2019/02/10(日) [n年前の日記]
#4 [anime][neta] ウルトラマンの出現シーンが気になる
思考メモ。
「ウルトラマンR/B」の放送が終わってから、これまでのウルトラマンシリーズの映像が、特選再放送っぽい感じで放送されていて。作業時のBGVとして一応眺めていたりするのだけど。OPで、ここ最近のウルトラマンが出現する際のカットが次々に出てくるあたりを目にして、ちょっと考え込んでしまったり。
あのカット、本来は、小さい人間が巨大なヒーローに変化する様子を映像的に示そうとしていたカット、なのではないかと推測するのだけど。
当時は技術的な問題で、極端にパースをつけた人形を撮影して、光学合成を駆使して該当カットを作っていたけれど。今の技術や感覚なら、もっとリアルな、本当にあり得そうな巨大化カットにできそうな気もするなと。
例えば、仮面ライダー1号2号も、当時は変身シーンを上手に見せる技術が無かったので、モンタージュ技法を利用して、かつ、ベルトの風車がアニメーションで回転するようなカットを作って、「チビッ子達よ。これで変身していると思いねえ」と、ウルトラマンと同様に、「記号カット」を見せて済ませていたわけだけど。
現代では更に凝った映像が作れるようになったので、平成ライダーはスタスタ歩きながら変身したり、全力で走りながら変身したり、世界がグルンと回転しながら変身したり。とにかく色々な変身カットを提示して視聴者を楽しませているわけで。ライダーシリーズは、昭和の頃の、あの映像を、今では見せたりしないよなと。もっとカッコイイ見せ方をモノにしているよなと。
それと比べると、ウルトラマンシリーズは、「型さえ守ってればいいじゃないか」的ノリを若干感じるわけで。その代表事例が、あの変身カットのような気がしてきたり。もちろん、細部の表現、使ってる道具は変わっているはずなのだけど、大筋では昭和の頃の記号的映像から変わってない印象が。
このあたり、日本人の悪い癖が出ている気配も。一度何かしらの型ができてしまうと、何のためにその型を考案したのかを忘れてしまい、他に適した方法はないかと考えることを止めてしまって、型を守ることが目的になってしまう ―― そんなところがあるよなと。
もっとも、ウルトラマンシリーズの場合、着ぐるみ+ミニチュアで撮影するから予算はかかってしまうだろうし。となると、既に文句を言われない型が存在するのに、それ以外の見せ方なんて、予算とスケジュールの問題でそうそう実験できないだろうなと。
また、「ウルトラマンと言えばこういう変身でしょ」と視聴者側が完全に思い込んでいるだろうから、違う見せ方を提示すると叩かれそうでもあるし。褒められるならまだしも、叩かれる可能性が高いなら、わざわざ新しいことなんて誰もしたくないはずで。実写に比べたら自由度が高いはずのアニメ版「グリッドマン」ですら、あの出現映像を再現してたし。「巨大ヒーローの出現カットと言えばコレでしょ」と皆が思い込んでる証拠だろうなと。 *1
そういう事例と比べると、平成ライダーや戦隊シリーズは、毎回何かしら少しずつ、どこかしらで新しい試みをしているわけで。その点だけでも、あのスタッフは凄いよなと。 *2
変身ヒーローなんだから変身映像にこだわらなくてどうするの、という気もするのだけど、まあ、難しいよなあ…。ウルトラマンシリーズは、ずっと新作が拝めない時期もあったので、今現在の、比較的定期的に新作が出てくる状況だけでも感謝しないと…。
てな感じのことを思ってしまったのでなんとなくメモ。思考メモ。
「ウルトラマンR/B」の放送が終わってから、これまでのウルトラマンシリーズの映像が、特選再放送っぽい感じで放送されていて。作業時のBGVとして一応眺めていたりするのだけど。OPで、ここ最近のウルトラマンが出現する際のカットが次々に出てくるあたりを目にして、ちょっと考え込んでしまったり。
あのカット、本来は、小さい人間が巨大なヒーローに変化する様子を映像的に示そうとしていたカット、なのではないかと推測するのだけど。
当時は技術的な問題で、極端にパースをつけた人形を撮影して、光学合成を駆使して該当カットを作っていたけれど。今の技術や感覚なら、もっとリアルな、本当にあり得そうな巨大化カットにできそうな気もするなと。
例えば、仮面ライダー1号2号も、当時は変身シーンを上手に見せる技術が無かったので、モンタージュ技法を利用して、かつ、ベルトの風車がアニメーションで回転するようなカットを作って、「チビッ子達よ。これで変身していると思いねえ」と、ウルトラマンと同様に、「記号カット」を見せて済ませていたわけだけど。
