2007/10/29(月) [n年前の日記]
#2 [zatta] _”渋滞”という漢字は、どうして渋い滞と書くのですか?
「漢字の意味ですが「渋」も「滞」も水が流れにくいとか、水がとどまって流れないという意味です。 特に「渋」の昔の字は、水を表す「さんずい」と「止まる」を三つ書いていて、いかにも流れにくそうです。 日本で渋滞という言葉が初めて使われだしたのは、ラジオの交通情報からで、 昭和36年6月に東京の警視庁が「文化放送」を通じて、世界で初めて道路交通情報を定期的に放送するようになった時 その放送の用語の中で「渋滞」が使われだしたそうです。それまでは「連続的滞留」と言っていたようです。「連続的滞留」ってなんかかっこいいな。でもないか。
◎ 元々「渋谷」の「渋」はなんだろうと思って :
検索したのだった。某所で「渋谷は坂道ばかり。何せ『谷』ですから」という話が出ていて、すると「渋」は何を示してるのか、みたいな。
◎ _渋谷駅前共栄会 --- 渋谷今昔 :
渋谷という地名は、江戸時代に作成された文献により二説に分かれる。
ひとつは、『新編武蔵風土記稿』によるもので、昔、この辺りを「塩谷の里」と呼称したことに由来するという説である。その根拠は、土中を掘ると青い砂や、貝が出土するなど、昔この辺りが海辺であったことである。そこから塩谷の名が生まれ、その後塩谷が渋谷に変わったとされている。
もうひとつは、『金王八満神社社記』にみえる河崎重家の改姓に由来する伝承である。桓武天皇の孫高望王の子孫で秩父党の一人である河崎冠者基家は、永承6(1051)年、前九年の役に源頼義に従って功をたて武蔵国豊島郡谷盛庄を与えられた。基家の子重家が源義家に従って京都にいたときのある夜、宮中に盗賊が入り、これを生け捕りにした。賊の名を聞くと、渋谷権介盛国と答えたので、堀川天皇は重家の武勇をほめて、姓を渋谷と改めたため、重家の領地「谷盛庄」のなかに「渋谷」という村が出来たといわれる。
以上の二節は、あくまでも伝説の域をでるものではないが、当時の文献資料が残存していないので、詳細は依然として謎となっている。
_地名の由来/渋谷区
いくつかの説がありますが、定説はありません。_知識の宝庫!目がテン!ライブラリー
* 昔、この付近は入江であり、「塩谷の里」と呼ばれていました。その「塩谷(しおや)」が「渋谷(しぶや)」に変わったとする説。
* 平安時代の終わりごろ、このあたりの領主は河崎重家でした。 河崎重家は京都の御所に侵入した賊を捕えました。この賊の名を渋谷権介盛国といいました。そこで、堀川の院は、河崎重家に「渋谷」の姓を与えました。このことから、重家の領地であった谷盛庄が「渋谷」に変わったとする説。
* この地を流れる川の水が、鉄分を多く含み、赤さび色の「シブ色」だったため「シブヤ川」と呼ばれていたとする説。
* 渋谷川の流域の低地が、しぼんだ谷あいだったからとする説。地名の由来/渋谷区 より
渋谷には、日本で一番古い地下鉄の銀座線の始発駅がありますが、地下鉄というくらいなので地下を走っているのかと思いきや、なんと地上3階にあるのです。なぜわざわざこんなに高い所に作っているのでしょう?
実は渋谷は、次の駅がある表参道に比べて、およそ20m、マンションにして6階分も低い位置にあったのです。さらに調べてみると、表参道方向だけでなく、ほとんど全ての方向と比べて渋谷は低い位置にあり、文字通り渋谷は谷になっていたのです。そのため渋谷は、大雨が降るとすぐ冠水してしまい、車もつかってしまうほど雨水が溜まってしまうのです。現在、その対策として下水道局が渋谷の地下25メートルに4000トンの雨水を貯める巨大貯水槽を作っています。
確かに渋谷は谷でしたが、なぜ「渋い」谷なのでしょう。その由来には諸説あるのですが、昔の渋谷川の色がシブ色だったからという説があるのです。シブ色の水とは鉄分を多く含んだ赤茶色の水のことをいいます。
そこで実際に、今でも湧いている渋谷の井戸水を調べてみると、なんと日本の平均的な湧き水に比べて約24倍も鉄分が多く含まれていたのです。その理由は、渋谷一帯の地層にありました。まず、渋谷の地下には鉄分を多く含んだ、火山灰によって作られた関東ローム層という地層があります。 渋谷瓦 さらに、その下には渋谷粘土層という水を通しにくい厚い地層があります。そのため、関東ローム層の鉄分を多く含んだ雨水が渋谷粘土層の間に溜まるので、渋谷の水には鉄分が多く含まれると考えられています。よって、昔の渋谷川の色がシブ色だったのではないかと考えられているのです。
_渋谷マップ 渋谷川
渋谷にも「渋谷川」という川があります。今ではほとんど蓋をされてしまいR246以南しか表からは見えませんが、今でも地下を流れているそうです。渋谷の街は谷になっていますが、この川が作った谷だそうです。渋谷マップ 渋谷川 より
_渋谷川 - Wikipedia
北斎の富嶽三十六景の「穏田の水車」は、原宿穏田村付近(現在の神宮前3丁目)の渋谷川の水車小屋を描いたものである。 又、明治に入り設立された渋谷小学校は、近くの水車の事業で得た利益の一部を充てて設立されたこともあり、水車の羽を象った図が校章に定められた。ただ残念ながら、渋谷小学校は学校統廃合のため現存しない。 明治前半までは水がきれいで沿岸では蛍が見られ、江戸時代において将軍に献上された蛍は渋谷川で採取されたという。
色んな説があるんだなぁ。ていうか、渋谷川についてのアレコレがなんだか面白い。…東京の地下を流れる川を使って何か術をかけるとか、テロを行うとかそういう話を、って既に誰かやってそうだな。
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以上です。