2007/10/28(日) [n年前の日記]
#1 [anime] 十二国記と彩雲国物語は人形劇のほうが良かったんじゃないか
てなことを数日前からなんとなくもやもやと思ってたり。せっかくのNHKでの放映なんだし。人形劇の三国志とかあんな感じでやれば良かったのにと。
もしかして、人形劇のほうがよほど制作コストがかかるのだろうか。…それじゃ仕方ないか。
- 原作の、話の骨格は結構しっかりしてるから、人形劇でもちゃんと見れるものになりそう。
- 三文字作画(?)による映像化より、日本の人形作家の手による美しい人形造形のほうが、商品価値が高まるのでは。
- 人形劇なら、作画崩壊云々を言われなくて済むという(ちと後ろ向きな)メリットが。
- 人形浄瑠璃だか文楽だかのアレコレと絡めていけば、柔道やら弓道やらを義務教育中で強制するより、効果的に日本の文化を伝えていくことに繋がっていかないか。
- 現代のCG技術を活用すれば、昔の人形劇よりダイナミックな映像が作れそうな予感も。
もしかして、人形劇のほうがよほど制作コストがかかるのだろうか。…それじゃ仕方ないか。
◎ _CG取り入れた新感覚人形劇「アキバちゃん」がDVD化 :
再掲。個人的には、こういう意欲的な企画がもっと増えてほしいのだけど、やっぱり売れないのかしら…。日本人は、枠からはみ出た・既存フォーマット外の企画を受け入れられるだけの懐の広さを持ってない、ってことなんだろうか。
考えてみれば、「作画崩壊」という言葉も、いかに枠の中にピッチリ収まってるか、という視点じゃないと出てこない言葉だよな。…学校でも枠の中に収まることを要求されて。会社でも枠の中に収まることを要求されて。あまつさえ、娯楽コンテンツにすら枠の中に収まることを客自らが要求してるという。それが日本人という民族の性質なのだろうか。…まあ、そういう民族性だからこそ、省スペースの家電製品・デジタル機器を作れるのかもしれない、とも。<話を広げ過ぎのような。
考えてみれば、「作画崩壊」という言葉も、いかに枠の中にピッチリ収まってるか、という視点じゃないと出てこない言葉だよな。…学校でも枠の中に収まることを要求されて。会社でも枠の中に収まることを要求されて。あまつさえ、娯楽コンテンツにすら枠の中に収まることを客自らが要求してるという。それが日本人という民族の性質なのだろうか。…まあ、そういう民族性だからこそ、省スペースの家電製品・デジタル機器を作れるのかもしれない、とも。<話を広げ過ぎのような。
◎ キャラデザの維持に関してはアメリカのほうが厳しいのかな。 :
キャラクターごとに作画監督が居た、てな話を昔どこかで見かけたような気もする。>アメリカのアニメ制作。となると、日本のほうがキャラデザの維持に関する品質追求は、甘いというか、杜撰…なのかしら。まあ、アメリカのソレは、現在では3DCGに移行しちゃったからアレなんだけど。
日本の場合、脚本や演出の段階では、キャラ毎に担当者を用意することもある、てな話を聞いたことがあるような。たとえば、セーラームーンや、ナデシコの時に、「○○の話は△△さんで決まり」てな話があった…ような。でも、「このキャラは△△さんの作画で」てのは聞いたことがない。作画に関して、出発点・意識の持ち方からして、何かが違うのだろうか。>日本とアメリカの制作体制。
日本の場合、脚本や演出の段階では、キャラ毎に担当者を用意することもある、てな話を聞いたことがあるような。たとえば、セーラームーンや、ナデシコの時に、「○○の話は△△さんで決まり」てな話があった…ような。でも、「このキャラは△△さんの作画で」てのは聞いたことがない。作画に関して、出発点・意識の持ち方からして、何かが違うのだろうか。>日本とアメリカの制作体制。
*1: だけど、NHKで流れてた人形劇って、文楽云々とは断絶した土壌で生まれてきたモノのような予感もあるんだけど。そのへん詳しくないので知らんけど。
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以上です。