mieki256's diary



2018/06/26(火) [n年前の日記]

#1 [zatta] エレメカが気になる

レースゲームについてググってたら、NAMCOが大昔に製造販売していた、レースゲームエレメカがあると知り。

_F1 (エレメカ) - Wikipedia
_Atari / Namco F-1 1976 arcade game - YouTube
_F-1(フォーミュラワン)
_関西精機製作所 - Wikipedia

幻灯式ゲーム機…。分類名が、イイ…。サクラ大戦みたいな、昔っぽい世界観のアニメ等で使えそうな設定、かもしれないなと…。「○○さん。あんなところに幻灯式遊技機が。遊んでいきませんか」みたいな。いやまあ、作られたのは昭和だからちょっと辻褄合わないかもだけど。

仕組みもスゴイ。なんというアイデア…。関西精機製作所のインディ500が元ネタらしいけど、よくこんな仕組みを考えるなと。

電球が特注品だったから、フツーの電球では当時の見た目を再現できないというのがなんだかもったいないなと。LEDで当時の形状を再現できないものだろうか。もっとも、そもそも本体が残ってなさそうだけど…。

#2 [zatta][neta] セルフツッコミは必要なのかもしれない

思考メモ。

ちょっと気になった話があって。

_「女性エンジニア少ない問題」を解決するために、機械学習で男性エンジニアを女性に変換する - ログミーTech(テック)
_女性エンジニアが少ないとやる気が出ない問題で批判「懲戒解雇されてほしい、エンジニアやめろ」一方、過敏に反応しすぎの声も - Togetter
_Latest topics > 女性エンジニア少ない問題を解決する話、の何が問題なのか - outsider reflex

ざっと眺めてみたけれど…。これってたぶん、前振りの一文一文に対して、聴衆が心の中で「いやそのりくつはおかしい」「どうしてこうなった」とツッコミを入れてくれることを期待してるボケの羅列、じゃないのかなと。

しかし、こうして炎上したというのは…。まさかとは思うけど、発表者があえてボケを次々に繰り出してることに気づかない、とても真面目一徹な人達が世の中には多い、ということだったりするのだろうか。…なんだか怖い考えになってしまった。

さて、どうすればいいのだろう。

セルフツッコミを駆使するしかないのかもしれない。

例えば、スライドを一枚出したら、最下部に、もしくは次のスライドで、「いやそのりくつはおかしい」「どうしてこうなった」等の画像を逐一毎回しつこく表示する、みたいな。さすがにそこまでやれば、「ああ、今のはボケだったのか…」「話の流れがおかしいと思った…」と、よほどの人でもない限り気付いてくれるだろう…。

もっとも、セルフツッコミを「ウザい」と思う人も中には居て。「あ。今ボケたな」とちゃんと気づいてる人は、自然と脳内でツッコミを入れるわけだけど、そこで思い浮かんだツッコミと、えてして異なるツッコミがボケ側から提示されてしまうのだから、「違う」「そうじゃない」「そこはこうツッコむべき」と感じてしまってイラッとして、結果、「セルフツッコミやめろ。ウゼエ」と言い出す、という。

とは言え、そもそもボケてることに気づいてくれない人がこれほど多いのであれば、自衛のために、ボケをボケとして明示するために、セルフツッコミは必要になってしまうのではなかろうか…。文句を言うなら、ボケが分からない人達に言ってくれよ…。ボケる側だって、本当は読み手や聞き手を信じたいんだよ…。

「一切ボケずに真面目に発表すればいいではないか」と真剣な顔で言い出す人も居そうだけど、それやると、たぶん寝るよなあ…。高校や大学で授業中に一度たりともウトウトガクッをしなかった人だけが「ボケを入れるな」「終始真面目にやれ」と主張できる資格を持っているのではあるまいか。君は言えるか? 俺は言えないメポ。

それはともかく。件の発表で出ていた、自分の声を女性の声に変換できる技術には期待大。自分も自分の声を女性の声にしてみたいものです。ソレ、めちゃ助かる。 *1

TV番組のワイプも同じかもしれない。 :

