mieki256's diary



2011/12/22(木) [n年前の日記]

#1 [anime] 脚本とコンテと文法

ギルティクラウンを見ているうちに、なんとなく思ったことをメモ。色々考え違いをしている可能性が高いですが、あくまで思考メモということで一つ御勘弁のほどを。

アニメにおいて、脚本、もしくはコンテに対し、漫画的文法と実写的文法というものがありそうな気がしたり。主観的描写と客観的描写、と言ったほうが合ってるのだろうか。わかんないけど。

発端。 :

ギルティクラウンの中でこんなシーンがあった。
  • 主人公と友人が周囲に警戒しつつ倉庫から出てくる。
  • 敵が遠くから主人公達を狙撃しようとしている。(ただし、当てようとはしていない。追いつめようとしてるだけ。)
  • 銃弾が主人公の足元の地面に当たる。
  • 主人公が立ち止まったまま、「見つかった? なんたらかんたらうんにゃらもんにゃら」と長々とした台詞を吐く。
  • 友人も立ち止まったまま、「グズグズするな。なんたらかんたらうんにゃらもんにゃら」と長々とした台詞を吐く。
  • 二人とも走り出す。
映像を見ていて、随分間が抜けたコンテだなと思ってしまったわけで。主人公達はビクビクしつつ外に出たのだから、足元で銃弾が当たる音がしたら、即座に見つかったと考えてまずは動くはず。立ち止まってダラダラ喋っている時間はない。そんなことをしてたら、次の瞬間、頭が吹き飛んでなきゃおかしい。なので、件のシーンでは、一瞬のうちに走り出したように見せないと不自然なシーンになるよなあ、と。 *1

おそらく脚本には、フツーに二人の台詞のやり取りが書いてあるのだろう。そしてコンテを描いた人は、おそらく脚本をそのまま忠実に再現したのだろう。でも、出来上がった映像を見ると、間が抜けている。

狙いがあって意識的にそうしたわけではないのだとしたら。どうすれば良かったのかなと考え込んでしまった。一瞬の出来事のように見せるにはどうすればいいのやら。
  • 主人公の心の声として喋っていたことにする。色合いを変えたり、背景を心象風景的グネグネ模様と差し替えたり等して、長々喋っているけどこれは一瞬の出来事なんですよ、と視聴者に伝える。しかしこれは脚本レベルでの変更になってしまうし、友人との口頭による意思疎通・情報交換もできなくなるので、制作状況にもよるだろうけど実現が難しい気もする。
  • 台詞を喋ってる間は、出崎演出よろしく、慌てて走っている二人の止め絵+PAN+流線動画のカットにでもしてしまう。スローモーションでもいい。時空を捻じ曲げて、どのくらいの絶対時間がそこにあったのか視聴者が判断できないようにする。
  • 台詞の位置を変える。とにかく二人を走らせてから、その後の走っているカットで長々と台詞を喋らせる。脚本レベルで変更しているが、脚本がやろうとしていたことは満たせそう。
もちろん、「モタモタしている二人」を描かねばならない意図があるなら、こんな改変しちゃいかんのだろうけど。

そんなことを考えてるうちに、これは、脚本とコンテがそれぞれ使っていた文法が違うのではと思えてきたわけで。

脚本は、漫画的文法で書かれていたような気がする。漫画の中では ―― 漫画に限らず小説もゲームもそうだけど ―― どんな長いセリフだって書けてしまう。客観的・絶対的な時間感覚が存在せず、その管理は読者一人一人に任されているので、長いセリフを書いても、読者の中で適切な時間の出来事として圧縮され、不自然さを感じない。

コンテは、実写的文法で描かれていたような気がする。3秒間映像が流れていたら、それは3秒の実時間で起った出来事。台詞を喋らせるなら、3秒の間に喋れる分量でなければいけない。

このあたり、コンテを描く人が意識すべきことなのでは、という気がする。脚本中の各シーンがどんなシーンであるはずなのか ―― 長い時間がそこにあるのか、それとも一瞬の出来事なのか、実時間をイメージして、適切な表現を当てはめていく必要がある。

