mieki256's diary



2008/05/02(金) [n年前の日記]

#1 [iaapli] バグ修正中

ごく稀に球が消える、という不具合報告があったので、状態を再現すべくあれこれと。半日アレコレ試して、やっと出た。出た時の、球の速度・角度・座標値をメモっておいて、それに固定。必ず状態が出るようにしてから動作を追跡。

フィールドと外側を区切ってる壁の中に、めり込んでしまう時があるのが原因だった。壁はグーンと高い高さ情報を持ってるので、その高さに球の高さも補正され、画面外に表示されてしまう=消えてしまうように見えていた。どういう対処をするか少し悩んだけど、結局、移動処理の最後に、壁にめりこんでないか判定処理を入れて、めりこんでいたら補正するように。

そもそも、壁にめり込んだ後に補正してないというのが不思議。元のサンプル版からしてそうだったのか、それとも自分が手を入れてる間にエンバグしてしまったのか。球は壁で反射するので、速度が速い時はすぐに抜け出すのだけど。速度が遅い時は数フレーム壁の中に入り続けてしまって、その際に高さが補正されてしまうらしい。速度が遅い状態になる前に、移動処理が終わる・停止することがほとんどなので、そういう不具合が起きることは少なく、ここまで引き摺ってしまった、ということなんだろうけど。

なにかもっとこう、数学的なアタリの持ち方・球の動きを実装したほうが良かったんじゃないか、という感も。いや、どういうアタリを持てばいいのかちょっとわかんないけど。ドローツールでアタリを描くとかそんな感じになるのだろうか。

#2 [anime] 顔が緑色になるルパン

TVをつけたら、ルパン三世カリオストロの城が流れてた。もう終わりのほうだったけど、ちょっと見入ってしまったり。

ルパンの顔が、赤→青→緑になるところで感心。今時のカッコイイアニメでは、こういう表現はできないよなあ。

というか、比較的新しい宮崎アニメでも、こういう表現は無くなったような気がする。宮崎駿は、正しい表現方法を身につけた、ということなんだろうか。どうもそうではないような気もするけど…。

だらけてる銭形が電話の声で突如変貌するところに感心。 :

「これ以上余計なことをするな」的なことを上司たちから言われ、ヤケ酒を飲んで酔っぱらってる銭形に、電話がかかってくる。「(ぐでんぐでんな状態で)もしもーし〜… ! 不二子か!?」みたいな感じのシーン。赤ら顔でだらしない状態だったのが、電話の声を聞くなり別人のように変貌。もちろん、当時の銭形の声優さんは、今と違って、その変化を演じることができてたりもするわけで。<オイ。

こういう変化というか、ある種の緩急というか、「それらしさ」が含まれてるのが、この当時の宮崎アニメの面白さだったのかな、という気もしたわけで。いかにも記号的な、固まったキャラ属性 ―― 最初から終わりまで真面目なヤツはどこまでも真面目だし、おちゃらけてるヤツはどこまでもおちゃらけてるし、といった定型的?な人間の描き方ではなく。人間なんだから、だれてる時もあれば気合いが入ってる時もあるだろう、一人のキャラにも本当ならいろんな表情があるはずだ、それが人間ってやつじゃないの、みたいな。

だれてる時の描写も、気合いが入った時の描写も、それぞれ単体で見れば、いかにも記号的な描写・画であったのだけど。<担当アニメーターに失礼なことを書いてるな…。しかし、その2つの記号を組み合わせ、瞬時に変化する様子に仕立てることで、記号らしさを払拭し、人が手で描いて作った映像であるにも関わらず、まるで実際の人間の振る舞いを見ているかのような、そんなそれらしさを感じさせる…。その後の展開を構築するための下準備的な情報提示であろう、なんてことのない1シーンでありながら、しかしそんな1シーンであってもこういうコンテを描いてしまうあたりが、当時の宮崎駿の強さ(?)だったのかな、と妄想したり。

とは言っても、伯爵やクラリスは、全編通してキャラの属性を崩したりはしないんだよな…。変化の激しいキャラと、そうでないキャラを配置することで、さらにそれぞれのそれらしさが増す…とか考えて作ってたのかなどうだろうとか思ったりもして。考えすぎかしら。いや、実は理詰めでそこまで作ってたのかもしれない、という気もする。どうなんだろうなあ。

クラリスの意識が戻る時のクレーンアップが凄い。 :

クレーンアップ…という言い方でいいのだろうか。わからんけど。結婚式で、クラリスの目にハイライトが戻ってくるカット。や、ハイライトを利用するという手法もアレなんだけど、カメラワークのほうもシビレタというか。

作画の力でそういう映像を見せるあたりも凄いのだけど。クラリスにそういう変化が訪れるということを、実写的なカメラワークで表現しようという、その発想・思考からして参ったなと。いや、たぶん元ネタがあるんだろうなとも思うのですが。

アニメってのは、その表現手法の制約故、実写と違うカメラワークになりがちだけど。だからこそ、ここぞというシーンで、実写ではよく使われるがアニメでは滅多に使われない ―― 使ったとしても擬似的な表現になりがちで「なんか違うんだよなー」となってしまう、そんなカメラワークを持ってきたのかなと想像したり。普段使わないカメラワークをそこに入れ、なおかつ、よく見かける「アニメ風」ではなく、滅多に見ない「実写風」を作画を用いて真っ当に表現したことで、クラリスの受けたショックの大きさが、観客側にも無意識下で伝わってくるという。

宮崎監督は、感覚に頼って、そういうコンテを描いたわけではないはずで。アニメで真っ当にクレーンアップを表現しようとすれば、どれだけ手間がかかるのか、作画出身の監督だからよくわかってるはず。しかし、その手間をかけても尚、そのカットにはそういうカメラワークが必要であると。万が一、文句ばかり言うアニメーターから「どうしてこのカットにそんなに手間かけなきゃいけないの?」と問われた時のために、そこには監督なりの理論武装があったはず。あったからこそ、こういうコンテを描けたはずで。…とか考えていくと、やっぱりとことん理詰めで作ったということなんだろうか。>カリ城。

でも、あのカットってクレーンアップなのか? なんかそこからして認識が怪しい。>自分。

まあ、見るたびに発見がある作品ってことで。

発見してるつもりになってるだけ、のような気もするけど。>自分。

宮崎駿の書いた絵コンテ教本にヒントが書いてあったような。 :

や、手元にはないのだけど。たしか、「このカメラワークの表現は、こうやればできなくもないんだけど、でも、どこで使うかは難しいぞ」みたいなことが書いてあったような気もしてきた。>宮崎版コンテ教本。どうだったかな…。

宮崎アニメを、その教本と照らし合わせながら鑑賞すれば、何か見えてくるところもあるのだろうか。でも、あの教本は、何に付属してたんだっけか…。忘れた。

まあ別に、自分がコンテ描くわけでもないから、どうでもいいか。

以上、1 日分です。

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