2021/03/16(火) [n年前の日記]
#1 [zatta] 人間を動物と結びつける発言はとにかく注意
思考メモ。
ちょっと気になるニュースを見かけた。
_「アイヌの人々傷つける不適切な表現」日本テレビに厳重抗議 | NHKニュース
「不適切な表現」と言うけれど、具体的にはどういうことをやらかしたのだろう。そこが分からないと判断のしようがないなと。
そんな疑問が湧いてググってみたけど、大半のニュース記事は「不適切な表現」としか書いてなくて。何をしたのかがそもそも分からなければ、また同じことを誰かが何度もやらかすのでは…? これはこれでマズいんじゃないか?
しつこくググってたら、発言内容が分かった。
_日テレは「スッキリ」でのアイヌ差別発言を検証し、説明責任を果たせ - 田中駿介|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
正直、一瞬、「え。只の駄洒落じゃん」と思ってしまったのだけど、以下の解説記事を読んで、「ああ…そういう歴史があったのか…。それはいかん。ピンポイントで最悪なことをやっちゃったんだな」という認識に。
_和人はアイヌをどう差別した?大和朝廷の頃から振り返る1,000年以上の歴史 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
誰でも思いつく安易な駄洒落だからこそ、当時は広まって使われてしまったという経緯があるのだろう…。簡単で、シンプルで、くだらないネタだからこそ、それこそ子供ですら使えてしまって、被害を拡大させるのだな…。たぶん。
個人的には、漫画「ゴールデンカムイ」の中で、わざわざ説明していた差別表現だったということに、結構ショックを受けてしまった。そのあたり、自分も一応漫画原作を読んでいたはずなのに、全く記憶に無い…。アニメ版はそのあたりを映像化していただろうか。それも記憶が無い…。コレはマズイ…。
これはつまり、やられた側はずっと覚えてるけど、やった側は全く覚えてない・気にも留めてないという ―― よくあることではあるけれど、結構最悪な状態ではないのかと…。
自分達の先祖が今まで一体どんなことをやっちゃってきたのか、そのあたり、経験としては持ってなくても、せめて知識としてはそこそこ持ってないと…。そのあたりを知らないというのは、それはもはや、日本人を名乗る資格が無いとすら言える。他国の人なら知らなくても仕方ないけど、自分達は一応(?)日本人なのだから、御先祖様がしてきたことを知ってて当たり前だよなと。無知であったことに恥ずかしさを感じねばいけない話だろうと。自分が日本人であるならば、だけど。
ということで、自分も、自分を恥じた次第。こういう無知は許されない。「差別意識はなかった」なんてのは、言い訳にはならない。日本で生まれて、日本で育った日本人なら、知識として持ってないと。まあ、日本人じゃないなら話は別だけど…。
考えてみたら、相手を人間扱いせず、動物と結びつけた発言をするのは、差別表現と言うか、侮辱をする際の常套手段なのだよな…。目の前で発言してる人を見たわけではなく、漫画や映画等で見かけたソレではあるけれど、例えば…。 日本人も含む黄色人種が、白人から 「黄色い猿(イエローモンキー)」呼ばわりされたり。 ある種の状態になっている(男性|女性)を 「盛りのついた(犬|豚)」と呼んでみたり。 リーダーのポジションにある人物を 「猿山の大将」と喩えてみたり。 そんな感じで、色々なパターンを思い出してしまう…。
つまり、「人間を動物に喩えるネタ」を思いついた時は、「それ、大丈夫か? 発信してもいいネタか? ホントに?」と常に疑わないといかんのだろうなと。特に、公共の電波を使える立場であれば…。いや、Webも同じか。気を付けないと…。
とは言え、そのあたりを極度に不安視してしまって、人間を動物に喩えるのは全部ダメだ、許されないのだ、という主張にまでなってしまうと、当然弊害も出てくるだろうなと…。例えば、宮崎駿監督が関わっている、犬の「名探偵ホームズ」や、「紅の豚」等々、あるいは、俳優の香川照之さんが演じるカマキリ先生だって、TV放送できないことになってしまう。さすがにそこまで行くと、それはそれで何かがおかしい。
このあたり、セーフとアウトの境界線はどこにあるのだろうか…?
ちょっと気になるニュースを見かけた。
_「アイヌの人々傷つける不適切な表現」日本テレビに厳重抗議 | NHKニュース
「不適切な表現」と言うけれど、具体的にはどういうことをやらかしたのだろう。そこが分からないと判断のしようがないなと。
そんな疑問が湧いてググってみたけど、大半のニュース記事は「不適切な表現」としか書いてなくて。何をしたのかがそもそも分からなければ、また同じことを誰かが何度もやらかすのでは…? これはこれでマズいんじゃないか?
