2013/04/27(土) [n年前の日記]
#4 [pc][neta] ゲームコントローラについて思いつくままダラダラと書いてみたり
キーボードやマウスでゲームをプレイするのは、かなり無理があるような気がしていたり。もちろん、ゲームジャンルによるけれど。
例えば、スト2のコマンド入力を、キーボードのカーソルキーでやってみろと。10人中10人がブチキレるはず。グルッと回してカッ、なんてカーソルキーでは無理。だけど、ジョイスティックやジョイパッドを繋いだら、「やった! 入力できた!」とガッツポーズをとる人が続々出てくるはず。
ペイントを起動して、マウス使って、直線や丸を引いてみろと。線のヘロヘロぶりで泣けますよ。もちろん、ジョイスティックやジョイパッドでも丸なんて描けません。しかし、直線はどうか。1ドットの揺らぎもなく描けるはず。
「ストレスなく入力操作ができる」って、そういうことですよ。入力できる情報に制限があってもいい。その制限の範囲内で、思い通りに入力できれば、それは優れた入力機器。
そもそもキーボードは、文字入力に特化して洗練された入力機器。こんなもんでゲームをしたら、ストレスを感じて当たり前。
マウスはあくまで、安い割にそこそこ使えるポインティングデバイスでしかない。全てに有効な、万能性のある入力機器じゃない。座標をざっくりと、あるいは、ピタリと静止させて入力するには最適だけど。ドット単位での入力、思った通りの軌跡を描くのは無理。
だから、ゲームをプレイするなら、それに適したゲームコントローラを使ってしかるべき、なのです。キーボードやマウスを使ってゲームを遊ぶなんて、フォークを使ってスープを飲んでいるようなもの。
もちろん、ゲームジャンルによって、求められる入力機器の条件は変わってきますが。
また、ゲームコントローラには、膨大な実績もある。何せ、ATARIやファミコン(NES)の時代からXbox360やPS4の現代まで、ずっと使われてきた入力機器。何十年も「実戦投入」されてきたシロモノ。ゲームプレイに対して、これほど実績のある入力機器はないですよ。
家庭用ゲーム機向けのタイトルは、星の数ほど世に出ていますが、それらのほとんどは、ゲームコントローラという「入力機器のフォーマット」を前提にして作られてる。当然そこには、色々なノウハウも溜まっている。
映画が24コマ/秒で作られるように、TV番組が4:3や16:9のフレームで作られるように、大半のゲームは、ゲームコントローラという、ある種のフォーマットの上で作られ続けた。…この蓄積を無視することが、本当に賢い選択なのかと。
若干話が飛びますが。8ビットマイコンが主流だった頃も、それらPC上ではゲームが動いてました。背景が8ドット単位でガクガクとスクロールしたり、色は8色しか出なかったり。今となっては直視できないほどに、酷い見た目のゲーム群。ところが、そんなゲームも、キーボードで遊ぶより、ジョイスティックやジョイパッドを繋いで遊ぶほうが、はるかに気持ちよく、快適に楽しく遊べたわけです。…その現象を、真剣に分析したほうがいいと思うのですよ。
要するに、「ゲームには、見た目よりもはるかに優先して用意しなければいけない重要な部分があるのだ」ということですよ。それは何かと言えば、入力機器なんです。入力機器は、ユーザが一番最初に接する部分。そこがダメだと、その先でゲームプログラマーがいくら努力したって、お客さんに「ゲームの面白さ」を体感してもらえないのです。
どうして任天堂が、アナログスティック、タッチパネル、加速度センサ等を続々と投入してきたのか、考えてみたことがありますか? 彼等は誰よりもゲームと真剣に対峙してきたから、勝利の鍵が入力機器にあると知ってるんです。だから、その部分でも、新機軸を打ち出してくるんです。そのくらい、入力機器には、本来気を配らないといけないはずなんです。…とは言え、任天堂も任天堂で、アナログスティック以降の要素は、どれも「イライラ棒」の面白さでしかないのですが。0/1の入力だけが勝ち得た娯楽性、アナログなゲームでは実現が難しいけれどデジタルなゲームなら実現できる遊びを発展できてないように見えるのが…。いかん。ちと話がずれてきた。
