、やっぱり、この監督さん、ちょっと狂ってる…。<褒めてます。

歌の持つ力を信じてるか否か。 :

個人的に、見ていて嬉しかった点が。監督さんが、曲が持つ力、歌が持つ力をしっかりと信じていて、それを最大限、自作品の中で活用したいと考えてることが伝わってきたあたり、なんだか嬉しくなったというか。

初見時、大江千里作詞作曲、秦基博がカバーした「Rein」が流れてきた瞬間に、「…ズルイ!」と思ってしまいました。や、「ズルイ」云々は冗談ですけど。これぐらい曲を活用してこそ映画・映像作品と呼べるのではないかなあ、と思ったわけで。…大江千里の曲、いいですよねえ。

邦画においては、本編がそれなりに頑張ってるのに、途中や最後で頓珍漢な歌を突っ込む時が稀にあるわけで。そういうのを見るたびに、海原雄山ノリで「この曲を選んだのは誰だー!」と怒鳴りたくなるわけですよ。 *1

映画は、総合芸術ですよ。写真、絵画、演劇、あらゆる要素を総動員して、観客に何かを伝えるべくジタバタしてこそ映画ってもんで。なのに、どうして、音楽だけ村八分にしちゃうのか。そこは、「音楽の持つその力…我に差し出せ!」ぐらいの姿勢で取り組まないと。映画が総合芸術であると理解できてないから、迂闊に音楽を軽視できるんですよ。映画をなめたまま作ってんじゃねえよと。

音楽が映像をブーストして、映像が音楽をブーストするぐらいの関係じゃないといかんだろうと。その音楽を聴いたら映像が脳裏に浮かび、映像を見たら音楽が頭の中で流れ始める…。本来、そのくらいの良好な関係を目指さないといかんのではないですかと。

その点、新海作品は、総合芸術を作ろうと立派にジタバタしてる印象があるのでした。とは言え、姿勢はともかく当たり外れはありますが…。少なくとも、「秒速」と「言の葉」は、歌の力を上手く使えてる気が。「このタイミングでコレを流すか…。いやー、ズルイわあ。そりゃ絶対イイ感じになるわあ」と自分は思えてしまったあたり、使い方に関して見事成功した証拠、じゃないのかなと。

新海監督は宮崎駿監督の一番弟子のような気がしてきたり。 :

この作品、キャラの塗り分けを一工夫して、照り返しやトレス線の色に環境光を反映したそうで。その試みは、上手くいっていたような気がしたり。そういうやり方があったか、頭いいなあ、たしかにパッと見の印象がかなり違う、なるほどなあ、と。

まあ、考えてみたら、例えば3DCGにおいては環境光を意識するのはごく当たり前のことだし、イラスト業界でもそういうテクニックがそこそこ普及してるのだから、それをセル塗りに応用するのは全然アリな発想だよなと。というか、「となりのトトロ」でも、トレス線の色を一工夫、なんてことをやってたわけだから、ここまでやった作品は滅多にないとしても、着眼点としては何十年も前から皆が目にしていたわけで。でも、よくまあそこらへんを意識して、手間をかけたものだなあ、と感心するわけですけど。

そのあたり、宮崎駿監督が、昔、新人向けに書いたという研修資料(?)を思い出すのです。「どんな風景もしっかり観察すれば、セルと塗り分けで必ず表現できるはず。そういう気概を持って仕事に取り組め!」みたいな熱い主張が書いてあった、ような記憶が。手元にその本残ってないのでうろ覚えですけど。

でも、フツー、よほど意識の高いアニメーターさんでもない限り、そこまではやらんわけですよ。しかも、宮崎駿監督のそのノリって、どちらかというと東映動画のノリで。虫プロのスタイリッシュな画作りが席巻・普及してしまった現代においては、本当は王道なんだけどマイナーな扱いを受けてる考え方ではないかとも思えたり。

しかし、今回、新海監督とそのスタッフは、その教えを、ある種愚直さすら感じるほどに、真摯にどこまでも徹底的に守って取り組んで、見事に成功させたわけで…。

テレコムやジブリで育ったわけでもなければ、宮崎駿監督がどちらかといえば嫌っている、デジタル技術に頼った画作りをしている…。そんな新海監督が、実は宮崎駿監督の教えを最もキッチリ守ってるように見えてしまったあたり、これはなんだか面白い状態だなと。もしかすると、画作りの方向性に関しては、新海監督が宮崎駿監督の一番の後継者じゃないの? とすら。…まあ、テレコムやジブリで育った方から、「何言ってんだよ、俺達だってちゃんと守ってるよ? 目ん玉ひんむいて俺達の作品しっかり見てみろよ」と怒られそうではありますけど。 *2

