2012/07/17(火) [n年前の日記]
#2 [game] 今のゲームにおいてプレイヤーは傍観者になってたりしないのかな
某所で、昨今のギャルゲーだかエロゲーだかも、相変わらず主人公キャラの顔は出さないし音声も出さないことが多いんだよ、みたいな話を見かけたり。
たしか、ときメモ1の頃に、主人公キャラはプレイヤーの分身なのだから、顔を出すのも音声を出すのも御法度、みたいな話を聞いて、なるほどと思ったことがあるのだけど。しかし、昨今までそういう「手法」が踏襲されていると聞くと、本当にそれって合ってるのかなと不安に思ったりもするわけで。
現代のゲームの中で展開していくストーリー、シナリオ上で用意された主人公キャラの言動は、ディスプレイのこちら側に居るプレイヤーの意に沿ったものになっているのだろうか。もはや、主人公キャラは、プレイヤーの分身としての立場から、当の昔に乖離していないか。プレイヤーはゲームに対し、傍観者として接しているのが当たり前だったりしないか。いや、そのへん、タイトルによるだろう、とは思うけど。
主人公の顔を見せない・音声を出さないというのは、ある種の「型」だけど。実態と合っていないのに、型だけ守っている状態になってないか。プレイヤーが傍観者になっているなら、もっと効果的な手法が他にあるのではないか。てな不安が湧いてきたりもして。
漫画、ドラマ、映画においては、主人公キャラが、読者、視聴者、観客の分身でなければいけない、という原則はないように思う。別に傍観者でも問題無いし、傍観者であっても作品にのめり込んでいける作りは可能なはずで。というかほとんどの作品はそういう作りを模索している気がする。
ゲームは、他のメディアに比べると、主人公キャラをプレイヤーの分身として錯覚させやすいメディアではあるけれど。必ずしも、分身として見えるように作らねばならない、と法律か何かで決まっているわけでもないし。
FPSやアクションゲームなら、プレイヤーキャラの細かい行動の一つ一つをプレイヤーが制御しているわけだから、プレイヤーの分身になりやすい気もするけれど。それ以外のゲームはどうなんだろうなあ、と。
そんなことをぼんやり思いました、とメモ。
たしか、ときメモ1の頃に、主人公キャラはプレイヤーの分身なのだから、顔を出すのも音声を出すのも御法度、みたいな話を聞いて、なるほどと思ったことがあるのだけど。しかし、昨今までそういう「手法」が踏襲されていると聞くと、本当にそれって合ってるのかなと不安に思ったりもするわけで。
現代のゲームの中で展開していくストーリー、シナリオ上で用意された主人公キャラの言動は、ディスプレイのこちら側に居るプレイヤーの意に沿ったものになっているのだろうか。もはや、主人公キャラは、プレイヤーの分身としての立場から、当の昔に乖離していないか。プレイヤーはゲームに対し、傍観者として接しているのが当たり前だったりしないか。いや、そのへん、タイトルによるだろう、とは思うけど。
主人公の顔を見せない・音声を出さないというのは、ある種の「型」だけど。実態と合っていないのに、型だけ守っている状態になってないか。プレイヤーが傍観者になっているなら、もっと効果的な手法が他にあるのではないか。てな不安が湧いてきたりもして。
漫画、ドラマ、映画においては、主人公キャラが、読者、視聴者、観客の分身でなければいけない、という原則はないように思う。別に傍観者でも問題無いし、傍観者であっても作品にのめり込んでいける作りは可能なはずで。というかほとんどの作品はそういう作りを模索している気がする。
ゲームは、他のメディアに比べると、主人公キャラをプレイヤーの分身として錯覚させやすいメディアではあるけれど。必ずしも、分身として見えるように作らねばならない、と法律か何かで決まっているわけでもないし。
FPSやアクションゲームなら、プレイヤーキャラの細かい行動の一つ一つをプレイヤーが制御しているわけだから、プレイヤーの分身になりやすい気もするけれど。それ以外のゲームはどうなんだろうなあ、と。
そんなことをぼんやり思いました、とメモ。
[ ツッコむ ]
以上です。