mieki256's diary



2014/04/09(水) [n年前の日記]

#1 [windows] Windows XP機で最後のWindows Update

最後のパッチが配布されたそうなので、VMWare Player上の Windows XP と、ネットブック上の Windows XP を起動。Windows Update をかけておいた。

旧メインPCは…。メモリが壊れかけてるから、別にやらんでもいいかな…。

一応パッチを全部DLしておいた。 :

そのうち Windows XP を再インストールする場面があるかもしれないので、 _WSUS Offline Update_SP+メーカー を使って、パッチを全部DLしてiso化。

WSUS Offline Update のほうは、Windows XP 32bitはレガシー扱いらしいので、本当に全部DLできてるのかちょっと怪しい気もする。それでも、何も手元に残ってないよりはマシかなと。

SP+メーカーは、最初 Windows7 上で実行したらパッチをインストールしようとし始めて慌てて止めた。どうやら XP上で動かさないと XP用のパッチを集められないようで。VMWare Player 上の XP にインストールし直して作業し直し。

Microsoft がパッチ全部入りのisoを配布してくれてたら楽なんだけどなあ。でも、そんなことをするわけがないか。サポート完全終了してるんだし。

#2 [anime] バディコンプレックス最終回を視聴

たぶん1期の最終回だと思うけど。2期目、あるよな…たぶん…。

本当に1クールで一区切りつけられるのかなと不安だったけど、ちゃんとそれらしく終わったようでなんだかホッとしたり。

ヒロイン?の設定は、昔プレイした DESIRE を思い出したのだけど、考えてみたら今時は「まどかマギカ」を例として出せば通りがいいのかな…。ああいう設定、個人的に好きなのですが、この作品では 救うことができたのだなと。…タイムパラドックスが起きてるような気もするんだけど、おそらく2期で整合性を持たせてくれる、のかな。どうなんだろう。

#3 [anime] ピカイアを視聴

おそらくETVで放送されてた、アニメ+実写解説映像で構成された番組。カンブリア紀や、海の生物が持つ能力について説明してくれる内容、なのかな。 _I.G と OLM で作ったアニメ と紹介されてたので録画しておいた、ような記憶が。

「実験失敗しても脳神経が消える程度だから安心したまえ。元の君達に戻れる保証はないけど」と笑顔で話す博士の姿に狂気を感じました。いいぞ、もっとやれ。博士ってヤツはこうじゃないと。

敵っぽいキャラも出てきたし、続きがありそうなアニメだなと思ったけど、話を考えるのが難しそう…。こういった、教育TVっぽい番組は好きなんですけど。

#4 [anime][neta] マジンボーン1話を視聴

「バンドを組んだぜ」と言われてもな…。まあ、話題になってるみたいだからいいですけど…。いや、全然良くないけど…。

なんだかゴチャゴチャ考えてしまった。 :

アニメのOPやEDって誰が選んでるんだろう。せめて選んだ人の名前を公表してほしいです。「俺が選んだ」「俺にはこういう考えがあった」等の話が聞ければ、まあそれならそれでと思えるかもしれんけど…。真剣に考えたけど予想が外れるとか仮説が間違ってたとかよくあることだし、そういうことなら仕方ない。しかしなんだか企画書すら読まずにテキトーに決めてそうで…。

アニメ作品を作る際には何十〜何百人もの人達が関わってるはずだけど。その人達全員を前にして、「これが俺の選んだ曲だ! 貴方達の作品にはこの曲が相応しい!」と胸張って言えるぐらいに考えた上で曲を選んだのかなと。そのへんどうなんだろ。

本編がいくら頑張っても全部あのEDでブチ壊しだから、もう残り話数を全部総集編にしてもいいんじゃないかな? 戦闘シーンも3DCGじゃなくて、ドット絵がパタパタするファミコンライクな画面で充分かも。「終わりよければ全てよし」と言うけど、終わりがアレでは何やったって全てダメだし。いっそ放映中に、ED担当したミュージシャンが大麻所持で逮捕されて曲差し替えになるほうがマシじゃね? などと大変失礼なことを考えちゃったりして。

などと結構憤慨してしまったものの。例えば昭和アニメのEDはもっと酷かったわけで。昭和ノリのアニメと思って見れば、アレもアリなのかなあ…。

でもなあ…。新海作品や「あの花」等、楽曲との相乗効果をしっかり狙う映像作品が増えてきた昨今、なんだか時代に逆噴射なアニメのような気も。勝算があるのか、それともヤケクソなのか…。マクロス作られたのが30年前、銀河鉄道999劇場版が約35年前ですけど、その頃だって曲の選択には気を使ってたよなと。それより昔に戻ってどうすんの。

とりあえず、大人の事情で曲を変えられないなら、本編とEDの間にCM挟んでワンクッション入れたほうがいいんじゃないかなと思ったり。本編から間髪入れずあのEDに入るより、多少緩和できるはず。…って第1話から自分のような一視聴者に撤退戦っぽいことを考えさせちゃってるって、コレどゆこと?

