mieki256's diary



2006/02/08(水) [n年前の日記]

#1 [web] リンクされないblogを作る画期的な方法を思いついた

誰も読みたいと思わないぐらいに、クソつまんないblogを書けばいいんだ!
ピコーン


100人居たら99人が思いつきそうなネタであらう予感。

しかし、度が過ぎたつまらなさだとかえって注目を浴びてしまうから要注意だ! 絶妙なバランス感覚を要求されるぞ! 後ろ向きに神経を研ぎ澄ませ! *1
*1: そんな方向で神経をすり減らしていく人生って、かなりイヤかも… (;´Д`)

#2 [prog] DoJa 3.5 をインストール

4.1 より 3.5 のほうがいいのかなとなんとなく。

ビルドしたらターゲットリリースが云々と言われた。設定 → sun.tools.java.Main にチェックを入れたらビルドできた。さて、後は eclipse 上で作業する方法を思い出さないと。

#3 [nitijyou] お袋さんが風邪でダウン

熱はないらしいが、関節が痛むらしい。

病院に行ったのかと思いきや、行ってないとの話。相変わらずの病院嫌い。とはいえこの季節、かえって病院でうつされたりする可能性もないとは言えないので難しいところかもしれんとも。

#4 [web] 「リンクをするときには許可を得ること」、そんなルールが一般化してしまったWeb世界が実現したときの光景をバカ妄想してみる

自分が想像したらこうなるかしら。
Google、その他の検索サイトが無くなる。
単語を打ち込んでも、きっと2,3個しかリンクが出てこない。しかも必ず「素人ビデオ大放出!」とかそんなんばっか。使えねー。
2chも無くなる。
「2get」と「逝ってよし」と「AA」だけで1000レス持たせなきゃ。一体何のサイトなんだ。使えねー。
個人ニュースサイトも無くなる。
萌えアニメ情報も、新発売のゲーム情報も、こんな面白い話があった、なんてのも無くなる。アニメを輸出とか言ってる場合じゃない。使えねー。
企業サイトや自治体サイトにアクセスするのも大変。
検索サイトもない。リンク集もない。となると、印刷物に書かれたURLがなきゃアクセスできない。「エッチ ティー ティー ピー コロン スラッシュ スラッシュ ダブリュー ダブリュー ダブリュー ドット 〜」と打ち込まないと見れない。うへえ。お前は「MS-DOS」か! 使えねー。
結論:使えねー。…書いてるうちに腹が立ってきた。不便過ぎ。 *1

現実には、そうなってない。 便利だ…。

なぜ、この便利さが実現できてるのか。それはたぶん、ネットには、「リンクは自由」というルールがあるから。そのルールを皆が守ってるから。だから、私達はクリック一つで、目的のサイトやページに辿りつける。ネットの便利さに触れることができる。

「リンクは自由」というルールは、誰だって守れるルール。道路で信号機の指示に従うよりも簡単。…信号機は、色によって、立ち止まったり、ブレーキを踏まなきゃいけない。でも、「リンクは自由」というルールは、「ブレーキだけは踏まないでね」という、ただそれだけのルール。赤信号でも走り出しちゃう、幼稚園児ですら守れる内容。

「リンクをするときは許可を得ること」と主張する人達は、ほんの少しでいいから、そのルールが一般的なルールになってしまったときの、Webの世界を想像してみてほしいなと。自分が日々、触れている便利さを、貴方の主張が破壊しようとしていることに ―― “世界中の人々”が便利に使ってる、その道具のパワーの源、根底となるものを、貴方が破壊しようとしてることに、気づくことができるんじゃないかと。

てなことをなんとなく思ったりもする。

でも、「ルール」って言い方もなんか違うんだよなぁ…。 :

それに、「リンクには許可を」と主張する人達って、全てのリンクに対して「許可を」と言ってるわけでもないのだろうし。
「俺のところだけ違うルールにしろ」
「俺だけ見逃せ」
「俺だけルール違反を認めろ」
と言ってる状態なのだろうと想像もする。

おそらくだけど。「リンクは自由」というルールは、ものすごく脆弱なものなんじゃないか。Webというシステムは、リンクに制限を加えることは難しい。でも、社会の風潮や、法律的には、リンクを制限することは容易だったりするんだろう。ちょっとでも油断すると、たちまち「リンクは自由」というルールは破壊されてしまう。誰かがルール違反してる姿を、「ああ、いいよいいよ」と認めてしまってばかりいると、あっという間に「俺も」「私も」と言い出す人が増殖して、不便な状態しか残らなくなってしまう。…たぶん。

