mieki256's diary



2011/12/12(月) [n年前の日記]

#1 [web] 年賀状は、送れるなら送っておいたほうがいい

年賀メールではダメ。紙の状態で残る、年賀状という形でなければいけない。

年老いた親御さんが遺品を整理する際、当人のPCや携帯の中に入っているメールアドレス群を発掘できるだろうか? 仮に発掘できたとして、どのメールアドレスが親しい人のソレだと判断できるだろうか? まず無理。自分の両親にも尋ねてみたが無理だと言われた。デジタル機器に慣れ親しんだ世代が老人になった頃には無理ではなくなるかもしれない。だが、今はまだ無理。

しかし。年賀状なら発掘できる。息子がやり取りしていた相手がどういう種類の人なのか、文面を見れば遺族にも判断できる。

自分は友人と年賀状のやり取りをしていた。だから連絡が届いたのだと思う。もし彼が、誰とも年賀状でやり取りをしてなかったら。年賀メールしか送り合っていなかったら。何か幸運な偶然でもない限り、仲間内に彼の安否は伝わらなかったはず。彼のことは誰にも知らされないままだったはず。

年賀状は、送れるなら送っておいたほうがいい。こんな形でその効能に気付きたくは無かった。今までその効能に全く気付いてなかった。年賀状には意味があった。

人間はズボラ。 :

もちろん、何かあった時のために、事前に連絡先リストを作っておくのがベストだと思う。

でも、人間はズボラだ。正常性バイアスも働く。そういう事態を想像することを無意識に避ける。自分が死んだ後のことを考えても仕方ないと思う人も居る。結果、連絡先リストは作られないまま終わる。

ズボラな人にこそ、年賀状は助けになる。書くのは面倒だし、お金も余計にかかるけど。どうせ緊急時のソレを用意するなら、毎年何かしらの楽しみを見出しながら用意したほうがいいではないか。

だが、昔と違って、今は年賀メールが普及した。年賀メールは、ズボラな人の味方のようでいて、実はいざという時の助けになってくれない。この流れが元に戻ることはないだろう。メールは便利過ぎる…。

今後ITサービスは更に発展して、当人が亡くなった際、関係者に自動で知らせるサービスが当たり前になるかもしれない。既にそういうサービスの発芽も多々見かける。

年賀状が持っていた効能がある。それを、年賀メールはあっさり滅ぼした。滅ぼした側には義務があると思う。かつて存在していたソレを取り返す義務が。

商売人でも誰でもいい。私達がそれとは知らず失ったソレを取り返してほしい。できれば、より便利に、よりズボラな人の助けになるように。

以上です。

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