もし、実写的文法のコンテを貫きたいなら、映像の実時間に収まるよう、台詞を早口で喋らせたり、削ったり、被せたり、別カットに丸々移動したり等検討しないといけない。が、もし、台詞の中身や位置をコンテ段階で変更できる状況ではないなら、諦めて漫画的文法のコンテを描くしかない。ような気がする。 *2

別事例その1。 :

そのあたりを考えてるうちに、漫画原作をアニメ化した「ぬらりひょんの孫 千年魔京」が思い浮かんだ。

あの作品は、コンテが徹底的に漫画的文法で描かれているような気がする。あらゆる映像表現手法を投入して時空を捻じ曲げ、それぞれの出来事がどれだけの実時間で展開しているのか、さっぱり分からない作りにしてある。だが、原作・脚本・コンテが全て漫画的文法で一貫しているので、見ていて不自然さがない。

と思ったが、そのへん意識してコンテ描いてる人と、全然意識しないで描いてる人が混ざってるような気もしてきた。緊迫した場面のはずなのに、何の工夫もないFIXカットで、脇役がダラダラベラベラ喋ってるカットも散見されるような。全カットが不自然だから、それに慣れてしまって、視聴者側が不自然と感じてないだけなんだろうか。よくわからなくなってきた。

別事例その2。 :

更に、「キャプテン翼」アニメ版の、地平線のかなたにあるゴールポストに走っていくカットも思い出したり。あれは、実写的文法のコンテで漫画原作の1シーンを描こうとした故に生まれてしまった珍妙さだったりするのかなと。

これがもし、漫画的文法に近い出崎演出だったらどんな処理をしていただろうと妄想を。地平線のかなたにあるゴールポストとそこに向かっている選手の後ろ姿、を止め絵で描いて3回ズーム、とか? それなら不自然さが少なくなりそうな気がする。…何度も使える見せ方ではないけれど。

出崎演出の系統は、時空を捻じ曲げてしまう。実写ではできない表現だなと今頃になって感心してみたり。なんというか…レイヤーが異なる演出手法のような気がする。

件の作品の不思議な点。 :

それはそれとして。ギルティクラウンの監督さんは、たしかデスノートアニメ版の監督さんだったような記憶が。デスノートは、心の声で延々喋りまくり、時空捻じ曲げまくりのアニメだったから、そういう手法はお手の物、文法の違い云々も熟知しているはずだよなと。にも関わらず、今回は脚本とコンテが文法の不一致を見せていた気もするわけで、これは何故なのだろうと。何か意識的に実験している部分でもあるのだろうか。

脚本家とコンテを描く人云々。 :

何にせよ、アニメのコンテを描くのって大変そうだなと。

かといって、こういうのは脚本家に要求すべきではないよな、とも。

脚本に書かれた内容をどう見せるのかが、コンテ・演出の腕の見せ所だろうし。自分にとって一番の腕の見せ所を別の人に丸投げしたらあかんやろと。脚本家がストップウォッチ片手に脚本書いてたら、はたまたどんな映像表現手法をそこで使うべきかまで全部脚本上で指示していたら、コンテ描く人の存在意義が怪しくなってくる。だったら脚本家に最初からマルチョンでコンテ描いてもらったほうがいいじゃん、ということになる。

いや、それはそれで、なんだか漫画原作者に近づきそうではある。漫画原作者がネームの形で上げてくるように、脚本家が叩き台としてのコンテを描いてくる形もアリなのだろうか。そのうち、そういうスタイルのアニメ脚本家が出現したり、あるいはそれが当たり前になるのだろうか。いや待て、それって脚本家なの? …いきなりコンテで描き始めるという、故・今敏監督や宮崎駿監督あたりはソレに近いのかな。いや、今監督はまた違うやり方だったのかしら。よくわからんですが。

脚本段階でコマ数を書いておくだけでも違うのだろうか? ツールを作成して脚本の妥当性(?)をチェックすることもできそう。そこに書いてある台詞の長さを一旦音声読み上げして時間を測定して、併記してあるコマ数と比較し、台詞の量が多過ぎた場合は該当行をエラー行として出力。…なんだかゲームのシナリオ制作に近づいていく気がする。そのうち、表情指定コマンドや演出パターンコマンドまで挿入する羽目になったりして。dezakiコマンドがあって、dezaki pan down 3 48f とか。もはや何の作業だかわからない。