現代では更に凝った映像が作れるようになったので、平成ライダーはスタスタ歩きながら変身したり、全力で走りながら変身したり、世界がグルンと回転しながら変身したり。とにかく色々な変身カットを提示して視聴者を楽しませているわけで。ライダーシリーズは、昭和の頃の、あの映像を、今では見せたりしないよなと。もっとカッコイイ見せ方をモノにしているよなと。
それと比べると、ウルトラマンシリーズは、「型さえ守ってればいいじゃないか」的ノリを若干感じるわけで。その代表事例が、あの変身カットのような気がしてきたり。もちろん、細部の表現、使ってる道具は変わっているはずなのだけど、大筋では昭和の頃の記号的映像から変わってない印象が。
このあたり、日本人の悪い癖が出ている気配も。一度何かしらの型ができてしまうと、何のためにその型を考案したのかを忘れてしまい、他に適した方法はないかと考えることを止めてしまって、型を守ることが目的になってしまう ―― そんなところがあるよなと。
もっとも、ウルトラマンシリーズの場合、着ぐるみ+ミニチュアで撮影するから予算はかかってしまうだろうし。となると、既に文句を言われない型が存在するのに、それ以外の見せ方なんて、予算とスケジュールの問題でそうそう実験できないだろうなと。
また、「ウルトラマンと言えばこういう変身でしょ」と視聴者側が完全に思い込んでいるだろうから、違う見せ方を提示すると叩かれそうでもあるし。褒められるならまだしも、叩かれる可能性が高いなら、わざわざ新しいことなんて誰もしたくないはずで。実写に比べたら自由度が高いはずのアニメ版「グリッドマン」ですら、あの出現映像を再現してたし。「巨大ヒーローの出現カットと言えばコレでしょ」と皆が思い込んでる証拠だろうなと。 *1
そういう事例と比べると、平成ライダーや戦隊シリーズは、毎回何かしら少しずつ、どこかしらで新しい試みをしているわけで。その点だけでも、あのスタッフは凄いよなと。 *2
変身ヒーローなんだから変身映像にこだわらなくてどうするの、という気もするのだけど、まあ、難しいよなあ…。ウルトラマンシリーズは、ずっと新作が拝めない時期もあったので、今現在の、比較的定期的に新作が出てくる状況だけでも感謝しないと…。
てな感じのことを思ってしまったのでなんとなくメモ。思考メモ。
◎ 飛行ポーズも気になってきた。 :
考えてみたら、飛行ポーズもなんだかアレだなと。ウルトラマンシリーズの飛行ポーズと言えば、両手を前に突き出した、水泳の飛び込みっぽいアレだけど。例えばスカイダイビングをするとき、あんなポーズをするだろうかと。てなあたりを考えていくと、不自然なポーズだよなと。
まあ、飛行ポーズに関しては、「板野サーカス」で有名な板野一郎氏が、一時期、ウルトラマンシリーズに参加してくれた際、理詰めで新しいポーズを提示してくれたりしていたのでアレだけど。しかし、あのポーズ、定着しなかったな…。「ウルトラマンの飛行ポーズと言えばこうでしょ」という強固な思い込みが、視聴者側にも作り手側にもあり過ぎる、ということなのだろうか。
例えば「スーパーマン」あたりは、随分前から色んなポーズで飛んでるような印象があるけれど。それと比べると、ウルトラマンシリーズは、色々と昭和のままで止まってる、と言えてしまいそうな気もしたり。
と思ったけれど、例えばウルトラマンゼロは、八の字ポーズで飛んでるイメージがあるな…。実はそれなりに定着したのだろうか。「ウルトラマンの飛行ポーズと言えばコレ」とすっかり思い込んでるのは自分、というトホホなオチかも。
まあ、飛行ポーズに関しては、「板野サーカス」で有名な板野一郎氏が、一時期、ウルトラマンシリーズに参加してくれた際、理詰めで新しいポーズを提示してくれたりしていたのでアレだけど。しかし、あのポーズ、定着しなかったな…。「ウルトラマンの飛行ポーズと言えばこうでしょ」という強固な思い込みが、視聴者側にも作り手側にもあり過ぎる、ということなのだろうか。
例えば「スーパーマン」あたりは、随分前から色んなポーズで飛んでるような印象があるけれど。それと比べると、ウルトラマンシリーズは、色々と昭和のままで止まってる、と言えてしまいそうな気もしたり。
と思ったけれど、例えばウルトラマンゼロは、八の字ポーズで飛んでるイメージがあるな…。実はそれなりに定着したのだろうか。「ウルトラマンの飛行ポーズと言えばコレ」とすっかり思い込んでるのは自分、というトホホなオチかも。
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以上です。