mieki256's diary



2015/01/26(月) [n年前の日記]

#2 [anime] 視聴したアニメの感想をメモ

HDDレコーダに録画したままだったアニメの最終回を視聴して削除したので、ついでに感想をメモ。感想メモというか、思考メモ。

ネタバレありです。

棺姫のチャイカ2期最終回を視聴。 :

最後のあたり、ヒロインが大技を使って 記憶をごっそり無くすのだけど。悲鳴を上げる描写だけ、つまりは外からどう見えているかだけを描写していて、なんだかちと弱い気がしたり。もしかして原作を読めば、ヒロインの内面で何が起きてるのか細かい描写ができてたりしたのかなと。だとしたら、そういう設定・展開は、小説向きなのかもしれないと思えてきたりして。

記憶を使って大技を繰り出す設定は、他のアニメでもいくつか見た記憶があるけれど。視聴者にとってそういう体験はまず無い ―― あったとしてもじわじわいつの間にか無くしてるのがフツーなので、外から見てこういうことが起きてます、てな見せ方だけでは共感が得られないから厳しいかもなと。単に観念的な設定として ―― そういう設定は悲しい設定と思いねえ、ぐらいの認識になってそうな予感。

そのあたりを考えると、「ヴァルヴレイヴ」の見せ方は、なんだか上手かった気がしたり。 思い出の一シーンが「ガシャーン」てなSEと一緒に砕け散る、そんな見せ方だったけど。誰でも、皿や茶碗をうっかり落として割ってしまったことがあるはずで。つまり割れる音ってのは、「あ。やっちまった」「取り返しのつかないことをしてしまった」的な感覚を呼び起こすわけで。仮に視聴者の共感が得にくい設定であっても、視聴者が日常生活の中で体験したことがあるであろう音を付加してみることで、視聴者が共感できる設定に変化させる、てな手法だったのかもしれないと。まあ、作品中のキャラが何かショックを受けた時に皿を落として割ってしまうとかよくある手なのだけど、それを非現実な設定の補完にも使ってみたというのは、これは技有りでしょうと。しかもそれって、小説や漫画じゃできなくて、動きと色に加えて、音まで味方にできる映像作品ならではのやり方とも思えるわけで。

とすれば、同じその手の設定でも、映像作品ならではの色々な見せ方・伝え方ができそうだなと思えてきたり。例えばの話、その瞬間にどういうSEを鳴らすのか、単にそこを工夫するだけでも多少は効果が期待できそうな。…待てよ? 考えてみたら、「悲鳴を上げる」もソレなのか。聞いてるだけで、「うわー、やめてくれー」と思えるような悲鳴の演技がちゃんとできていたら「弱い」と思わずに済んだのかも…ということなのかな?

そんなどうでもいいことをぼんやり思ったのでメモ。

それと、ヒロインがカタコト言葉で喋るのはなんだか面白いなと。カタコト言葉は外国人・異邦人を連想させ、更に外国人は可愛さ・カッコ良さが何割増しになるわけで、故にキャラのアピールポイントとして成立するのかもしれないなと。ちなみに外国人が何故モテるかと言えば、異なる部族と交配することで次代を担う個体の多様性を獲得し、病気・災害が発生した際にその多様性で種として全滅する危険を回避する働きがあるわけで、つまりはこれまで種を存続できた人間の系統に属しているなら、本能レベルで外国人にグッと来る属性を持ってる可能性が高いわけで。あるいは、カタコト言葉が幼児性を連想させ、当然ながら幼児を守ろうとする種・個体じゃないと種として存続できないわけで…等々のトンデモ仮説をなんとなく考えたりもして。

結城友奈は勇者である、最終回を視聴。 :

「まどマギ」が世に出た後の、魔法少女バトルモノ。これはよほど考えて構成しないとダメだろうなと思いながら見てました。しかし、この作品の少し前に、「幻影ヲ駆ケル太陽」という同ジャンルの作品を見て、「まどマギの後でコレ?」「アニメ業界ってこんなのしか居ねえの?」と、大変失礼ながらガッカリしたわけで。アニメ業界は虚淵構成の上手さとか何も学んでねえのかなと。なので、この作品もどうせダメだろうなーと思いながら見始めたのです。

