2024/04/06(土) [n年前の日記]
#2 [anime] 「すずめの戸締り」を視聴
金曜ロードショーで放送されていたものを録画していたので視聴。新海誠監督作品の劇場アニメ。
面白かった。いや、東日本大震災がキッカケになって作られたこの作品を面白かったと言ってしまっていいのかどうかちょっと悩むけど。こういう形で昇華(?)すること自体はとても良いことだと思えるし…。
映像面では相変わらず見応えがあるなと感心。カメラマップ等を活用しているあたりが興味深い。敵(?)を表現する際のエフェクトも一体どうやって作ってるんだろうなと…。かつて宮崎アニメの「もののけ姫」でもああいった存在をCGで映像化していたわけだけど、随分と進歩が感じられる映像になっていたなと…。スケールも全然違うし…。
面白かった。いや、東日本大震災がキッカケになって作られたこの作品を面白かったと言ってしまっていいのかどうかちょっと悩むけど。こういう形で昇華(?)すること自体はとても良いことだと思えるし…。
映像面では相変わらず見応えがあるなと感心。カメラマップ等を活用しているあたりが興味深い。敵(?)を表現する際のエフェクトも一体どうやって作ってるんだろうなと…。かつて宮崎アニメの「もののけ姫」でもああいった存在をCGで映像化していたわけだけど、随分と進歩が感じられる映像になっていたなと…。スケールも全然違うし…。
◎ ハードウェアで残すか。ソフトウェアで残すか :
そもそも、東日本大震災の記憶を、こういった作品にして後世に残せないかとチャレンジしてみたこと自体が評価に値するのではないかと感じた。たしか以前、監督さんへのインタビュー記事で、「映像作家の自分はあの震災に対してこういう形でしかアプローチできない」といった感じの発言を目にした記憶があるのだけど、映像を見ていて、なるほどたしかにと納得できたというか。
自分達は、過去の大災害の記録を後世に残したいと思った際、一般的にはついついハードウェアで残すことをまず考えてしまう。例えば石碑を残すとか…。しかし、石碑の類は、あっという間に人々の記憶から忘れ去られてしまう。
何せ、大阪の街のど真ん中に、「江戸時代にここまで津波が来たよ…」と記してある碑が残ってるわけで…。どうして街のど真ん中にあるのかと考えたら、まあ、そういうことだよなと…。
あるいは、以下のような話もある…。
_寺田寅彦 津浪と人間
しかし、それらの記録はハードウェアでしか残せないというわけではない。ソフトウェアで残すという方法もある。
例えば、自分が住んでいる福島県須賀川市には、松明あかしという祭りがある。めっちゃデカイ松明を作ってガンガン燃やすという祭りなのだけど、伊達政宗に滅ぼされた二階堂勢を弔うため、というのが由来。
_松明あかしの由来 / 須賀川市公式ホームページ
災害の記録というわけではないけれど、こういった事例は、ソフトウェアで記録を残そうとした事例と言える。この場合、少なくとも四百年は残せてる。
そして、新海監督が「すずめの戸締り」で試そうとしたのも、こういうことだろうなと…。娯楽性/エンターテイメント性を持った映像作品として提示しつつも、その中で過去に大災害があったことをしっかり示しておくことで、見た人の脳内に情報をインストールする…。「お話」にしてみせることで「覚えておいてね」と語りかける。ソフトウェアで記憶を伝えていこうという、立派な試みの一つと言える。「映像作家には所詮こんなことしかできない」と捉えることもできるだろうけど、「映像作家だからこそ、こんなことだってできる」と捉えることもできる。
何にせよ、後の時代に少しでも伝えていきたいと考えて、実際に作品の形にしてみせただけでも、それは賞賛されてしかるべき行為なのではないかと思えた。こんなこと、作家さんじゃなきゃできない。でも、大半の作家さんはここまでやらない。だけど新海監督は、こうしてやってみせた。それだけでも、自分は監督に拍手を送りたいなと思えたわけで。
ただ、ソフトウェアで残すのは、結構難しい…。それが面白かったら残っていくけど、つまらなかったら残らないから…。このアニメは一体どちらの扱いを受けるのか…。でもまあ、そこは時間が判断してくれることだから…。
自分達は、過去の大災害の記録を後世に残したいと思った際、一般的にはついついハードウェアで残すことをまず考えてしまう。例えば石碑を残すとか…。しかし、石碑の類は、あっという間に人々の記憶から忘れ去られてしまう。
何せ、大阪の街のど真ん中に、「江戸時代にここまで津波が来たよ…」と記してある碑が残ってるわけで…。どうして街のど真ん中にあるのかと考えたら、まあ、そういうことだよなと…。
あるいは、以下のような話もある…。
_寺田寅彦 津浪と人間
三陸災害地を視察して帰った人の話を聞いた。ある地方では明治二十九年の災害記念碑を建てたが、それが今では二つに折れて倒れたままになってころがっており、碑文などは全く読めないそうである。またある地方では同様な碑を、山腹道路の傍で通行人の最もよく眼につく処に建てておいたが、その後新道が別に出来たために記念碑のある旧道は淋れてしまっているそうである。寺田寅彦 津浪と人間 より
しかし、それらの記録はハードウェアでしか残せないというわけではない。ソフトウェアで残すという方法もある。
例えば、自分が住んでいる福島県須賀川市には、松明あかしという祭りがある。めっちゃデカイ松明を作ってガンガン燃やすという祭りなのだけど、伊達政宗に滅ぼされた二階堂勢を弔うため、というのが由来。
_松明あかしの由来 / 須賀川市公式ホームページ
災害の記録というわけではないけれど、こういった事例は、ソフトウェアで記録を残そうとした事例と言える。この場合、少なくとも四百年は残せてる。
そして、新海監督が「すずめの戸締り」で試そうとしたのも、こういうことだろうなと…。娯楽性/エンターテイメント性を持った映像作品として提示しつつも、その中で過去に大災害があったことをしっかり示しておくことで、見た人の脳内に情報をインストールする…。「お話」にしてみせることで「覚えておいてね」と語りかける。ソフトウェアで記憶を伝えていこうという、立派な試みの一つと言える。「映像作家には所詮こんなことしかできない」と捉えることもできるだろうけど、「映像作家だからこそ、こんなことだってできる」と捉えることもできる。
何にせよ、後の時代に少しでも伝えていきたいと考えて、実際に作品の形にしてみせただけでも、それは賞賛されてしかるべき行為なのではないかと思えた。こんなこと、作家さんじゃなきゃできない。でも、大半の作家さんはここまでやらない。だけど新海監督は、こうしてやってみせた。それだけでも、自分は監督に拍手を送りたいなと思えたわけで。
ただ、ソフトウェアで残すのは、結構難しい…。それが面白かったら残っていくけど、つまらなかったら残らないから…。このアニメは一体どちらの扱いを受けるのか…。でもまあ、そこは時間が判断してくれることだから…。
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以上です。