mieki256's diary



2003/07/09(水) [n年前の日記]

#5 なんとなく詩というものについて考えてみたり

自分、詩を読んだ事がほとんどないので外してるかもしれんけど。

想像するに詩と言うものは、読んだ人が「わかるわかる」「たしかにそうだ」という気持ちになった時に読み物として成立するのかなと。であれば誰もが体験した事のある最大公約数的なところを引っ張り出せば成功する確率は高いのかもしれんと思ったり。

ある詩を読んで、「むむ?」と思ったのは、相手に対する否定的感情を表していた部分…その部分は各人によって受け止め方・感じ方が違うはずの部分で、そこに自分は強い違和感を感じたり。と同時に、果たしてこの詩は読み手にどの程度受け入れられる詩なのだろうかと考えてしまったり。

なんとなくだけど、詩を書いた本人しか持ち得ない感情を言葉として出してしまうとよろしくなさそうな。その部分は、相手が詩を読み、自分で出すであろう答え。詩人が先回りして答えを書いてしまうと、読み手の出した答えとズレがあった場合、共感を持って受け止められないのではないかと。つまり成功しやすい詩は、流れは書くが答えは書かず、しかし万人が同じような答えを感じる為の材料を充分に提示しているもの、ということになるのだろうか。「ハッキリとした結論を出す」という通常の文章とは大きく異なった文章になりそう。 *1

とか考えてると、やっぱり詩人は凄いなと。オイラは逆立ちしたってそんな難しい文章書けそうにないス…。
*1: 例えば、「○○、好きだー」と、当人にしか理解できない感情や答えを書くよりも、その○○を好きになっていく過程の情景描写をするに留めてみるとか。読み手にも、その○○を好きになっていく過程を追体験させ、最終的に、その○○っていいね、と思ってしまうように持っていく、とか。…や、最近の風潮は、答えだけをズバリ書いちゃって、同意できない読み手はとにかく存在しないものとして扱うのかもしれないけど。って実際どうかはわかんないですが。

以上です。

過去ログ表示

Prev - 2003/07 - Next
1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31

カテゴリで表示

検索機能は Namazu for hns で提供されています。(詳細指定/ヘルプ


注意: 現在使用の日記自動生成システムは Version 2.19.6 です。
公開されている日記自動生成システムは Version 2.19.5 です。

Powered by hns-2.19.6, HyperNikkiSystem Project