Webの便利さを知ってる人・その便利さが何によってもたらされているのか理解できてる人達は、そういう悲しい未来が簡単に予想できてしまうから、「リンクは自由」と訴え続けるのかもしれない。…ダムに小さな穴が開いてしまったら、その穴は徐々に広がって、そのうちダム全体が決壊してしまう。そうはならないように、必死に修繕してる。…のかもしれない。

*1: でもまあ、昭和の時代に逆戻りするだけの話なんだけど。

#5 [web] Webって、10年経って、ようやくここまで来たんだよなぁ

日本でインターネットが流行り始めたのは、Windows95が発売された1995年あたりから。つまり、10年前ぐらいに流行り始めた、と考えていいかなと思うのだけど。 *1

「ネット *2 を便利にしよう」
「皆がネットを使えるようにしよう」

この10年間、コンピュータに詳しい人達が、そんな夢を描いて、勉強・努力してきた。色んな技術を改良してきた。誰でも、できるだけ簡単に使えるように、工夫をしてきた。…コツコツと、ネットという土地を耕してきた。 *3

そういう人達の、10年間にもわたる努力の賜物で、今の状態があるわけだけど。

「やあやあ。こんなところに、こんな土地があるぞ」
と、ズカズカと入り込み、
「今日からここは、俺の土地だ」
「俺の土地なんだから俺のルールに従え!」
「おい、お前。俺の指示通りに俺の土地を耕せ」
「何? ここには決まりがある? そんなん知るか! お前たちの言ってることはおかしい!」

と、振舞う人達の姿が、目につくようになってきた。 *4

10年間、コツコツと、耕してきた人達に対して、ちょっと酷くないか。彼等(新規参入者)がよく使う言い方をすれば…あまりにも「人としての礼儀を知らない」振舞いじゃないだろうか。

「皆が使えるように」と夢見て耕してきた土地だから、新しく人が来て、種を巻いたり収穫したりするのは、耕してきた人達にとっても、たぶん嬉しいことだと思う。 *5 「俺の土地だ」と言い始めても構わない。誰かが使えるようにするために、耕してきた土地なんだから。

でも。皆が恩恵を受けられる、豊かな土地にしておくために。さびれた荒野にしないために。皆で意識して、最低限守っておかなきゃいけないルールがある。…それが、「リンクは自由」というルールじゃないのかなと。

リンクする/されることが不自由になれば、この土地はたちまち枯れてしまう。何の魅力も持たない土地になってしまう。10年間耕してきた人達はそれが判ってるから、新しく入ってきた人達に、口をすっぱくして、「リンクは自由なんだよ」と言い続けてる。

無法者ではなく、礼儀を知る賢人として振舞い、先人達に敬意を払う意味でも。何より、自分の土地を、皆の土地を、枯らさないためにも。せめてそのぐらいのルールは守りましょうよ。…と、思ったりもするんですが。 *6

それにしても、フツー、人の創作物に勝手にマーキングするなんて「無法者」なんだけど。Webでは、マーキングを推奨するほうが、むしろ「礼儀を知ってる」側になるあたり、ちょっと不思議な世界かなとも思ったり。根っこのところで柔軟さを持った人じゃないとついていけない世界、だったりするのかもしれないなと、なんとなく。

ていうか、Webからリンクを取り除いたら何も残らんがな :

ルール云々以前に、リンク以外のメリットはあんまり無いんじゃないか? > Web。
  • 縦に長くて、スクロールしないと全部読めないページ。
  • デザインに凝ったら、文字が豆粒になって、何が書いてあるか読めないページ。
  • ブラウザを変えるとレイアウトがぐちゃぐちゃになっちゃうページ。
  • 回線をちょん切られたら、たちまち見えなくなるコンテンツ。
  • 1280x1024〜1600x1200ぐらしかない、狭い画面。
  • 見続けてると目がショボショボしてくる、人に厳しい閲覧環境。
昔に比べて改良されてきたと言っても、まだまだ悪いところはいくらでも思いつく。印刷物と比較すると、Webページはとにかく見づらい。後にも残りづらい。そこだけ見ると、これは「うんこ」なメディアでしょう。

