2014/04/09(水) [n年前の日記]
#5 [anime][neta] アニメのEDって複数あってもいいような気がする
たしか以前、「モーレツパイレーツ」を見てた頃に、EDって複数あったほうが良かったりしないか、と思った記憶があって。
「モーレツ〜」のEDって、基本はももクロのガシャガシャしたソレなので、本編ラストと合わない時があって。まだ、イメージソング扱いされてる曲を流したほうがいいよなーと思っていたのですが…。そのうち実際にイメージソングがEDとして流れた際に、「今回はこっちがピッタリだな…。待てよ? EDが複数あれば、こういう使い分けもできるよな。それって美味しくね?」と思えてきて。
今のアニメって、本編終わるとすぐにEDに突入しますけど。そうなるとEDが、本編ラストの余韻を丸々引き受ける役になるわけで。しかし…。本編がしんみりな終わり方なのに、ED曲が「俺達ハッピー!」では合わないし。本編がハッピーな終わり方なのに、ED曲が「絶望が〜」「暗黒が〜」では合わないわけで。余韻ブチ壊しですわな。空気読めよ、みたいな。
そう考えると、本編ラストの雰囲気に合わせて、ED曲やED映像を複数の候補から選択できたほうがいいんじゃないかと。
まあ、本編ラストと合わせる云々ではないけれど、実際ソレに近いことをしてる作品が増えてる印象もあるのですが。
例えば、「ニセコイ」「のうりん」は、キャラソングをED曲にすることで、複数のED曲が使えるようになっていて。○○というキャラにフォーカスした回だから、EDも○○のキャラソング、てのは全然おかしくないし。CM内でも、「私達の歌がCDになったよ!」などと声優さんに喋らせてCDの宣伝ができてるし。商売上手いなー、しかも本編に害を与えるどころか本編と曲で二人三脚もできてるなー、と。
そういえば「ヴァルヴレイヴ」も、ちょっと近いことをしようとしてた節があるのだけど。アレは、どのED曲も似たような曲だったので、差別化できてなくて空回り感が…。なんだかもったいない、と当時思ったことを、今頃思い出しました。
「モーレツ〜」のEDって、基本はももクロのガシャガシャしたソレなので、本編ラストと合わない時があって。まだ、イメージソング扱いされてる曲を流したほうがいいよなーと思っていたのですが…。そのうち実際にイメージソングがEDとして流れた際に、「今回はこっちがピッタリだな…。待てよ? EDが複数あれば、こういう使い分けもできるよな。それって美味しくね?」と思えてきて。
今のアニメって、本編終わるとすぐにEDに突入しますけど。そうなるとEDが、本編ラストの余韻を丸々引き受ける役になるわけで。しかし…。本編がしんみりな終わり方なのに、ED曲が「俺達ハッピー!」では合わないし。本編がハッピーな終わり方なのに、ED曲が「絶望が〜」「暗黒が〜」では合わないわけで。余韻ブチ壊しですわな。空気読めよ、みたいな。
そう考えると、本編ラストの雰囲気に合わせて、ED曲やED映像を複数の候補から選択できたほうがいいんじゃないかと。
- レコード会社は、「○○ED曲」等の肩書を複数の商品につけられるので、関連商品数を増やせて美味しい。
- 本編スタッフは、本編の余韻を残すEDをその都度選べて、本編ブチ壊しにならなくて済むから美味しい。
- 視聴者は、「今回は○○バージョンかー」みたいな楽しみ方もできて美味しい。
まあ、本編ラストと合わせる云々ではないけれど、実際ソレに近いことをしてる作品が増えてる印象もあるのですが。
例えば、「ニセコイ」「のうりん」は、キャラソングをED曲にすることで、複数のED曲が使えるようになっていて。○○というキャラにフォーカスした回だから、EDも○○のキャラソング、てのは全然おかしくないし。CM内でも、「私達の歌がCDになったよ!」などと声優さんに喋らせてCDの宣伝ができてるし。商売上手いなー、しかも本編に害を与えるどころか本編と曲で二人三脚もできてるなー、と。
そういえば「ヴァルヴレイヴ」も、ちょっと近いことをしようとしてた節があるのだけど。アレは、どのED曲も似たような曲だったので、差別化できてなくて空回り感が…。なんだかもったいない、と当時思ったことを、今頃思い出しました。
◎ EDを1種類にするなら本編を包んじゃうくらいの曲じゃないと。 :
逆に、EDを1種類にするなら、本編ラストをリセットする ―― と言うより、それまでのアレコレを全て包み込んでしまうぐらいの独特な曲じゃないといかんのだろうなと。
例えば、「スペースダンディ」のED曲は…。本編がどんな終わり方をしても、あの珍妙なED曲を聴いてるうちに、「ああ、今回もダンディだった…ような…気が…する…」と洗脳されてしまうというか。あの曲、怖い。アレを聴くと、なんでもダンディらしい話だったように思えてくる。毎回本編のノリは違うのに…。あの曲は怖い。
「仮面ライダー響鬼」の、前半のED曲もソレだったよなと。高寺Pのシリーズ構成が3話目ぐらいで破綻しちゃって本編グダグダだったのに、最後にあのED曲とED映像が流れてしまうと…。「このドラマはきっとこういう感じのドラマに違いない」と視聴者側が脳内補完を始めちゃって、イイ感じのドラマを見ていたようにすっかり勘違い。白倉P+井上脚本で組まれた後半のほうが構成はスゲー考えてあったのに、しかしなんだか叩かれ気味だったのは、あのEDが無くなった点が大きいと思うのです。そういやあの曲、紅白にも出ましたな。それって、そのあたりの強さを持ってたことを証明してたのかも。
