mieki256's diary



2018/10/26(金) [n年前の日記]

#2 [web] なぜblogを消すのだろう

Web上で時々見かける風景ではあるけれど。せっかく書き溜めたblogを、何故消すのだろう…。

Webを利用してきた者ならば、リンクをクリックしたら404だった時の哀しみを何度も何度も味わっているはずなのに。何故、人は、逆の立場になると、自身のblogをあっさり消してしまうのだろう。404を目にして悲しみに打ちひしがれたあの頃の自分を、そんなにも世界のどこかで、自らの手で何度も繰り返し再生産したいのだろうか。彼等は他者に対して哀しみを与える存在になりたいのか。一体、何に対して、誰に対して復讐しようとしているのか。みたいな。

そもそも、「blogは更新しなければ存在意義がない」と思い込むのがおかしい。記事に日付さえ ―― 年月日さえ記してあれば、書きっぱなし、ほったらかしのままで良いではないか。「この当時、この人は、こんなことを考えていたのだ」「この頃、こんなことが話題になっていたのだ」 ―― そういった記録にも十分価値がある事を私達は知っているはずではないか。「blog」とは何の略か。「Web のログ」の略だろう。「ログ」とは何か。記録のことだ。そこに記録として存在していれば、それはもう、それだけで、立派なblog。そう考えれば放置状態でいいではないか。頻繁な更新なんて新聞社やニュースサイトに任せておけばいい。それとも君は一人新聞社にでもなりたいのか。そういうわけでもないだろうに。

とは言え、例えば自身の愛用のブラウザからログインも書き込みもできない、以前と比べて劣化してしまったblogサービスに対し、無料利用ならまだしも、有料で契約して、小銭を払ってアカウントを維持し続けるのもフツーは馬鹿馬鹿しくなって当然という気もするし。「ちゃんと仕事しろよ。何やってんだよ」「あったまきた。お前達のサービスなんて金輪際使ってやらねえ」と怒りに任せて全削除、という展開もありそうではあるなと。

ログインできないという症状は、「俺はこいつらから拒否された」→「金を払ってるのに客扱いされてない」→「俺の存在が無視されてる」的感覚に繋がっていくし。人間誰しも存在を無視されるのが一番堪えるし、そこでつけられた心の傷は、いずれ恨みにすら容易に変化するわけで。そうやってアルファブロガーがポツポツと離れていくサービスに、はたして未来はあるのだろうか。

しかし、そういった気持ちの流れは理解できたとしても、それでも、本来blogは消す必要などないし、更新しないことを恥じる必要もないですよ、と言いたいのだけど。もちろん、サービスが消滅したとか、料金が払えなくなったとか、サーバのHDDが吹っ飛んだとか、何かの外的要因で消えてしまったなら話は別だけど。自分の手で消す必要はどこにも無いんだけどなあ。

でもまあ、やっぱり、消す人達は、きっと何かに復讐したいのだろう…。「どうだ! 消してやったぞ! 思い知れ!」と誰かに毒づきたくてそういうことをするのかもしれない。だけどおそらく、そんなことをしてみても、思い知らせてやりたい相手からは綺麗にスルーされて、藁にも縋る気持ちでググって飛んできた人達が404で泣く、そんな場面がほとんどであろう予感も。

ググって飛んできた人達には何の罪もないのだから、残せるなら残したほうが、と思うのだけどな。

あるいは、多くの先人達が残してくれた各種文献に助けられておきながら、自分の番が来たら全削除というのも、人として不義理じゃないかと思ったりもするわけで。放置しておくだけで、その手の義理は果たせるのに。どうして、放置以上のアクションをわざわざ取って、意地の悪い状態にしてしまうのだろう。そんなこと、しなくていいのに…。

以上です。

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