おそらく世間一般では、ゲームコントローラを使うゲームを、「レトロゲー」と呼んで一括りにして馬鹿にしてるのでしょうけど。だから、Flashあたりも、ゲームコントローラ対応を意識してくれないのでは、と。
でも、その「レトロゲー」のタイトル数を、試しに数えてみてほしいですよ…。数え始めてみれば、おそらく血の気が引いてくるはず。膨大なタイトル数を認識してクラクラするでしょうよ。しかも、それらが商品として成立して、一時期とはいえ巨大市場を形成できた事実がある。そのことをあっさり無視して、本当に大丈夫ですかと。自分のすぐ隣に、宝の山が積んであるのかもしれないのに、そっぽを向いて嘲笑して、その山を地中へ無造作に埋めていいのかと。その宝の山、本当に現在でも流用できないんですかと。
そして、その宝の山の肝は、おそらく、ゲームコントローラなんですよ。
ゲームコントローラに対応するだけで、ゲーム業界が何十年も苦心惨憺して獲得してきた娯楽の秘訣を、後からやってきた自分達もごっそりいただけちゃうわけです。こんな美味しい話、そうそうないです。やっておかない手はないでしょうよ…。でも、無視し続けているんだもんなあ…。
ま、「Unity使えよ」で終わる話ですけど。
例えば、スト2のコマンド入力を、キーボードのカーソルキーでやってみろと。10人中10人がブチキレるはず。グルッと回してカッ、なんてカーソルキーでは無理。だけど、ジョイスティックやジョイパッドを繋いだら、「やった! 入力できた!」とガッツポーズをとる人が続々出てくるはず。
ペイントを起動して、マウス使って、直線や丸を引いてみろと。線のヘロヘロぶりで泣けますよ。もちろん、ジョイスティックやジョイパッドでも丸なんて描けません。しかし、直線はどうか。1ドットの揺らぎもなく描けるはず。
「ストレスなく入力操作ができる」って、そういうことですよ。入力できる情報に制限があってもいい。その制限の範囲内で、思い通りに入力できれば、それは優れた入力機器。
そもそもキーボードは、文字入力に特化して洗練された入力機器。こんなもんでゲームをしたら、ストレスを感じて当たり前。
マウスはあくまで、安い割にそこそこ使えるポインティングデバイスでしかない。全てに有効な、万能性のある入力機器じゃない。座標をざっくりと、あるいは、ピタリと静止させて入力するには最適だけど。ドット単位での入力、思った通りの軌跡を描くのは無理。
だから、ゲームをプレイするなら、それに適したゲームコントローラを使ってしかるべき、なのです。キーボードやマウスを使ってゲームを遊ぶなんて、フォークを使ってスープを飲んでいるようなもの。
もちろん、ゲームジャンルによって、求められる入力機器の条件は変わってきますが。
また、ゲームコントローラには、膨大な実績もある。何せ、ATARIやファミコン(NES)の時代からXbox360やPS4の現代まで、ずっと使われてきた入力機器。何十年も「実戦投入」されてきたシロモノ。ゲームプレイに対して、これほど実績のある入力機器はないですよ。
家庭用ゲーム機向けのタイトルは、星の数ほど世に出ていますが、それらのほとんどは、ゲームコントローラという「入力機器のフォーマット」を前提にして作られてる。当然そこには、色々なノウハウも溜まっている。
映画が24コマ/秒で作られるように、TV番組が4:3や16:9のフレームで作られるように、大半のゲームは、ゲームコントローラという、ある種のフォーマットの上で作られ続けた。…この蓄積を無視することが、本当に賢い選択なのかと。