「○○のコンテ」。 :

それはそれとして。「これはアニメのコンテじゃない。漫画のコンテだ!」てな台詞をどこかで使えないかなとなんとなく。時間軸を意識してないコンテは、漫画のコンテ。漫画だったら成立するのだけど、アニメとしては成立しないコンテ。しかしどうしてそうなるかというと、漫画的文法じゃなくて実写的文法で描いてるから。漫画的文法ではないコンテは漫画のコンテになってしまう。…ややこしい。

実写畑の人達が、アニメのことを「こんなの紙芝居じゃないか」と馬鹿にする背景にも、そういう理由があったりしないか。絶えずフィルム内の実時間とガチンコ勝負してきた人達から見て、時間軸の制御に無頓着なアニメは ―― 本来その実時間に収まるはずのない台詞の量を平気で流してしまうぐらいに、実時間と杜撰さな付き合いをしているジャンルは、映像作品と呼ぶに値しない、という印象を持たれてしまうのではあるまいか。と妄想したけど実際はどうだったんでしょうね。わかりませんが。

と、そんなことをなんとなく思ったのでメモ。

*1: もっとも、実は殺すつもりはなく狙撃しているので、ダラダラ喋っていてもいいわけだけど。しかし主人公達はそれを知らないのだから、知らないなりに、それらしく振る舞わないと、見ている側は違和感を覚えてしまう。…でも、自分が泳がされていることに気付いていない間抜けな主人公の姿を強調するためにわざとモタモタさせてた可能性もあるのかな、と思えたりもするのでアレなのだけど。
*2: と書いてはみたけれど。件の回のラストちょっと前は、丸々ほとんど心象風景と言うかアムロとララァのソレなノリなので、その手の文法・手法を意識しないままコンテを描いていたとも思えない。後で出てくるシーンを目立たせるために、そこに至るまではこういう見せ方は禁じ手、と意識して描いてたんだろうか。よくわからんですが。

#2 [anime][game][neta] dezakiコマンドのサンプルを妄想

妄想が止まらない。
コマンド例表示
dezaki pan left 3 48f48コマ分、左に向かって3回PANする。タイミングはデフォルトで、タン、タン、ターン。
dezaki pan left 3 tan tan tan 48f上とタイミングが違う。タン、タン、タン。「a」の数で、タイミングを調整。
dezaki gero 48+24f48+24コマ分、透過光で液体が漏れ出る。
tomino left 24f24コマ分、キャラクターの顔がカットインで左端に入る。
hosoda 4 24*3f24*3コマ分、種類4番目の同ポジレイアウトを表示。
daichi bgm 2 startよくわからない謎の男性コーラス(種類2番目)を再生開始。
daichi bgm fadeoutよくわからない謎の男性コーラスを徐々にフェードアウト。
age 24+12f24+12コマ分、集中線を表示。
shiirareteirunda! 24+12fageコマンドのエイリアス(=別名、通称)。

なんとなくだけど、楽譜における強弱記号を連想したりもして。ピアニッシモ(pp)とかメゾフォルテ(mf)とか。そういうノリで、脚本に「dezaki」「tomino」とか書いてあったらなんだか面白い。何を表現しようとしているのかさっぱりイメージできませんが。「kanada」「itano」なら伝わるだろうか。何がだ。

「千と千尋の神隠し」のコンテには、「かめはめ波のように」みたいな注釈が書かれていたと聞いた記憶もあり。ホントかどうかは知らないけれど。もしコレが楽譜だったら、「kamehameha」と記述されているのだろうか…。いや、「khh」かもしれない。あるいはAAライクに記号で「C=」とか。…そこまで記号化せねばならないほどに、かめはめ波ライクな何かを撃ちまくるアニメって何なんだろう。

楽譜を書く上で当たり前になっているお約束を、脚本やコンテに持ち込むことで楽ができたりしないだろうかと思ったけれどちょっと思い浮かばない。

以上、1 日分です。

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