2012/01/05(木) [n年前の日記]
#2 [zatta][web] 感情の表明って情報としてはどれだけの価値があるんだろうか
ロジカルな現状分析をせっせとしているblog記事・掲示板での親投稿に対し、読み手である自分の感情のみをコメント欄に一文レスで書いて全否定、てな場面をたまに見かけるのだけど。その、感情のみを表明した書き込みは、情報としてどれだけの価値があるのだろうかとなんとなく疑問が湧いたり。
元記事の構造的欠陥や事実誤認を指摘したり、あるいは更に元記事を発展させた方向での思考を書いたりする分には価値が発生しそうだけど。読み手一人分の感情“だけ”を記したところで、それが万人にとって価値ある情報と言えるのだろうか。…どうも、ただのノイズにしかならないように思える。単なる感情レスも同じ方向で大量に集まれば、そこに社会学的な情報価値が生まれるのかもしれないが、そこまで集まることも稀であるような気もするし。
せっかく書き込むなら、何かしら有意義な情報交換に繋がる内容を書き込めばいいのにとつい思ってしまうが。そういった人種は、ネット上でのテキストのやり取りに、何か別なもの・異質な成果を求めているのだろうか。よくわからない。
元記事の構造的欠陥や事実誤認を指摘したり、あるいは更に元記事を発展させた方向での思考を書いたりする分には価値が発生しそうだけど。読み手一人分の感情“だけ”を記したところで、それが万人にとって価値ある情報と言えるのだろうか。…どうも、ただのノイズにしかならないように思える。単なる感情レスも同じ方向で大量に集まれば、そこに社会学的な情報価値が生まれるのかもしれないが、そこまで集まることも稀であるような気もするし。
せっかく書き込むなら、何かしら有意義な情報交換に繋がる内容を書き込めばいいのにとつい思ってしまうが。そういった人種は、ネット上でのテキストのやり取りに、何か別なもの・異質な成果を求めているのだろうか。よくわからない。
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