mieki256's diary



2020/03/21() [n年前の日記]

#2 [anime] 「映像研には手を出すな!」7話と8話を視聴

「映像研〜」は、漫画を原作とするNHKアニメ。

7話は、アニメーター志望の娘さんにフォーカスをあてた回だった。祖母が庭にお茶を投げ捨てる動きに目を輝かせて何度もそのアクションをせがむ幼女の姿だの、肩や腰を左右に揺らしながら歩くソレを周囲の目も気にせずスケッチブックに描き続けて自己満足してる少女の姿だの、動きにこだわるアニメーターさんにはこういう子供時代があったりするのかな、だとしたら凄いなあと思いながら眺めてたけど。ふと、そもそもそこで描かれている動きは、現実のアニメーターさんがその手のソレを観察して描いてることに気づいて、ますます感心というか。

考えてみれば…。大昔から、そういった「動き」に興味を持つ人間個体はそれなりに居たはずだけど。フィルムが発明されて、映画が生まれて、アニメと言う映像表現が世の中に誕生したことで、そこでようやく、それらの人達が、世の中に自身の能力を披露できる状態になったのだなと…。アニメが無かった時代、そういった人達は…ずっと悶々としていたのかもしれないなと…。せいぜい、絵画を描いて気持ちを誤魔化すことしかできなかったのかもしれない…。止まった絵を描きながら、本当はこの前後にこういう動きがあるんだけどなー、でも「動き」を描き残すことはできないもんなー、と思っていたのかも…。

8話は、ロボットアニメがいよいよ完成、文化祭でお披露目、という内容。冒頭で、SEをつけるとこうなるとか、あえてこのカットは音楽を無くすとか、音を活用する会話があって興味深かった。これが演出という行為なのか…みたいな。たしか7話のあたりでも、音が入ると印象が全然違ってくる云々の台詞があったけど。まさしく、アニメとは総合芸術…。

そのあたりを見ながらふと思い出したけど、大昔のTVゲームでも、SEはとても大事で…。例えば、某ゲームで、通路の扉が閉まった、と伝えるシーンでは、32x64ドットの扉の絵を一瞬でパッと上書きするだけなので、映像だけ見ても扉が閉まってるようには全然見えなかったりしたのだけど。サウンドの人が作ってくれた「ドコン!」というSEをつけて、かつ、画面を上下に一瞬ブルッとさせただけで、ちゃんと閉まったように見えたりもして。SEの有無、SE種類って、本当に大事…。

これもまた、無声映画しか無かった時代は、そういった手法が全く使えないわけだから、苦労しただろうなと。

アニメーターさんや演出家さんのアレコレを眺めながら、娯楽映像は技術革新があったからこそ表現力が増したというか、できることが増えていった面があるよなー、と思ったりもして。

以上です。

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