2009/05/29(金) [n年前の日記]
#1 [neta][jiji] 「臭いモノには蓋をする」的な日本のソレを「日本の文化」として肯定し続けることに違和感を覚えたりして
_Google Earthの古地図と部落差別問題、本家/.で話題に - スラッシュドット・ジャパン
_「グーグル・アース」に差別地名 国会で指摘され引っ込める - Infoseek ニュース
個人的には、「臭いモノには蓋をする」的な日本のソレを、胸を張って「これが日本の文化です。習慣なんです」と他国の人に伝えてしまうことに、恥ずかしさを感じてしまったり。そのへん肯定し続ける日本人であってはいけないのではないか。虚勢でもいいから「そんなものは日本にはありません。ないはずなんです」と言えているほうがまだマシな状態なのでは。と思ったけど日本はそういう問題を今尚抱えているダメダメな国なのです、と明らかにしておくこと自体ある種オープン志向・「隠してない」状態だからそれはそれでいいことなのかなあ、と気がついて、考え込んでしまったり。「隠す」ことを善としてしまう民族であることを「隠さない」民族。なんだかよくわかりませんが。
「穢多」という言葉を隠せば、それで差別はなくなるのだろうか。例えばの話、道路に猫の死骸があったとして、黒いゴミ袋を被せれば、猫の死骸はこの世に存在していないことになるのだろうか。一見死骸が見えなくても悪臭は相変わらず漂うと思うのだけど。それと似たようなもので、言葉を隠せば、古地図を隠せば、差別問題は無くなるのだろうかと。何か対応を間違えてるような気もする。気もするのだけど、じゃあどうすりゃいいのよと問われたら悩んでしまう気もする。
差別用語っぽい部分が含まれることで、差別云々とは全然関係ない部分まで全部公開できなくなるという状況が釈然としない、のかもしれない。>自分。古地図を手軽に閲覧できる利便性や資料性云々と、差別云々を天秤にかけた際、どちらが優先されるべきなのだろうか。
「オタク」という単語を差別的文脈で使ってる人が少なからず居る現代の世の中なわけだけど、差別的文脈で使われることもある単語だから「オタク」という単語をこの世から抹殺しよう、ついでに言えば「オタク」は「ゲーム」「アニメ」等の単語と組み合わせて使うことが多いから、「ゲーム」「アニメ」という単語もこの際抹殺しよう、と言い出す人が居たらどうなるんだろう。件の古地図の問題は、そういう乱暴さを孕んでるような気がしたりしなかったり。
_「グーグル・アース」に差別地名 国会で指摘され引っ込める - Infoseek ニュース
「ストリートビュー」や書籍の著作権問題などで波紋を広げるグーグルだが、今度は衛星画像表示ソフト「グーグル・アース」の機能に問題が指摘されている。このソフトでは、衛星写真の上に古地図を重ねる機能がある。江戸時代の古地図には差別的な地名が表示されているものがあり、国会でも「差別的に扱われる可能性がある」と質問が出た。
09年3月17日の参院法務委員会で民主党の松岡徹議員(比例代表)が、古地図に「穢多(えた)村」との地名が記載されていることを指摘したのだ。「穢多」とは、かつての被差別階層を指す蔑称で、現代では、通常は公には登場することのない言葉だ。
松岡議員は、
「例えば古地図にあります穢多村、被差別部落、今のところね、出ています。東京では被差別部落は行政的に『ここがそうだ』というふうに地区指定していませんですから、なかなか分かりにくいんですね。しかし、古地図と合わすと分かってきているんですね」
と、古地図から、かつて被差別部落だった場所が特定されてしまうおそれを指摘。「部落解放同盟中央書記長」という肩書きも持っている松岡議員は、さらに
「グーグルがどういう意図でこのサービスを始めたのか分からないが、この状態は、人権侵害につながるのではないか」
「例えば第二の(被差別部落の場所を記した)地名総鑑のように差別的に扱われる可能性がある」
などと訴えた。
グーグル社の手法や姿勢をめぐっては、批判の声もあがっている。ITや企業のコンプライアンス(法令遵守)に詳しい牧野二郎弁護士は、「ストリートビュー」の問題にみられるような「ファクト(事実関係)偏重型」のグーグルの体質を指摘する。
「数百年も前の地図なので、すでに著作権は消滅しています。従って、掲載すること自体に著作権法の問題はありません。グーグルは『事実なんだから、みんなが見られるのは良いことなんだ』という姿勢で一貫しています。地名を語るということは文化・歴史を語ることに他ならないのですが、グーグルはファクトとカルチャー(文化)を混同している。文化的な文脈を無視しています。『ストリートビュー』の時と同じで、国や地域文化や習慣に対する尊敬が足らないのではないでしょうか」
個人的には、「臭いモノには蓋をする」的な日本のソレを、胸を張って「これが日本の文化です。習慣なんです」と他国の人に伝えてしまうことに、恥ずかしさを感じてしまったり。そのへん肯定し続ける日本人であってはいけないのではないか。虚勢でもいいから「そんなものは日本にはありません。ないはずなんです」と言えているほうがまだマシな状態なのでは。と思ったけど日本はそういう問題を今尚抱えているダメダメな国なのです、と明らかにしておくこと自体ある種オープン志向・「隠してない」状態だからそれはそれでいいことなのかなあ、と気がついて、考え込んでしまったり。「隠す」ことを善としてしまう民族であることを「隠さない」民族。なんだかよくわかりませんが。
「穢多」という言葉を隠せば、それで差別はなくなるのだろうか。例えばの話、道路に猫の死骸があったとして、黒いゴミ袋を被せれば、猫の死骸はこの世に存在していないことになるのだろうか。一見死骸が見えなくても悪臭は相変わらず漂うと思うのだけど。それと似たようなもので、言葉を隠せば、古地図を隠せば、差別問題は無くなるのだろうかと。何か対応を間違えてるような気もする。気もするのだけど、じゃあどうすりゃいいのよと問われたら悩んでしまう気もする。
差別用語っぽい部分が含まれることで、差別云々とは全然関係ない部分まで全部公開できなくなるという状況が釈然としない、のかもしれない。>自分。古地図を手軽に閲覧できる利便性や資料性云々と、差別云々を天秤にかけた際、どちらが優先されるべきなのだろうか。
「オタク」という単語を差別的文脈で使ってる人が少なからず居る現代の世の中なわけだけど、差別的文脈で使われることもある単語だから「オタク」という単語をこの世から抹殺しよう、ついでに言えば「オタク」は「ゲーム」「アニメ」等の単語と組み合わせて使うことが多いから、「ゲーム」「アニメ」という単語もこの際抹殺しよう、と言い出す人が居たらどうなるんだろう。件の古地図の問題は、そういう乱暴さを孕んでるような気がしたりしなかったり。
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以上です。