mieki256's diary



2012/07/19(木) [n年前の日記]

#3 [anime] アニメの中で説明できる量について最近思ったことをメモ

もやしもんリターンズの1話を見て、これはちょっとギリギリか? でもないか? このくらいなら大丈夫か? もうちょっとイケるか? 無理か? と少しハラハラドキドキしたり。

何がギリギリ? 説明できる量が。

アニメは、説明することに長けている表現手法。と、自分は思っているけれど。しかし、アニメは、時間制御できる表現手法でもあるから、説明できる量には限度がありそうだな、てなことを、件の作品を見ているうちに思ったり。

それぞれ説明が必要かしら? 自分もそのうち忘れそうだから、一応メモしておこう…。

アニメは説明することに長けている表現手法。 :

前にも書いた気がするのだけど、記事が見つからなかったので、一応メモ。

例えば、ニュース番組や教養番組で、少し複雑な事故・事件・知識等を説明するときは、ちょっとしたアニメが挿入されたりする。なんでアニメが出てくるのか。アニメを使うと説明が分かりやすくなるから。

そもそも、日本で初めて作られたアニメは、教育目的で作られたらしい。子供達に科学知識を教える際に、アニメを使うと分かりやすく説明できる、てな効能を見出されたのだとか。東映動画が誕生する、少し前の時代の話。

ということで、実際に使われている場面を眺めると、アニメは説明することに長けている表現手法、と言えるのではないかと。

アニメになるとどうして分かりやすくなるのか。これは自分の勝手な仮説だけど。
  • 動きを表現できる。動きとは、時間の変化に伴った、状態の変化のこと。
  • 説明する上で邪魔になる視覚情報を、デフォルメ・記号化を通すことで、消去することができる。肝の部分だけ、見せることができる。
  • 「読み聞かせ」ができる。
  • etc.
どれも、アニメ特有の強みというわけではないけれど。時間、絵、音を操れる総合芸術だからこそ持てる強み、ではあると思う。

ついでに、飛躍した極論も書いてしまうけど。アニメを使っているのに上手に説明できないということは、そのアニメを作った人達が、説明すべき内容を理解できてない証拠。もしくは、作った人達が、アニメを愛してない。アニメという表現手法と真剣にお付き合いしてないから、活用できないのだろうなと。自分の勝手な極論ですけど。

しかし時間制御する表現手法には量に関して限界がある。 :

アニメは説明することに長けているけれど。しかし、作り手が時間を制御できる表現手法でもあるので、説明できる量には限界があるよな、と。

作り手が時間を制御できない、小説や漫画と比較すると、分かりやすい気がする。
  • 小説や漫画は、時間の制御を、読者が行う。理解が遅い読者はゆっくり読むし、理解が早い読者はガンガン読み進む。一人一人の理解速度に対応できる。
  • 小説や漫画は、途中で引っ掛かる部分が出てきたときに、少し前に戻って読み返すこともできる。過去の情報を容易に参照できる。
  • 小説や漫画は、詰め込む情報量に自由度がある。ページサイズや文字数が許す限り、ギッシリ詰め込むこともできるし、逆に、特大の文字で台詞を一つだけ書く、なんてこともできる。
アニメでは、どれも難しい。
  • アニメは、視聴者一人一人の理解速度に対応できない。作り手が設定した速度以外にはならないから。
  • アニメは、作り手が仕込まない限り、過去の情報を参照できない。
  • アニメは、フレームという制限、TVという解像度の制約があるので、詰め込める視覚情報の量に制限がある。
  • アニメは、音声を流すので、一定の時間内に詰め込める台詞の量に限界がある。
  • etc.

例えば、もやしもんは漫画が原作だけど。漫画版では、教授がやたら長々と農学について説明するコマがある。アニメでは、そういう表現は無理。説明するためには、その音声分の時間が必要になるので、下手すると教授の説明台詞だけでAパートが終わってしまう。しかしこれが漫画なら、たった1コマ、吹き出しの中にビッシリ細かい文字で書き込んで、読者に情報を与えることができる。その上、読者がその気になれば、その説明を一字一句漏らさず読んで理解することもできてしまう。…いや、もやしもんの件のコマは、どう見ても読み飛ばすこと推奨なのだけど。そこに書かれた大量の文章を、読もうと思えば読めてしまうのが、時間制御をユーザに任せている表現手法の強み。アニメでは、そういうのは無理。

アニメは音楽と同じ。提示した情報は、どんどん流れて消えていく。

作り手が時間を制御できる表現手法は、理解させられる量に関して限界がある。オーケストラの楽器音の一つ一つ、合唱団の一人一人の声を聞き分けるのは、素人には無理。

もっとも音楽は、漠然と全体を感じることができればそれで娯楽になるけれど。アニメは、そういうわけにはいかない。いや、そういう状態で問題無い場面と、問題がある場面が混在している。それがアニメ。

説明することに関して、そういう難しさが、アニメにはあるよなと。分かりやすい形で伝えられるけど、提示できる情報量には限界がある。感じさせることはたやすいけど、大量にしっかりと一度に全てを理解してもらうことは難しい。

このへん、アニメに限った話じゃなくて、映像コンテンツに共通する話なのだけど。

そんなこんなで。 :

「もやしもんリターンズ」を見ていると、説明できる量や、説明する速度について、どのへんがギリギリのラインか、絶えず意識しながら作ってるように思えるので、好印象でしたよ、と。アニメという表現手法と悩みながら付き合ってくれているんだな、みたいな。まあ、漫画原作があの情報量だから、そうせざるをえないよ、と言われそうな気もするけれど。

「氷菓」も、同じような理由で好印象。謎について説明する際に、アニメの強みを活かした説明を模索しているように見える。巷のアニメのほとんどが、「読み聞かせ」しか使わない怠惰ぶりを見せる中、あの手のこの手で状況を説明しようと試みている。心意気からして違う。原動画の細やかさもそうだけど、京アニは、アニメ(あるいは映像表現)を愛してくれている人達が集まっているんだなあ、と感じて嬉しくなるわけで。

自分は薄いアニオタだけど、それでも一応アニメが好きなほうなので。アニメの強みや弱みを意識しながら作ってる作品群を見ていると、それだけでなんだか嬉しくなってしまうのでした。みたいな。

そんなことを思いましたよとメモ。

以上です。

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