しつこくググってたら、発言内容が分かった。
_日テレは「スッキリ」でのアイヌ差別発言を検証し、説明責任を果たせ - 田中駿介|論座 - 朝日新聞社の言論サイト
正直、一瞬、「え。只の駄洒落じゃん」と思ってしまったのだけど、以下の解説記事を読んで、「ああ…そういう歴史があったのか…。それはいかん。ピンポイントで最悪なことをやっちゃったんだな」という認識に。
_和人はアイヌをどう差別した?大和朝廷の頃から振り返る1,000年以上の歴史 - BUSHOO!JAPAN(武将ジャパン)
誰でも思いつく安易な駄洒落だからこそ、当時は広まって使われてしまったという経緯があるのだろう…。簡単で、シンプルで、くだらないネタだからこそ、それこそ子供ですら使えてしまって、被害を拡大させるのだな…。たぶん。
個人的には、漫画「ゴールデンカムイ」の中で、わざわざ説明していた差別表現だったということに、結構ショックを受けてしまった。そのあたり、自分も一応漫画原作を読んでいたはずなのに、全く記憶に無い…。アニメ版はそのあたりを映像化していただろうか。それも記憶が無い…。コレはマズイ…。
これはつまり、やられた側はずっと覚えてるけど、やった側は全く覚えてない・気にも留めてないという ―― よくあることではあるけれど、結構最悪な状態ではないのかと…。
自分達の先祖が今まで一体どんなことをやっちゃってきたのか、そのあたり、経験としては持ってなくても、せめて知識としてはそこそこ持ってないと…。そのあたりを知らないというのは、それはもはや、日本人を名乗る資格が無いとすら言える。他国の人なら知らなくても仕方ないけど、自分達は一応(?)日本人なのだから、御先祖様がしてきたことを知ってて当たり前だよなと。無知であったことに恥ずかしさを感じねばいけない話だろうと。自分が日本人であるならば、だけど。
ということで、自分も、自分を恥じた次第。こういう無知は許されない。「差別意識はなかった」なんてのは、言い訳にはならない。日本で生まれて、日本で育った日本人なら、知識として持ってないと。まあ、日本人じゃないなら話は別だけど…。
考えてみたら、相手を人間扱いせず、動物と結びつけた発言をするのは、差別表現と言うか、侮辱をする際の常套手段なのだよな…。目の前で発言してる人を見たわけではなく、漫画や映画等で見かけたソレではあるけれど、例えば…。 日本人も含む黄色人種が、白人から 「黄色い猿(イエローモンキー)」呼ばわりされたり。 ある種の状態になっている(男性|女性)を 「盛りのついた(犬|豚)」と呼んでみたり。 リーダーのポジションにある人物を 「猿山の大将」と喩えてみたり。 そんな感じで、色々なパターンを思い出してしまう…。
つまり、「人間を動物に喩えるネタ」を思いついた時は、「それ、大丈夫か? 発信してもいいネタか? ホントに?」と常に疑わないといかんのだろうなと。特に、公共の電波を使える立場であれば…。いや、Webも同じか。気を付けないと…。
とは言え、そのあたりを極度に不安視してしまって、人間を動物に喩えるのは全部ダメだ、許されないのだ、という主張にまでなってしまうと、当然弊害も出てくるだろうなと…。例えば、宮崎駿監督が関わっている、犬の「名探偵ホームズ」や、「紅の豚」等々、あるいは、俳優の香川照之さんが演じるカマキリ先生だって、TV放送できないことになってしまう。さすがにそこまで行くと、それはそれで何かがおかしい。
このあたり、セーフとアウトの境界線はどこにあるのだろうか…?
◎ ネガティブな方向だけとは限らないのだよな。 :
人間を動物に喩えると言っても、必ずしも侮辱表現になるとは限らないのだよな…。
良い印象を与える動物と、悪い印象を与える動物があって、前者に喩える場合は問題は起きないのだよな…。なんだかちょっと難しいなあ…。
まあ、どうしても何かの動物に喩えてみたくなった時は、「なにそれ、カッケー!」と思わせる方向で喩えるよう意識しましょうや、ってことで…。
- 「獅子奮迅の活躍ぶり」とか。
- 「眠れる獅子」とか。
- 「龍虎対決」とか。
- 「彼は一匹狼」とか。
- 「ボクの可愛い子猫ちゃん」とか。
良い印象を与える動物と、悪い印象を与える動物があって、前者に喩える場合は問題は起きないのだよな…。なんだかちょっと難しいなあ…。
まあ、どうしても何かの動物に喩えてみたくなった時は、「なにそれ、カッケー!」と思わせる方向で喩えるよう意識しましょうや、ってことで…。
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以上です。