でも…。本編クライマックスであの曲が流れて、しかもピタリとハマってビックリ、てな展開もあるかもしれないか…。「このシーンのために、この曲だったのか! 見抜けなかった!」みたいな。いや…どうだろ…。

あ。もしかして本編中でバンド組むのかしら。バトルアニメと見せかけて実はバンドアニメかもしれん。そうに違いない。なんだか自分の中で繋がってきましたぞ。そういやプリキュアも、ギター鳴らして戦うキャラとか居たような。ソレの男の子版かなあ。

#5 [anime][neta] アニメのEDって複数あってもいいような気がする

たしか以前、「モーレツパイレーツ」を見てた頃に、EDって複数あったほうが良かったりしないか、と思った記憶があって。

「モーレツ〜」のEDって、基本はももクロのガシャガシャしたソレなので、本編ラストと合わない時があって。まだ、イメージソング扱いされてる曲を流したほうがいいよなーと思っていたのですが…。そのうち実際にイメージソングがEDとして流れた際に、「今回はこっちがピッタリだな…。待てよ? EDが複数あれば、こういう使い分けもできるよな。それって美味しくね?」と思えてきて。

今のアニメって、本編終わるとすぐにEDに突入しますけど。そうなるとEDが、本編ラストの余韻を丸々引き受ける役になるわけで。しかし…。本編がしんみりな終わり方なのに、ED曲が「俺達ハッピー!」では合わないし。本編がハッピーな終わり方なのに、ED曲が「絶望が〜」「暗黒が〜」では合わないわけで。余韻ブチ壊しですわな。空気読めよ、みたいな。

そう考えると、本編ラストの雰囲気に合わせて、ED曲やED映像を複数の候補から選択できたほうがいいんじゃないかと。 等のメリットがあって、皆が幸せになれそうな。

まあ、本編ラストと合わせる云々ではないけれど、実際ソレに近いことをしてる作品が増えてる印象もあるのですが。

例えば、「ニセコイ」「のうりん」は、キャラソングをED曲にすることで、複数のED曲が使えるようになっていて。○○というキャラにフォーカスした回だから、EDも○○のキャラソング、てのは全然おかしくないし。CM内でも、「私達の歌がCDになったよ!」などと声優さんに喋らせてCDの宣伝ができてるし。商売上手いなー、しかも本編に害を与えるどころか本編と曲で二人三脚もできてるなー、と。

そういえば「ヴァルヴレイヴ」も、ちょっと近いことをしようとしてた節があるのだけど。アレは、どのED曲も似たような曲だったので、差別化できてなくて空回り感が…。なんだかもったいない、と当時思ったことを、今頃思い出しました。

EDを1種類にするなら本編を包んじゃうくらいの曲じゃないと。 :

逆に、EDを1種類にするなら、本編ラストをリセットする ―― と言うより、それまでのアレコレを全て包み込んでしまうぐらいの独特な曲じゃないといかんのだろうなと。

例えば、「スペースダンディ」のED曲は…。本編がどんな終わり方をしても、あの珍妙なED曲を聴いてるうちに、「ああ、今回もダンディだった…ような…気が…する…」と洗脳されてしまうというか。あの曲、怖い。アレを聴くと、なんでもダンディらしい話だったように思えてくる。毎回本編のノリは違うのに…。あの曲は怖い。

「仮面ライダー響鬼」の、前半のED曲もソレだったよなと。高寺Pのシリーズ構成が3話目ぐらいで破綻しちゃって本編グダグダだったのに、最後にあのED曲とED映像が流れてしまうと…。「このドラマはきっとこういう感じのドラマに違いない」と視聴者側が脳内補完を始めちゃって、イイ感じのドラマを見ていたようにすっかり勘違い。白倉P+井上脚本で組まれた後半のほうが構成はスゲー考えてあったのに、しかしなんだか叩かれ気味だったのは、あのEDが無くなった点が大きいと思うのです。そういやあの曲、紅白にも出ましたな。それって、そのあたりの強さを持ってたことを証明してたのかも。

トレンディドラマ(死語)も、小田和正の歌さえ最後に流しておけば全部それっぽく見えてくるわけで。そういう強さを持ったED曲ってあるよなと。

「魔法戦争」のEDも、ちょっとそういうところがあるなと。最後にああいうカッコイイ曲+映像を見ちゃうと、「自分は今までカッコイイアニメを見ていたのかもしれない…」と微妙に錯覚しちゃう。本編ヘロヘロなのに。

プリキュアだってそうだなと。まあ、プリキュアは、本編とEDの間にCMが入るので、双方の結びつきはちと弱いのですけど。それでも、3DCGによるゴージャスでリッチなED映像が最後に流れることで、とってもリッチなアニメを見ていたように錯覚しちゃう。しかし本編映像は(以下自粛)。

ということで、本来、ED曲・映像って、手を抜けない部分かもしれないな、と思っていたりもするのです。時間軸では「トリ」になるわけですし。

それなのに、「バンドを組んだぜ」って…。ホント、誰が選んでるんだろう。

OPはまたちょっと違う。 :

OPは、それまでの流れをぶった切って、「さあさあ、これからこんな面白そうな番組が始まりますよー」てな役を担当してるので、EDとは違いますわな。余韻どうこうじゃなくて、強制リセット力を要求されるというか…。別に何種類も要らないし。本編始まってないから、余韻とか無いし。

OPは切り込み隊長。EDは…何に喩えられるのかな。

昭和アニメはEDがテキトーだったけど。 :

昭和アニメはEDがテキトーでしたけど。それって、本編とEDの間にCMが入ってた点が大きいのかなと。CMが挿入されると一旦軽いリセットが入るので、EDがテキトーでも問題にならなかったのかも。

EDまで活用して作品の雰囲気を制御したい場合、本編とEDがくっついてるほうがいいのでしょうな。「シティハンター」「あの花」あたりは、その代表例のように思えます。

もし、「EDも活用して演出してやるぜ〜」という気概を最初から持ってないなら、本編とEDを迂闊にくっつけないほうがいいのかも、と思えてきたのですが、さてどうなんだろう。

本編とEDの間にCMを入れるかどうかって、誰が決めてるんだろう…。アニメ制作側が決められることではなくて、TV局から強制されたりするもの、なのだろうか。だとしたら、ED曲を選ぶ人・ED映像を作る人は、どういう形で放送されるのか把握しておかないと仕事にならないはずだよな…。

以上、1 日分です。

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