2013/12/13(金) [n年前の日記]
#2 [dxruby][game] 敵に弾が当たったら敵をフラッシュさせるソレ
昨日一昨日と、画面をフラッシュさせる云々の記事を書き残してみたものの。書いてる最中、ずっともやもやしてたのです。
と言うのも。たしか以前、Web上の何かの記事で、「敵に弾が当たったら敵をフラッシュ、なんてやってる時代じゃねえだろ(プゲラ」みたいな主張を読んだ記憶もあるんですよ…。いや、自分の偽記憶かもしれないけど。
その主張にも一理あるよな、と、自分は思っていて。
もしかすると、このあたり、正岡子規が言ってたらしい、「テメエラ、紀貫之や古今和歌集をいつまでも崇拝してんじゃねえよ。和歌はもっと写実的であるべき!」みたいな話と似てるのかもしれませんが。それはそれとして。
どうして敵をフラッシュさせるかと言えば、「YOUの撃った弾はちゃんと敵にダメージ与えてるから、安心してプレイせえや」と、遊んでる人に知らせたいからやってるわけで。「敵に弾がちゃんと当たってる」「ダメージを与えてる」ことを伝えるのが目的であって、ただ真っ白にフラッシュさせることが目的じゃない。フラッシュは、数ある手段の中の一つでしかない。目的が果たせるなら、どんな手段を選んでもいいわけで。
例えば、たしかパロディウスあたりは、ボスキャラに弾が当たると目玉が飛び出て仰天する絵になるわけで。昔だって、そういう伝え方はしてたよなと。
とは言うものの。
TVゲームの歴史って、他と比べたら圧倒的に短いけれど、一応それなりに何十年も続いてるわけで。そこを無視してええのかな、とも。
ということで、「この手のフラッシュ云々なんて、書いてみて意味あるのかな? 読んだ人は笑うんじゃないの? いやー、でも、どういうゲームを作りたいかによるよなあ…」などと結構もやもやしつつ、それでも一応は書いてみたのでした。
まあ、「コイツ今頃何やっとんじゃい。今のハードならこういう見せ方するのがベターやろ」と憤慨された方がおられましたら、せっかくだからそのあたりを、blogとか _Qiita とかで、チラッと紹介してくれれば勉強になる人も多いはずなので、そん時はそういう方向でどうかよろしくお願いいたします。みたいな。
「今ならこうだよ」的な話って、別にプログラマーじゃなくても、ゲームをたくさん遊んできた人なら書けそうな予感も。「このゲームではこういう表現してたよ」と、記憶を辿ってリストアップする作業に近いだろうし。
もっとも、このあたりの表現を絶えず意識しながら、ゲーム映像を見てる人は少ないんじゃないか、という気もしてますが…。こういうのって、上手く行ってれば行ってるほど、ソレをやってることに気付かれなくなっていくものですし。
と言うのも。たしか以前、Web上の何かの記事で、「敵に弾が当たったら敵をフラッシュ、なんてやってる時代じゃねえだろ(プゲラ」みたいな主張を読んだ記憶もあるんですよ…。いや、自分の偽記憶かもしれないけど。
その主張にも一理あるよな、と、自分は思っていて。
- 最先端のゲーム映像は、やたらとリアルな映像になってる。そんなゴイスな映像の中で、オブジェクトをフラッシュさせるという、昔ながらの記号的表現をいつまでも踏襲してみても…。映像全体が「リアル」を志向しているのだから、敵が弾を浴びた時の表現も当然リアルにするべき。
- 敵がフラッシュする表現は、パレットで色を管理してた、昔のハードウェアの制限下で、ある種“苦し紛れに捻り出された”表現。今は逆に、そういう表現を実現することが難しいハードウェアなのだから、あえて無理して再現なんかせず、今のハードウェアに合わせた、リッチで新しいリアクションを見せるべき。
もしかすると、このあたり、正岡子規が言ってたらしい、「テメエラ、紀貫之や古今和歌集をいつまでも崇拝してんじゃねえよ。和歌はもっと写実的であるべき!」みたいな話と似てるのかもしれませんが。それはそれとして。
どうして敵をフラッシュさせるかと言えば、「YOUの撃った弾はちゃんと敵にダメージ与えてるから、安心してプレイせえや」と、遊んでる人に知らせたいからやってるわけで。「敵に弾がちゃんと当たってる」「ダメージを与えてる」ことを伝えるのが目的であって、ただ真っ白にフラッシュさせることが目的じゃない。フラッシュは、数ある手段の中の一つでしかない。目的が果たせるなら、どんな手段を選んでもいいわけで。
例えば、たしかパロディウスあたりは、ボスキャラに弾が当たると目玉が飛び出て仰天する絵になるわけで。昔だって、そういう伝え方はしてたよなと。
とは言うものの。
TVゲームの歴史って、他と比べたら圧倒的に短いけれど、一応それなりに何十年も続いてるわけで。そこを無視してええのかな、とも。
- 例えば、漫画の中で、キャラの頭に汗マークを描くと、「ああ、このキャラは焦ってるんだな」と読者に伝わる。それは、漫画というメディアが獲得した「文法」。同様に、TVゲーム映像におけるフラッシュ表現も、もはや記号・お約束 ―― 「文法」である可能性はないか。
- 2Dゲームライブラリは、「昔遊んだあの手のゲームを、自分の手でもう一度」てな面が大きい。最先端の映像表現を目指してるわけではない。昔のゲーム映像ノリに近づけば近づくほど、価値が高まる可能性も否定できない。
- 学習用としてそのライブラリに触ってるなら、そこでリッチな最先端映像を目指してみても…。チープな映像でも、技の存在、仕組み、考え方を知ることができれば十分。
- リッチな見た目が実現できるからと言って、ソレをやればいいってもんでもない。例えば、パロディウスのボスキャラの、目玉が飛び出るソレを、ダライアスのメカメカしいボスキャラでそのままやっちゃったら色々と台無し。
ということで、「この手のフラッシュ云々なんて、書いてみて意味あるのかな? 読んだ人は笑うんじゃないの? いやー、でも、どういうゲームを作りたいかによるよなあ…」などと結構もやもやしつつ、それでも一応は書いてみたのでした。
まあ、「コイツ今頃何やっとんじゃい。今のハードならこういう見せ方するのがベターやろ」と憤慨された方がおられましたら、せっかくだからそのあたりを、blogとか _Qiita とかで、チラッと紹介してくれれば勉強になる人も多いはずなので、そん時はそういう方向でどうかよろしくお願いいたします。みたいな。
「今ならこうだよ」的な話って、別にプログラマーじゃなくても、ゲームをたくさん遊んできた人なら書けそうな予感も。「このゲームではこういう表現してたよ」と、記憶を辿ってリストアップする作業に近いだろうし。
もっとも、このあたりの表現を絶えず意識しながら、ゲーム映像を見てる人は少ないんじゃないか、という気もしてますが…。こういうのって、上手く行ってれば行ってるほど、ソレをやってることに気付かれなくなっていくものですし。
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以上です。