でも、「ネットって便利だな」と思うときが少なくない。なぜだろう? …リンクが使えるから、だよなぁ。それが無かったら、しょーもない道具だと思う。

リンクというメリットを失ってしまったら、YOUが多少なりとも時間を割いて作ったコンテンツも、「うんこ」になっちゃう。…そんな愚かなことをしちゃダメだ。YOUは、「うんこ」を作るために時間を浪費したのか。違うだろう。目を覚ませ。YOUの努力を、YOUの苦労を、ただの「うんこ」にしちゃいけない。「リンクは自由」と唱えるだけで、YOUの「うんこ」はたちまち誰かにとっての宝石に、

ていうか、「うんこ」「うんこ」って。俺は小学生か…。 (;´Д`)

*1: 実際は、 _その前から使ってる人達が居る んだけど。「〜年間」と区切ったほうが話が判りやすい気もするので、そこはあえて触れずに。
*2: 「Web」を「ネット」と、あえて誤用してみます。そのほうが判りやすいかもしれんと。
*3: いや。実際には、大層な理想を持ってやってたわけではなく。それらの人が、「俺が使いやすいように」「俺にはこれが面白いんだよね」と思ってやってきただけ、な気もするんですが…。
*4: いや、ここ10年ずっとそんな感じだったと思うけど。別に最近に限っての話じゃない。
*5: たぶん。おそらく。あくまで基本的には。
*6: や。「礼儀」云々の単語を散りばめたら、村社会文化の人であっても「なんか守らなきゃいかんのかな」という気分になったりするのかな、となんとなく思ったので試しに書いてみただけ。そのへん深い意味はないというか、あんまり深く考えてない。>自分。

#6 [web] 「便利なのが良い」のではなくて「便利だと気分が良い」なのかなと

は、 なのかなと思ったのだけど、よく考えてみると前者はカテゴリー分けが正確じゃない気がしてきた。正確には、「便利だと気分が良い」派、ではないのかと。逆に言うと「不便だと気分が悪い・腹が立つ」派というか。

結局のところ、双方共に、「自分にとって気分が良くなるのはどちらか」を最終的な判断基準にして良し悪しを選んでいることには違いないのかなと。

判断基準がわからん :

「便利だと気分が良い」派が、喜んだり怒ったりする判断基準は、「便利か/不便か」なのかなと思うのだけど。あるいは、「ロジックになってるか/ロジックになってないか」「理由がある/理由がない」あたりも判断基準だったりするかもしれん。つまるところ、判断基準が単純だし、判りやすい。

しかし、「不便でもいいから気分良くやりたい」派は、一体何を判断基準にしているのか、何をトリガーとして、喜んだり怒ったりするのか、そこが自分にはわからない。

もしかすると「プライド」であろうか。「プライドを傷つけられた」感じがしたら、「気分が悪い」のだろうか。とも思ったのだけど。それだと、「銀河通信」族の物言いと食い違いが出てくる。賞賛のメールを貰っても、苛立ちを覚えるらしいし。>「銀河通信」族。…わけがわからん。

「銀河通信」族のソレは、もしかすると羞恥心が絡んでるのかもしれない。いや。ホントか。どうなんだろう。自信なし。

#7 [web] mixiは閉鎖的だろうか

友人とのメールのやり取りで、「mixi = 閉鎖的」という評が出てきて、それが自分の中でずっと引っかかってる。

本当にそうだろうか。mixiは閉鎖的だろうか。

外と内の両方に注目して評する必要があるようにも思える。 :

たしかに、mixiは、ある意味では閉鎖的と言える。だが、範囲を狭めると、あるいは、Web公開されてながら異質な性質を持つblogと比較すれば、よほど開放的ではないのか、という気がしないでもない。

図にするとこんな感じ。
mixiは閉鎖的なのか、開放的なのか

(a)は、Web上に公開されてる、一般的なblog。誰からも閲覧できるし、誰からもリンクされることを前提にしている。これは明らかに「開放的」と言える。

(b)は、mixi。 *1 招待された人しか中を見れないので、そこはたしかに「閉鎖的」と言える。だが、内部では、自分が招待した友人知人しか居ない分、(a)では到底話せない内容も、気軽に日記に書けたりする。そこに注目すれば、「(ある部分では)開放的」と言えたりはしないか。…自分は、「Webではblogをやってないが、mixiでは日記を書いてる・mixiを積極的に有効活用してる友人知人の姿」を複数見ているので、「mixi = 閉鎖的」という単一的な評には、どこか違和感を覚える。