もちろん、やり方・考え方はそうだとしても、脚本やコンテレベルの作風は全然違うわけで。新海監督の作風は、ジブリに呼んで作らせてみたものの、完成映像を見て宮崎駿監督が激怒したと噂される、望月智充監督の作風に近い印象が。なので、あくまで、画作りの姿勢は、という話でしかないですが。

アニメ様が、「新海監督作品は最先端アニメ」と喩えてるけど。デジタルという最先端を使いながら、ある種絶滅危惧種に近い、東映動画の画作りの思想を復権しつつあるという点で、そこにはハイブリッド性がありそうだなと。そういう面でも、コレは最先端アニメ、なのかもしれないなあ、と。

このあたり、もしかすると、アニメーター出身ではなく、撮影出身の監督さんだからそういう純潔?を守れているのかしら、と邪推もしたり。

アニメーターだったら、テレコムやジブリに入ろうと努力したり、宮崎駿から直接指導を受けたりして、しかし、「ここまではやれん…」と挫折しそうだよなと。しかも、大塚康生さんあたりがこっそりと、「宮さんはあんなこと言ってるけどさ。フツーそこまでできないから。アレは宮さんが特別だからできることですよ」みたいな優しい言葉を耳打ちしちゃったりして、「理想としてはそうだけど、なかなかできることではないのだ」と若干日和ってしまう可能性も。って全く根拠のない勝手な妄想ですが。実は大塚康生さんのほうがもっと厳しかったりして。

何にせよ、新海監督のソレは、「アニメーターではなかったから」「撮影・仕上げという職種の作業内容を熟知してるから」、そして、「デジタルの利便性を知っているから」こそ、「ここは撮影時にこうすればできるかも…」と発想が湧いて、それ故にかろうじて成立している、そんな可能性もあったりするのかなあ、と想像してみたりもして。実際はどうなのか全然分かりませんけど。

このあたり、ピクサーの各監督さんにも似たような何かを感じるのですよね…。ピクサーの監督さんが来日して、インタビューを受ける際に、「自分達は宮崎アニメから、緩急・コントラストの重要性を学んだ」とか言ってるわけですけど。 *3 その、宮崎駿の弟子達が集って作ってるはずの近年のジブリ作品が、緩急を活かせてるかというと…これがちょっと微妙なわけで。そもそも近年の宮崎アニメ自体がそのへん微妙。

新海監督にしろ、ピクサーにしろ、バリッバリにCGを駆使してる監督さん・スタジオですが。しかし、考え方に関しては、宮崎駿監督のソレをしっかり守ってる・取り込めている。そこがなんだか面白いなと。もしかすると、別の職種であったり、外部のスタジオのほうが、そこにあった本質・重要性を意識しやすいのかな? てなことをチラリと思ったりもするのでした。…実際どうかは分かんないですけど。

これだけ長々と書くってことは。 :

これだけ長々と書いてしまうということは…。自分、よほど、この作品が気に入ったんだなあ…。

*1: 例えば、バリバリのSFロボット特撮映画なのに、永井真理子の歌を流したりとか。バリバリの怪獣映画なのに、爆風スランプの歌を流したりとか。単体では全然悪くないのですけど、その組み合わせはいかんだろうと。全てが台無しだよと。レコード会社から「このミュージシャンを使ってくれ」と捻じ込まれたのかなあ、などと邪推したりもするのですが。…まあ、監督自身が選んだのであれば諦めますけど。例えば、庵野監督作品などは、もう諦めてたり。
*2: というか、最近の新海監督は、テレコムやジブリで活躍してるアニメーターさん・背景美術さんと組んで仕事をしていることが多いから、新海監督のソレは、そっちから流れてきたアレコレだったりしないのかなあ? と思ったりもして。
*3: まあ、ピクサーのソレは、セールストークの類かもしれない、と思ったりもしますけど。日本人相手に宣伝する時は、「日本の○○に影響を受けた」等の発言をすると、日本人は喜んで、日本市場に売り込もうとしてる作品の印象も良くなって若干ヒットしやすくなりますから。でも、実際にピクサー作品を見ると、昔の宮崎アニメにはたしかにあったソレを、見事、自分達の技としてモノにしているように見えるので、実は結構本心からそう思ってくれているのかもなあ、とも。

以上です。

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