個人的には、昨今のTV番組でよく見られる、録画映像・ネタの紹介映像と一緒にスタジオに居るゲストの表情をワイプで画面の端に出す、というアレが大嫌いで。

提示されたネタに対して、笑うのか、感心するのか、考え込むのか。そのあたりは視聴者の仕事なわけで…。こっちの仕事を番組制作側が勝手に先回りして取るんじゃないよ。ウザいよ。みたいな。

しかし、前述の件について考えていたら、その手のワイプも制作側の自衛のためには仕方ないのかもなと思えてきたり。ボケてることすら気づかない視聴者に対しては、「ホラホラ、ゲストさんが笑ってるでしょ? ここは笑うべき場面なんですよー。視聴者の皆、どうかなあ? 分かってくれたかなあ?」的にやってくしかないよなと…。

要するに、番組制作側は視聴者を一切信じてないのだろう。信じてないから、セルフツッコミならぬ、ワイプをガンガン出してくるのだ…。

ということで、これからはその手の映像を見かけても生温かく見守ることにしようかなと…。アレコレ誘導してやらないと気づいてくれない受け手が多いのであれば、仕方ない…。

たぶんこのあたり、ハイコンテクスト云々と関係あるのだろうと思うのだけど。

_ハイコンテクスト文化とローコンテクスト文化
_「日本文化はハイコンテクスト」には実証的根拠がない - 旧版こにしき(言葉、日本社会、教育)※2018年4月、新ブログに移行済み

TVのワイプは、ローコンテクストを前提としたソレということになるのかな。でも、ゲストの表情で伝わる情報にも限りがあるわけで、どうもその先にハイコンテクストがあることを前提としてワイプを出してる気もする…。その場面で、ゲストは何に対して笑ったのか、何に対して渋い顔をしたのか、そこを視聴者が読み取るためには、ハイコンテクストが無いと、みたいな。

しかし、ワイプを出さなきゃ分からないような視聴者が、その先にあるハイコンテクストを読み取れるのかどうか…。

一方通行と双方向。 :

以下の記事を読んでいて、もしかすると、セルフツッコミだの、TVのワイプだのは、一方通行性を増すソレなのかなと思えてきたりもして。

_ハイコンテクストな日本のお断り言葉についてパックンが指摘 - ログミー

発表者のボケに対して聴取が心の中でツッコミを入れる時、直接的には会話のやりとりは無いけれど、疑似的な双方向性があるのではないか…。しかしそこでセルフツッコミをしてしまうと、一方通行になってしまうのでは…。

TVのワイプも同様で、ゲストの表情を出してしまった瞬間、一方通行になるのでは…。

疑似ではあってもそこに無意識の双方向性を求めていた聴衆・視聴者にとっては、一方通行でアレコレ提示されてしまうと…。それはおそらくイラッとするだろうな…。みたいな。

Twitterが流行ったのもソレなのかな。blogの記事はえてして長い。Twitterは短い。人間誰しも、一方通行の御高説なんか好き好んで聞きたくない。そんなシンドイ時間はできるだけ最短で済ませたい。と思ってるところに短文しか読めないTwitterが登場。これならblogに比べてまだ耐えられるわー。blogなんか読んでられないわー。みたいな。

TVとニコ動を、一方通行と双方向という視点で比べてみても、何か見えてくるのかも。ニコ動に比べたらTVはどう見ても一方通行…と思えるけど本当にそうだろうか。TV番組に向かって感想や文句を呟いている視聴者はどうなのだろう。TV局は自分達の番組を一方通行と思い込んでるけど、視聴者にとっては双方向性があるような錯覚がそこに生じていないか。いわば疑似双方向性、みたいな。しかしワイプが出てくると一方通行性が増してしまって、かろうじてそこにあった疑似双方向性が失われ…。

えーと、何の話だっけ。どうしてこうなった。

*1: 自分、自作ゲーム内で女性キャラを出そうとして、必殺技等の音声の録音で悩んでしまった経験があるわけで。女性の声を出せる音声合成ソフトはライセンスがガチガチだから迂闊に使えない上に感情表現という面ではまだまだなところがあるし、フォルマントシフターも価格と質に関してちょっと…。自分の声を加工して女性キャラっぽい音声データが作れるなら自由度については文句なしなので、その手の技術がもっと発展してほしいなと。まあ、そういう需要はニッチ過ぎるのだろうけど。

以上、1 日分です。

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