(c)は、Web上に公開されているが、リンクする際に挨拶、もしくは許可を得ることを要求されるblog。

個人的には、(c)が、一番性質の悪い(?)スタイルのように思える。一見「開放的」なふりをしながら、本質的なところではmixiユーザ以上の閉鎖性を持つから。誰でも閲覧できるから、読者は「ああ、普通(?)のblogなんだ」と思って気軽にリンクを張る。が、張った途端に、「挨拶もなしに張るとはケシカラン」「リンクするときは許可が必要です」と言われてしまう。リンクを張った側の頭の中は「???」だろう。当然トラブルになりやすく、非常に価値のある記事を公開していながら、blogの管理人が癇癪を起こして無意味に閉鎖してしまうことも少なくない。…正直、めっちゃもったいない。


と、そんな感じのことをつらつらと。図にしたことで、自分の中でもやもやしてたところがスッキリしたかも。…内容が合ってるかどうかは別にして。あくまで印象論だから何か間違ってる・見落としてる予感。たぶん。

*1: mixi は、内部に細かい集団を持つサービスなので、この図は正確さにかける。だが、個人ユーザの視点で見れば、mixiの大枠も、内部の集団の境界線も、等価に見えるものと予想する。この図は、それを踏まえての作図。

#8 [nitijyou] 時々ガーッと書きたくなるのだな>自分

脳の活動に波があるんだろうなぁ。

#9 [nitijyou] 自分の書いてるのって全部誰かが言ってたことの受け売りのような気がしてきた

どこからどこまでが自分自身の頭で考えたことなのやら。まったく自信がない。

この記事へのツッコミ

Re: 自分の書いてるのって全部誰かが言ってたことの受け売りのような気がしてきた by 名無しさん    2006/02/10 11:11
この手の話を見るときいつも思うのは、「公開する自由」が意図的にか知らないけれど、語られない点。

閉じる自由と同様に、公開する自由もあって、公的な物や営利的な物、当然情報発信をメインとした物も、進んで公開する側にまわるだろう。

公開したいと思っている人間にまで、「許可制を強要する」なんて当然ありえないし、むしろロボットが検索する無駄なリンクや情報が減って、便利になる気さえする。
そして、「誰も彼もが強制的に公開させられる」今よりも、「公開する」ことの価値も上がるだろう。

今の現状は、公開したくない人間にも公開を強要している(技術的に無知ゆえにだが)状態だ。

もっと技術がある側が歩み寄るべきじゃなかろうか?
「公開する自由」 by mieki256    2006/02/12 01:28
> 「公開する自由」

興味深いフレーズ(?)であります。
他の人はどうか判りませんが、自分の場合、
意図的に語る/語らないどころではなく、
そもそもその概念(?)は意識した記憶がなくて…。
ちと別記事でまとめてみたくなったであります。

> もっと技術がある側が歩み寄るべきじゃなかろうか?

個人的には、SNSがそれかなぁ、という気もしますねぇ…
あるいは、2chのような匿名掲示板とか。
アレも、名前という情報を公開しないことで、
ある種の使いやすさを実現したような印象も。

でもまあ、技術がある側ってのはエスパーじゃないし、
モノ言えぬ赤ん坊の機嫌をとる母親でもありませんから、
使う側からの、
「こういうことがしたいのです」ぐらいの意思表明は必要な感も。

(や、商売であれば、また違ってくる感もあるんですけど。
 客が何か言ってくるまで何もしないのでは商売になりませんしねぇ…)
Re: 公開する自由 by 名無しさん    2006/02/12 15:53
> 「公開する自由」
公開したくなければWebに上げないか、アクセス制限を設けて
限られた人だけが閲覧できるようにすればいいだけのこと
Re: 公開する自由 by mieki256    2006/02/14 21:59
> 公開したくなければWebに上げないか、アクセス制限を設けて
> 限られた人だけが閲覧できるようにすればいいだけのこと

あ。そういうことでしたか!
自分、ズレたところ(?)を考えてしまってたであります… (^^;

以上、1 日分です。

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