若干話が飛びますが。8ビットマイコンが主流だった頃も、それらPC上ではゲームが動いてました。背景が8ドット単位でガクガクとスクロールしたり、色は8色しか出なかったり。今となっては直視できないほどに、酷い見た目のゲーム群。ところが、そんなゲームも、キーボードで遊ぶより、ジョイスティックやジョイパッドを繋いで遊ぶほうが、はるかに気持ちよく、快適に楽しく遊べたわけです。…その現象を、真剣に分析したほうがいいと思うのですよ。
要するに、「ゲームには、見た目よりもはるかに優先して用意しなければいけない重要な部分があるのだ」ということですよ。それは何かと言えば、入力機器なんです。入力機器は、ユーザが一番最初に接する部分。そこがダメだと、その先でゲームプログラマーがいくら努力したって、お客さんに「ゲームの面白さ」を体感してもらえないのです。
どうして任天堂が、アナログスティック、タッチパネル、加速度センサ等を続々と投入してきたのか、考えてみたことがありますか? 彼等は誰よりもゲームと真剣に対峙してきたから、勝利の鍵が入力機器にあると知ってるんです。だから、その部分でも、新機軸を打ち出してくるんです。そのくらい、入力機器には、本来気を配らないといけないはずなんです。…とは言え、任天堂も任天堂で、アナログスティック以降の要素は、どれも「イライラ棒」の面白さでしかないのですが。0/1の入力だけが勝ち得た娯楽性、アナログなゲームでは実現が難しいけれどデジタルなゲームなら実現できる遊びを発展できてないように見えるのが…。いかん。ちと話がずれてきた。
おそらく世間一般では、ゲームコントローラを使うゲームを、「レトロゲー」と呼んで一括りにして馬鹿にしてるのでしょうけど。だから、Flashあたりも、ゲームコントローラ対応を意識してくれないのでは、と。
でも、その「レトロゲー」のタイトル数を、試しに数えてみてほしいですよ…。数え始めてみれば、おそらく血の気が引いてくるはず。膨大なタイトル数を認識してクラクラするでしょうよ。しかも、それらが商品として成立して、一時期とはいえ巨大市場を形成できた事実がある。そのことをあっさり無視して、本当に大丈夫ですかと。自分のすぐ隣に、宝の山が積んであるのかもしれないのに、そっぽを向いて嘲笑して、その山を地中へ無造作に埋めていいのかと。その宝の山、本当に現在でも流用できないんですかと。
そして、その宝の山の肝は、おそらく、ゲームコントローラなんですよ。
ゲームコントローラに対応するだけで、ゲーム業界が何十年も苦心惨憺して獲得してきた娯楽の秘訣を、後からやってきた自分達もごっそりいただけちゃうわけです。こんな美味しい話、そうそうないです。やっておかない手はないでしょうよ…。でも、無視し続けているんだもんなあ…。
ま、「Unity使えよ」で終わる話ですけど。
◎ だけど標準でついてないもんな。 :
PCに標準でついてない入力機器を前提にしてアプリを作るなんて、実際にはちょっとあり得ないですわな。全てのPCにゲームコントローラが標準でついてたら、状況は違ったのだろうけど。フツー、ついてこないもんなあ…。MSX全盛時代ですら、そんなPCはあったかどうか…。
仮に今から添付するなら、リモコンにもなるゲームコントローラになるんですかねえ…。リモコン操作で、動画見たり、音楽聞いたり、ネット閲覧したり。十字キーもついてるので、ゲームにも最適。みたいな。
そんな想像をしていたら、Wiiリモコンあたりは、夢の実現、理想を追求した機器に思えてきました。アレは間違いなく、理想形の一つなのだろうなあ。
ま、「Unity使えよ」で…Unity関係ねえや。
仮に今から添付するなら、リモコンにもなるゲームコントローラになるんですかねえ…。リモコン操作で、動画見たり、音楽聞いたり、ネット閲覧したり。十字キーもついてるので、ゲームにも最適。みたいな。
そんな想像をしていたら、Wiiリモコンあたりは、夢の実現、理想を追求した機器に思えてきました。アレは間違いなく、理想形の一つなのだろうなあ。
ま、「Unity使えよ」で…Unity関係ねえや。
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以上です。