mieki256's diary



2013/12/03(火) [n年前の日記]

#3 [zatta][neta] 怒鳴り声を上げるデモは本質的な部分でテロに似ているという話

なんか与党の某政治家さんがそういうことをblogで書いてプチ炎上、みたいなニュースを見かけて。

自分も、「たしかにそうだなあ。それは妥当な見方だなあ」と思ってしまったり。

デモをするところまでは問題無いけど、ていうかソレは民主的な活動だと思うけど。怒鳴り声を上げるのは違うよなと。怒鳴り声を浴びせて、相手に恐怖心を抱かせて、その恐怖心で相手の選択を変えようとしてるのであれば、それは、相手に恐怖心を抱かせて、その恐怖心で自分達の思った通りの状況に持っていこうとする、テロ行為が持つ本質と、たしかに似てるよなと。まるっきり同じとは言わないけど、似てるとは言えそう、な気が。

なので、「世間様から見たら言い方はかなりマズいのだろうけど、たしかにその通りかも」と、自分は思ってしまったのでした。

とはいえ、怒鳴りたくなる気持ちも、なんとなく分かってしまうあたりも、なんだかややこしくて。

例えば、自分達の意見・主張を提出できる場が用意されていて、かつ、その意見を吟味・検討して、体制側の方針を若干でも修正してもらえるシステムがある ―― そういう希望があるならまだしも、実際にはその可能性はほとんどないわけだし。一応、自身で立候補して政治家になるとか、選挙で民意を反映させるとか、手管はちゃんとありますよ、という建前にはなっているけど。庶民レベルで、ソレを実現できる可能性は低いのが実状だし。そりゃ、デモの最中に怒鳴りたくもなるよなと。要するに、そこに“希望が無い”から、怒鳴ってしまうのかなと。

テロだって同じなのだろうと。自分達の主張が通る見込みがないから、超法規的手段・暴力的手段を使ってどうにかしよう、もうこのぐらいしか手は残ってない、と追い込まれていって、テロに走るのだろうし。

ということで、怒鳴り声を聞きたくなかったら、怒鳴らなくても意見が通る部分だってこのとおりありますよ、そっちを活用してみてくださいよ、と嘯くぐらいの努力は見せておかないと、てな気にもなってきたり。もっとも、体制側には、苦労して政治家や官僚になったという自負もあるだろうから、「意見を通したかったらお前達も俺のように努力したらええんや」「なんで努力もしてない人間の意見なんぞ聞いてやらにゃいかんのや」という気持ちが根底に…てなところもありそうな気もしてきたり。

まあ、色々と難しいですな。人間社会って難しい。ていうか面倒臭い。

以上です。

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