mieki256's diary



2019/07/22(月) [n年前の日記]

#2 [anime][neta] 「なつぞら」がTVアニメ編に突入するっぽい

NHKの朝ドラ「なつぞら」を見ていたら、しれっと「鉄腕アトム」の映像が出てきて驚いた。どうやらTVアニメ編に突入するらしい…。

てっきり、手塚治虫先生に相当する漫画家さんが登場して、東映動画相当のアニメスタジオを訪れて、東映動画側と喧嘩するシーンがあるのだろう、さてどんなシーンになるのかなあ、などと自分は期待していたわけで。しかし、そのへん一切触れずに、TVアニメがあっさり始まってしまって、かなりガックリというか。

いやあ、これはもったいねえ…。あのへんを入れたら、ドラマとして深みが増しただろうに。というか、手塚先生の登場だけでも結構盛り上がったと思うのだけどなあ…。

一応説明。 :

NHK「歴史ヒストリア」でも紹介されたぐらいに有名な話だから説明しなくてもいいかな、と思ったけど、まあ、一応説明。

手塚治虫(敬称略)は、虫プロ創設以前に、東映動画と組んで「西遊記」というアニメ映画を作ったのだけど。その際、ラストをどうするかで東映動画と意見が対立したわけで。

「悲劇的なラストにしましょう。そのほうがウケますから」と主張する手塚。「子供に見せるものなんだから悲しいラストはダメだ」と手塚に反発する東映動画。結局、アニメを作っているのは東映動画なので、東映動画側の意向通りに ―― なんだかちょっととってつけた感が拭えないハッピーエンドにされてしまうのだけど。

その時の体験が元で、手塚が、「好きなようにアニメを作るためには、自分でアニメスタジオを持つしかない」と決意したであろうことは、誰でも容易に想像できるわけで。

そして、手塚は虫プロを作り、日本初のTVアニメ「鉄腕アトム」も作られて。「アトム」がめちゃくちゃウケて、日本のアニメ業界は、流れに乗り遅れてはならぬと、猫も杓子もTVアニメを作ることに舵を切っていくわけで…。

今の日本のアニメの、内容の充実ぶりが、TVアニメ隆盛のおかげであることは自明の理なわけだけど。どうしてそういうことになったのか、そのキッカケの一つとして、手塚と東映動画の意見対立があるわけですよ。そこで衝突してないと、こういう流れにならなかった可能性がある。手塚が、例えば松本零士先生的なポジションで終わってたら、その後の展開は全然違ってたかもしれないよなと。

また、アニメに悲劇を持ち込むのか、持ち込まないのか、この対立もかなり大事で。日本のアニメが、大人の鑑賞にも耐えうるジャンルとして成熟していく上では、悲劇をアリとするか、ナシにするかは、どう考えても重要な分岐点なわけで…。

更に、手塚が東映動画と接点を持ったこと自体も重要で。と言うのも、手塚は「西遊記」制作の際に、月岡貞夫氏を東映動画に連れてくるわけですよ。

月岡貞夫氏は、東映動画内で初めてTVアニメを作った方。この方が、東映動画という大手のスタジオで、わざわざTVアニメを作らなかったら、今の日本のアニメの流れは、もしかすると無かったのかもしれない。しかも、月岡氏は、諸般の事情で途中で東映動画を辞めてしまう。月岡氏の進退を知るだけでも、未来におけるTVアニメ制作現場の劣悪ぶりが、なんとなくうっすら予見できてしまうという…。

ということで、手塚治虫が東映動画と接点を持たず、当然喧嘩もしない世界線は、なんというか…スカスカだよなと。その後の日本のアニメ業界が、一体どういう方向に流れていくのか、そこで結構決まっちゃうわけだから。

しかし、そこを描かないというのは、いやあ、もったいない。これはもったいないなあ…。

今回のドラマは東映動画寄りなのかも。 :

とは言うものの。「なつぞら」の脚本が、考え無しにそのあたりをオミットしたわけでもなさそうだな、と感じていたりもするわけで。

本編内では、再三、「アニメは子供に見せるものだから」という台詞が出現しているし、高畑勲に相当するであろう一休さんと、上司とのやり取りの中で、「子供に見せるもの」「大人の鑑賞にも耐えうるもの」という対立が提示されていたりもする。おそらく、手塚と東映動画の意見対立は、一休さんと上司とのやり取りで代替したのかもしれないな、と。無視してるわけではなく、形を変えて盛り込んである。

もしかすると、脚本家さん、あるいはプロデューサーさんは、当時の東映動画的な思考で今回の朝ドラを作ろう、と方向性を決めているのかもしれない、と思えてきたり。

考えてみれば、「子供に見せるものだから」という思考の枠は、「朝ドラの視聴者層に見せるものだから」という思考の枠と、かなり似ている気がするわけで。かつての東映動画が持っていた、「悲しいラストを見せちゃダメだろ」というある種の自縄自縛は、朝ドラスタッフの、「朝っぱらから面倒臭い話を見せちゃダメだろ」という自縄自縛と同じ、とも言える。

悲劇をアリにするか、ナシにするか。子供に見せるものなのか、大人も見れるものなのか。その考えは、どちらも間違ってない。同様に、「朝ドラでそういうネタを描くのは、なんか違うんじゃね?」という考え方だって、これは全然間違っていないだろう、と。

なので、もったいないなあ、そこを描かないのかー、と思いつつも、何か考えがあってそうしたのだろうし、だったら、それはそれでアリなんだろうな、それもまた、おそらく正しいよな…。

てなことを思いながら眺めていたりするのでした。とメモ。

民放で史実に沿ってる版を作らないかな。 :

「なつぞら」を見ていると、史実を元にしながらも全然違う歴史が提示されていくので、ちょっともったいないなと思う瞬間が多々あって。

コレ、民放で、ちゃんと史実に沿ったこの手のドラマを作らないものかなと…。「なつぞら」で、もやもやしちゃった視聴者を取り込めるチャンスじゃないかと。

いやまあ、別にドラマじゃなくてもいいけど。東映アニメーションあたりが、設立○○周年にかこつけて、社史も兼ねたアニメ作品を作っちゃう、とかでもいいんだけど。若かりし頃の高畑勲や宮崎駿が赤旗読んでいるその隣に何故かしれっと座ってる東堂いづみ先生、とか…。誰かそういう企画を出さないものか…。東映アニメ版のSHIROBAKO、見てみたいよなあ。

もっとも、そういう作品が出てきた場合、ちゃんと見てない人達が「『なつぞら』のパクリかよ」と騒ぎ出すだろうけど。そんな反応は無視しちゃっていいし。中身を見れば、「あ、これ全然違うわ」「はるかに深いわ」「アップグレード版だわ」「『なつぞら』が Windows Me なら、こっちは Windows XP だわ」と気づくはずだから。

そういうドラマ、どこかで作ったりしないかなあ。などとバカ妄想。

以上です。

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