トレンディドラマ(死語)も、小田和正の歌さえ最後に流しておけば全部それっぽく見えてくるわけで。そういう強さを持ったED曲ってあるよなと。
「魔法戦争」のEDも、ちょっとそういうところがあるなと。最後にああいうカッコイイ曲+映像を見ちゃうと、「自分は今までカッコイイアニメを見ていたのかもしれない…」と微妙に錯覚しちゃう。本編ヘロヘロなのに。
プリキュアだってそうだなと。まあ、プリキュアは、本編とEDの間にCMが入るので、双方の結びつきはちと弱いのですけど。それでも、3DCGによるゴージャスでリッチなED映像が最後に流れることで、とってもリッチなアニメを見ていたように錯覚しちゃう。しかし本編映像は(以下自粛)。
ということで、本来、ED曲・映像って、手を抜けない部分かもしれないな、と思っていたりもするのです。時間軸では「トリ」になるわけですし。
それなのに、「バンドを組んだぜ」って…。ホント、誰が選んでるんだろう。
例えば、「スペースダンディ」のED曲は…。本編がどんな終わり方をしても、あの珍妙なED曲を聴いてるうちに、「ああ、今回もダンディだった…ような…気が…する…」と洗脳されてしまうというか。あの曲、怖い。アレを聴くと、なんでもダンディらしい話だったように思えてくる。毎回本編のノリは違うのに…。あの曲は怖い。
「仮面ライダー響鬼」の、前半のED曲もソレだったよなと。高寺Pのシリーズ構成が3話目ぐらいで破綻しちゃって本編グダグダだったのに、最後にあのED曲とED映像が流れてしまうと…。「このドラマはきっとこういう感じのドラマに違いない」と視聴者側が脳内補完を始めちゃって、イイ感じのドラマを見ていたようにすっかり勘違い。白倉P+井上脚本で組まれた後半のほうが構成はスゲー考えてあったのに、しかしなんだか叩かれ気味だったのは、あのEDが無くなった点が大きいと思うのです。そういやあの曲、紅白にも出ましたな。それって、そのあたりの強さを持ってたことを証明してたのかも。
トレンディドラマ(死語)も、小田和正の歌さえ最後に流しておけば全部それっぽく見えてくるわけで。そういう強さを持ったED曲ってあるよなと。
「魔法戦争」のEDも、ちょっとそういうところがあるなと。最後にああいうカッコイイ曲+映像を見ちゃうと、「自分は今までカッコイイアニメを見ていたのかもしれない…」と微妙に錯覚しちゃう。本編ヘロヘロなのに。
プリキュアだってそうだなと。まあ、プリキュアは、本編とEDの間にCMが入るので、双方の結びつきはちと弱いのですけど。それでも、3DCGによるゴージャスでリッチなED映像が最後に流れることで、とってもリッチなアニメを見ていたように錯覚しちゃう。しかし本編映像は(以下自粛)。
ということで、本来、ED曲・映像って、手を抜けない部分かもしれないな、と思っていたりもするのです。時間軸では「トリ」になるわけですし。
それなのに、「バンドを組んだぜ」って…。ホント、誰が選んでるんだろう。
◎ OPはまたちょっと違う。 :
OPは、それまでの流れをぶった切って、「さあさあ、これからこんな面白そうな番組が始まりますよー」てな役を担当してるので、EDとは違いますわな。余韻どうこうじゃなくて、強制リセット力を要求されるというか…。別に何種類も要らないし。本編始まってないから、余韻とか無いし。
OPは切り込み隊長。EDは…何に喩えられるのかな。
OPは切り込み隊長。EDは…何に喩えられるのかな。
◎ 昭和アニメはEDがテキトーだったけど。 :
昭和アニメはEDがテキトーでしたけど。それって、本編とEDの間にCMが入ってた点が大きいのかなと。CMが挿入されると一旦軽いリセットが入るので、EDがテキトーでも問題にならなかったのかも。
EDまで活用して作品の雰囲気を制御したい場合、本編とEDがくっついてるほうがいいのでしょうな。「シティハンター」「あの花」あたりは、その代表例のように思えます。
もし、「EDも活用して演出してやるぜ〜」という気概を最初から持ってないなら、本編とEDを迂闊にくっつけないほうがいいのかも、と思えてきたのですが、さてどうなんだろう。
本編とEDの間にCMを入れるかどうかって、誰が決めてるんだろう…。アニメ制作側が決められることではなくて、TV局から強制されたりするもの、なのだろうか。だとしたら、ED曲を選ぶ人・ED映像を作る人は、どういう形で放送されるのか把握しておかないと仕事にならないはずだよな…。
EDまで活用して作品の雰囲気を制御したい場合、本編とEDがくっついてるほうがいいのでしょうな。「シティハンター」「あの花」あたりは、その代表例のように思えます。
もし、「EDも活用して演出してやるぜ〜」という気概を最初から持ってないなら、本編とEDを迂闊にくっつけないほうがいいのかも、と思えてきたのですが、さてどうなんだろう。
本編とEDの間にCMを入れるかどうかって、誰が決めてるんだろう…。アニメ制作側が決められることではなくて、TV局から強制されたりするもの、なのだろうか。だとしたら、ED曲を選ぶ人・ED映像を作る人は、どういう形で放送されるのか把握しておかないと仕事にならないはずだよな…。
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以上です。