しかし、この作品を見て安心したのでした。監督さん、シリーズ構成さん次第なんだなと。これなら全然大丈夫。「まどマギ」に迫る内容になってるかもしれんと。…でも、原案が、アニメ業界の人じゃなくて、ゲーム業界出身のシナリオライターさんから出てるらしいあたりがなんだかちょっと気になるけれど。

見ていてなんとなく、「ぼくらの」の制作エピソードを思い出したり。「ぼくらの」の原作者さんが、「何の取り得もない少年少女が、巨大ロボットを動かしてヒーローになれるんだから、○○○ぐらいは貰わないと釣り合い取れんでしょ」てな流れで設定を考えた、てな話ですけど。考えてみたら、別に巨大ロボットじゃなくてもいい ―― ヒーローだの勇者だのであっても、強大な力を得るためには○○○ぐらいは貰わないと、てな感じで設定を考えることはできるんだよなと。「鋼の錬金術師」の等価交換とでもいうか。

その、「強大な力を得るために、主人公達は何を失うのでしょう?」てなお題を考えた時、この作品の設定は見事に合格点ではないのかなあ、と。しかも、視聴者がちゃんと感情移入できるように、その失うものがどれだけ大切なのか、そのあたり事前に丁寧に描写していて。つまりは構成もバッチリで。

何にせよ、見ていて感心させられました。これは上手い。中学生ぐらいの頃にコレを見てたら、数日間はこの作品のことをボーッと考えてたかもしれない。と思えそうなぐらいに良い出来だった、ような気がしたり。

でも、最近のアニメ業界は美少女キャラをちと虐め過ぎではないのか? とも。いや。最近の話でもないか。ナウシカの頃から虐めてるもんなあ…。

甘城ブリリアントパーク、最終回を視聴。 :

最終回は番外編みたいな回なのでアレなのですけど。一応全体の感想をメモ。

自分、恥ずかしながら、第1話を見て、「もし男子高校生の遊園地支配人がドラッカーの『マネジメント』を読んだら」みたいな話になるのかなと想像しちゃったのですよ…。きっと経営ノウハウが色々紹介されるんだろう。例えば「夢色パティシエール」に「機会ロス」「廃棄ロス」みたいな言葉が出てきてビックリしたことがあるけれど、アレを超える作りになるに違いないと。例えば「SHIROBAKO」もそうだけど、視聴者の知らない世界を垣間見せてくれる作品は基本的に強いわけで、これは当たるぞと。更に、右肩上がりの復活劇てな展開は、今の日本の経済的な落ち込みを体験してる視聴者達にも明るい気持ちを…。これは絶対当たるはずだと。

そんなことを思いながら見てたのですけど、話が進むにつれて「アレ?」「アレレ?」と。途中で、「しまった。これは単なるドタバタ劇だ!」と気がついて orz 状態。や、勝手に変な方向で想像しちゃった自分が完全に悪いのですが。

最初からドタバタ劇だと気づいてればアレだったのですが、いつ本気を見せてくれるのだろうと思いながら見ていたものだから、なんというか…。いや、カットの切り替え方とか、繰り返しの妙技とか、相変わらず上手くて面白かったですけど。つまりは違う方向で最初から本気だったわけですけど。そういう作品と分かってたら…。失敗した…。

常々思っているけれど、作品を見る前から勝手に色々と想像したらダメだなと。理想の作品を想像しちゃって、ソレと比較して、ダメ出ししかできない状態になっちゃう。もっとも、想像しなかったら期待もしないわけで、期待してなかったらそもそも作品を見ないわけで、そのへん難しいのですけど。

天空のメソッド、最終回を視聴。 :

ラストカットの色鉛筆風のカットが気になったり。どうやって作ったんだろう…。まさか…手描き…?

よくよく見たら、紙っぽいテクスチャを全体に乗せてるような…。3DCGかと思ったけど、それにしちゃ服の皺が…。筆塗りっぽい感じで陰影をつけた後、テクスチャを乗せて、みたいな感じなのかなあ…。筆塗りっぽく見せるプラグインでもあるのかな…。こんなの手描きでやってられないよな…。

本編内容は…うーん。ED映像とED曲はお気に入りなのですが。ED映像の、あの動きは好きです。

以上です。

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