2006/10/27(金) [n年前の日記]
#1 [comic] _槇原敬之に「999」盗作騒動
松本氏が「盗作」と断じているのは、「夢は時間を裏切らない 時間も夢を決して裏切らない」――というサビの部分。これが「銀河鉄道999」(小学館刊)の第21巻に登場する「時間は夢を裏切らない 夢も時間を裏切ってはならない」というフレーズに「そっくりだ」と主張している。 これは主人公の星野鉄郎のセリフとして使われるだけでなく、作品全体のテーマにもなっている言葉。松本氏は「私のスローガンのような言葉。これを題目に講演会などで若者にエールを送っており、ファンにはなじみ深い。彼が知らないわけがなく、勝手に使うのは盗作」として抗議した。
_松本零士さん、槙原敬之の盗作騒動収束へ
_[2ch]【061026:漫画家】松本零士、槙原敬之の盗作騒動収束へ
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_記事を見る限りでは、松本零士先生側の分が悪い
そんな話があったのか。
松本先生、ゴメン。自分、そんなフレーズが「999」に出てたなんて知らなかったよ…。漫画版って、1〜2話分しか読んだことがないわけで…。TVアニメシリーズも全話目を通したかというと、たぶん見ていない。話数多すぎ。映画版にはそのフレーズ、出てましたでしょうか? と言っても自分、「ミルクをくれ」「錆びちまう〜」とかそんなのしか覚えてないけど。<それもはやフレーズじゃない。さらに、松本先生の講演会とやらもまったく知らなかったであります。福島、特に須賀川市には、来たことあるのかな。
松本零士作品ってのは、読み手に対してそんな一フレーズを覚えてることを強制される作品、なのですな。自分のような薄い人間は、ますます面倒くさくて手が出せませんわ。まあ、「該当フレーズがなじみ深いファン」とやらだけを相手にしていても商売になるのだろうから問題はないのだろうけど。…なんか宗教っぽいな。
つーか、松本零士しかり、いがらしゆみこしかり、どうしてこうも漫画家という人種はゲフゲフゴフン。
この記事へのツッコミ
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以上です。
ニュアンスはすぐピンと来たけど、
個人的には松本側のほうが過剰反応のような気がする。
松本側が言いたいのは
フレーズや文字列そのものだけじゃなくて
世界観を盗んだだろ、みたいなところがあるように聞こえた。
テレビでのインタビューでも「あれは私の誇りだ」みたいなコメントしてて、
まるっきり劇中の登場人物になりきってるというかねぇ…
ま、漫画家が頼りになるものは自分の書いた絵だけだから
こだわるのも分かるんだけどね。
脳内とはいえ、絶えず世界を作ってる、神とも言うべき存在ですからねぇ…。
だんだんと当人の意識もそんな感じになっていくのだろうなぁ…。
ってそんな感じってどんな感じだ。いや、たぶん、あんな感じですが。
夢と時間を関連付けた表現が誰にでも出来るものなのか?
当初、槇原側も「聞いたかもしれない」と言っていたようだ。
確かに山口弁護士の言う通り、
同じ”夢”と”時間”の組み合わせは同じでも主体は違うのだが、
もし槇原が詩人であるのならば、
言葉の組み合わせとそこから受ける感情、印象にも
もっと神経質になるべきだと思う。
槇原が言葉をただ消費するコピーライターならば話は別だと思うのだが。
作品に付いても、本件に関する松本側とのやり取りに付いても、
この件から受ける私の印象は、
「言葉に無神経な(詩人?)槇原サイドに問題あり」
としか言いようが無い。
うーん。松本先生も「銀河鉄道」「ヤマト」とか使ってますし…。
槇原サイドに問題あり、になると、
松本サイドも問題あり、になっちゃうんですよね。
だから、松本サイドのことを考えるなら、
槇原サイドは問題あり、にするわけにはいかないという…。
そこがこの話の不思議なところ、ではないかと思うのでした。
昭和版コミック・映画の人にはピンとこないのは当然かと。
この辺りも、槇原側の主張にありましたが、
やはり言葉に無神経な人だなと思った部分でもあります。
松本氏は、それらの物を否定してはいませんし、
敬意、憧憬の様な感情を表す文章をあちらこちらに書いています。
そして、槙原氏側がその様な表現を使ったという事は、
自らが盗作である事を告白したと考えられませんか?
「松本氏も『銀河鉄道』という言葉を使っている・・・」
裏を返せば、
「あなた(松本氏)も他人の表現を借用している以上、
私(槇原氏)の借用に問題があるのですか?」
と言っているのです。
そして、松本氏と槙原氏の大きな違いはオリジナルを否定するかしないか。
松本氏も、自分がそうした様に、
槙原氏にも時間と夢と裏切りの組み合わせを過去に使った人が居る
という事をどこかに記しておくだけで良いと言っているのです。
槇原氏側が、松本氏に「法的手段に訴えても良い」と行った事とは
対象的です。
更に、誰もが忘れかけた先週、槙原氏は自らのサイトに、
「不快です」の発言を乗せました。
そんなに不快ならば、「法的手段」を持ち出せば良いと思います。
嫌な見方をすれば、
”ほとぼりの冷めた頃を見計らって、自分達のファンにだけ強がってみせた”
という印象を受けます。
無視するなら無視、訴えるなら訴えてスッキリさせれば良い。
そう思ったのは私だけでしょうか?
> 昭和版コミック・映画の人にはピンとこない
おお。なるほど。そういう事情もあったのですか。
これは勉強になったであります。なるほどなぁ…。
> = 自ら盗作である事を告白したと考えられませんか?
いや…まったくそのようには考えられませんが…。
「『この“仮説”が認められるとこのような問題が生じる』
…という「仮定」の話を口にした」=「“仮説”は真である」
というのは全然ロジックになってないと思うのですけど…。
何故そのような飛躍ができるのか、ちょっと理解に苦しみます。
なんとなくですけど、ひょっとして結論を先に決めてませんかね…。
「こういう可能性はないか」とアレコレ想像・予想してみるその前に、
「こうに違いない」と早々に結論だけを決め、
その結論にとって都合のいい文節を各所からついばんでいるだけ…
そんな印象を受けたのですが。
いかんせん私自身も、松本氏が生んだというその台詞を知らなかったので…
自身の体験に基づいて考えてしまうと、
槇原氏がその台詞を知らなかった、という可能性は否定できないんですね。
オリジナルを否定する・しない以前の話で、
オリジナルの存在を知らなかった可能性があるよなと。
まあ、それを言うと、
「自分は知ってた。故に、槇原氏も知ってたはず」
という言も通用することになるのですが。
とはいえ、どちらも可能性としては、同等・等価だろうと思います。
どちらも「自身の体験」に基づく話に過ぎませんから。
…が、しかし、等価の可能性がそこにあるのに、
「槇原氏は盗作した」という結論のみを提示して
相手を非難するのは、どうも奇妙な感じが。
いやまあ、単に、「自分はこう思った」という感想・感情の範疇であれば、
ロジックになってようがなってまいがどうでもいいこと、
かもしれんのですけど。
でも、単なる感想レベルの話で非難される槇原側は悲惨だなぁ、
という別の感想も生まれてくるような気がしないでもないのでありました。
これ、言葉として変ですな…。
知らなかったから、それはオリジナルじゃないよなぁ…。
複数の人間から同時多発的に現れた一文、ということになるのだろうけど、
さて、どんな言葉で表現したらよいものか。
まあ、所詮、無学な人間の書いた文章なので、どうか御海容を。