2012/08/07(火) [n年前の日記]
#4 [anime] 十二国記再放送を視聴
今、NHK-BSで、深夜に十二国記の一挙再放送をしているそうで。かなり話は進んでしまっていたけれど、一応視聴。
なんで今頃再放送なんだろうと不思議に思ったけれど。妹の話では、原作の新装版が別の出版社から発売されたそうで。なるほど、これも宣伝なのか…。まあ、面白い作品だから、視聴の機会が増えるのは喜ばしいなと。
独自用語てんこもりの代表例みたいな作品なので、そのあたりの説明をどう処理していたのか、とても興味深かったり。
「用語が分かりづらいよねえ」と実況スレで少しボヤいたら、「字幕を表示しろや」と言われて、生まれて初めてデジタル放送の字幕表示機能をONにしてみたり。…うわあ。台詞がめちゃくちゃよく分かる。と思った直後に頭を抱えてしまった。ダメだろ。これじゃアニメになってないだろ。アニメは小説じゃねえんだぞ。みたいな。ということで、やっぱり字幕表示はOFFにして、字幕無しでも通用させるための手管(?)を観察しながら視聴することに。 *1 …自分、面倒臭いヤツだなあ。
なんで今頃再放送なんだろうと不思議に思ったけれど。妹の話では、原作の新装版が別の出版社から発売されたそうで。なるほど、これも宣伝なのか…。まあ、面白い作品だから、視聴の機会が増えるのは喜ばしいなと。
独自用語てんこもりの代表例みたいな作品なので、そのあたりの説明をどう処理していたのか、とても興味深かったり。
「用語が分かりづらいよねえ」と実況スレで少しボヤいたら、「字幕を表示しろや」と言われて、生まれて初めてデジタル放送の字幕表示機能をONにしてみたり。…うわあ。台詞がめちゃくちゃよく分かる。と思った直後に頭を抱えてしまった。ダメだろ。これじゃアニメになってないだろ。アニメは小説じゃねえんだぞ。みたいな。ということで、やっぱり字幕表示はOFFにして、字幕無しでも通用させるための手管(?)を観察しながら視聴することに。 *1 …自分、面倒臭いヤツだなあ。
◎ カイタツ問題。 :
本編中で「カイタツ」という言葉がやたらと出てくるのだけど。実況スレを眺めていて、「懐達」という漢字だったと知り、なるほどそういうことかと納得すると同時に、この作品もそういう問題が ―― 自分が以前メモした「カイイ」みたいなソレが山ほどあったのだなと再確認。漢字を見ればすぐに分かることも、音声だけでは分かりづらくなってしまう。特定の傾向を持った小説のアニメ化には、そういう問題がつきまとう。
これがまたややこしいことに、主人公は当初「カイタツ」「カイタツ」と言われて「なんのこっちゃ?」と思うのだけど、後に「懐達」と言われていたと知り ―― 昔の王様の「達王」の時代は良かったなあ、それに比べて今の王様はなんだかなあ、「達」王の時代が「懐」かしいよ ―― とボヤキを聞かされていたと知って主人公が落ち込んでしまう、という展開だったりするわけで。
小説や漫画ならまだしも、そんなのアニメで表現できないよ! 滅多に漢字を画面に出せないし! 「読み聞かせ」の説明ばかりだし! 無茶だ! と思えてしまったり。會川脚本作品は昔からチャレンジャーというか、演出家に大変なことを要求するなあ、と。いやまあ、これは原作付きの作品なのでそのへんアレだろうけど。
とはいえ、このカイタツ問題、十二国記アニメ版においては、主人公が女官(?)に、「『カイタツ』の意味は知ってるよ。こういうことだろ?」と説明するシーンがちゃんと用意されていて。そういう説明が用意されているから、「カイタツ」=「懐達」と分からなくても、視聴者が、「カイタツ」=主人公を馬鹿にする言葉、と理解していればそれでOK、という作り・気配りがそこにあり。なるほど、上手いなあ、と感心を。
しかし、漢字で見れば一発なのになあ、というモヤモヤした気分は残ってしまったり。こういうのって、やっぱり難しい問題だなあ、と。
その手のアレコレについては、十二国記はまだ良いほうで、数話見ただけでも以下のような工夫に気づいたりもして。
何にせよ、このあたり、やっぱりアニメ業界に出されている宿題だよなあ、と再認識。
ふと思ったけど。「氷菓」はそのあたり、上手な見せ方をしていたような気がしてきた。あのアニメは、タイトルからして謎が含まれている・その謎が解けるあたりがアニメ版中盤の山場なのだけど。原作未読の自分が、アニメ版を見ているだけで、「ああ、そういう意味だったのか」と納得できたということは、上手に説明することができていた、ということなのだろうと。
もっとも、「氷菓」は、十二国記のように独自用語が溢れているわけではないし。やはり、数が少なければやりようがある、数が多くなると手が付けられなくなる、ということなのかなあ…。
まあ、そんなことを思いながら視聴しましたよ、とメモ。
これがまたややこしいことに、主人公は当初「カイタツ」「カイタツ」と言われて「なんのこっちゃ?」と思うのだけど、後に「懐達」と言われていたと知り ―― 昔の王様の「達王」の時代は良かったなあ、それに比べて今の王様はなんだかなあ、「達」王の時代が「懐」かしいよ ―― とボヤキを聞かされていたと知って主人公が落ち込んでしまう、という展開だったりするわけで。
小説や漫画ならまだしも、そんなのアニメで表現できないよ! 滅多に漢字を画面に出せないし! 「読み聞かせ」の説明ばかりだし! 無茶だ! と思えてしまったり。會川脚本作品は昔からチャレンジャーというか、演出家に大変なことを要求するなあ、と。いやまあ、これは原作付きの作品なのでそのへんアレだろうけど。
とはいえ、このカイタツ問題、十二国記アニメ版においては、主人公が女官(?)に、「『カイタツ』の意味は知ってるよ。こういうことだろ?」と説明するシーンがちゃんと用意されていて。そういう説明が用意されているから、「カイタツ」=「懐達」と分からなくても、視聴者が、「カイタツ」=主人公を馬鹿にする言葉、と理解していればそれでOK、という作り・気配りがそこにあり。なるほど、上手いなあ、と感心を。
しかし、漢字で見れば一発なのになあ、というモヤモヤした気分は残ってしまったり。こういうのって、やっぱり難しい問題だなあ、と。
その手のアレコレについては、十二国記はまだ良いほうで、数話見ただけでも以下のような工夫に気づいたりもして。
- 総集編の中で、各用語にどんな漢字が当ててあるのか、文字ドーン方式 ―― 画面にその漢字だけをドンと出す ―― で説明していたり。
- キャラの登場シーンでは、人物名をテロップで表示したり。
- ナレーションでちょこちょこと単語を説明したり。
- 組織の構成図を画面に出して説明したり。
何にせよ、このあたり、やっぱりアニメ業界に出されている宿題だよなあ、と再認識。
ふと思ったけど。「氷菓」はそのあたり、上手な見せ方をしていたような気がしてきた。あのアニメは、タイトルからして謎が含まれている・その謎が解けるあたりがアニメ版中盤の山場なのだけど。原作未読の自分が、アニメ版を見ているだけで、「ああ、そういう意味だったのか」と納得できたということは、上手に説明することができていた、ということなのだろうと。
もっとも、「氷菓」は、十二国記のように独自用語が溢れているわけではないし。やはり、数が少なければやりようがある、数が多くなると手が付けられなくなる、ということなのかなあ…。
まあ、そんなことを思いながら視聴しましたよ、とメモ。
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以上です。