mieki256's diary



2015/03/08() [n年前の日記]

#2 [anime][neta] リアルを追求することについてもやもや

以下、思考メモ。

ベイマックスの制作風景の中で、猫のような立体看板に、雨水の汚れ、鳥の足跡までつけてる様子を見て、ここまでやらなきゃいかんのかとクラクラ。

アメリカの場合、映像作品はとにかくリアルであることを要求されるので、日本のアニメと同じような感覚で作業風景を見れないよなと。手描きアニメより3DCGのほうがリアルに見えるからアメリカでは3DCGアニメ全盛になったし。アニメより実写のほうがリアルに見えるから、アメコミ原作の実写化企画も通るし金もかけるしヒットもするし。だから、そこまでやるかと思われる作業も、間違いなく無駄な作業ではなくて。粗が見えただけで商品価値が下がる市場に向けて作ってるわけだから…。

もっとも、脚本を何度も練り直したり、事前に仮映像を色々作ってテストしてから本番映像を作ったり、つまりは作品の本質的な面白さについても全然手を抜いてないからそういうことができるんだろうなと。そっちはそっちで会議を開いて何度も何度も練り直すから、モデルを作ったり、照明・色彩を設計したり、テクスチャを描く人 ―― 細部を作り込むスタッフは、ひたすら自分の守備範囲についてこだわり続けるべし、てな状況も許される、ような気がしたり。

日本の場合は、そもそも時間もお金も無くて、ほとんど一発勝負だから、作品の面白さを追求できてない状態がほとんどだろうし。また、アメリカと違って、リアルであることをひたすら要求されるわけでもないし。だから、ピクサーやディズニーの真似をしても意味があるのか、てなところがありそうだなと思ったりして。もちろんアメリカにも売り込みたいなら、どこかしら真似しなきゃいかん部分が出てくるのだろうけど。

話が少しずれるけど。日本は、「リアル」を追求することに関して、ちょっと特殊な感覚があるなと思っていて。

どこかで見かけた話なのでうろ覚えだけど…。欧米では写真の発明が絵画の存在を脅かしたという歴史があって。欧米における絵画・各種技法は、そこにある風景を正確に記録するという側面を持って発達してきたけれど、写真の登場で絵画の存在意義が揺らいでしまって。こんな正確無比な記録装置が生まれてしまったら俺達絵描きは廃業するしかないぞ、さあどうしよう、てな空気になったものだから、それでも絵で飯を食うために、欧米の絵描きさんは「何故わざわざ絵で描かねばいかんのか」「絵で描く意味は何か」について理論武装する必要に迫られた、とかなんとか。

日本はちょっと状況が違ってて。線画中心で絵画を描いてきたものだから、江戸時代末期・明治にかけて欧米のリアルな描き方が、「今まで見たことない新表現」として安易に受け止められちゃって。「どうしてその描き方をしなきゃいけないのか」の部分、その描き方をわざわざ選ぶ目的・思想・必然性がスポンと抜けたまま、技法だけを真似して悦に入る状態に。

そして、各国におけるそんな状況の違いが、今のアニメにも反映していて。

故・今敏監督が、リアルな画作りの「PERFECT BLUE」を作って海外に持っていったとき、海外の記者から二言目には「どうして実写で作らなかったのですか?」と質問されたというエピソードがあって。当時の今監督は、どうしてそんな質問を必ずされてしまうのか全く理解できず、「自分が使える映像化手法はアニメしか無かったからアニメで作っただけ」と答えたのだけど、記者達は怪訝な顔をするだけ、だったそうで。

欧米では、写真と絵画の生存競争があったから、「わざわざ絵で描いて映像化するということは、そこに監督の確固とした目的・思想があるはず」と当たり前のように考えるのだろうなと。ところが日本人は、アニメで作る目的なんか考えたことがない。見たことがない手法だからやってみようとか、今使える手法はこれしかないからこれでやろうとか、そんなノリでアニメを作ってしまう。そこが海外では奇異に見えるし、故に注目されて妙な商品価値が生まれたりもするのだけど…。

何にせよ、国毎に絵画に対する歴史が違うので、「リアル」を追求する姿勢についても違いが出てくるのが必然で。だから、「アメリカでこうやってるから日本でもやるべき」とか、「アメリカではこれをやってないから日本でもやっちゃダメ」とか、そういう安易な考えは危ないかもしれない、てなことを素人考えで思ったりしました。

でも、そう考えていくと、どうしてアメリカでは「リアル」を要求されるのか、そこが分からない…。

アニメなんだからどんなに頑張ってもリアルになるわけがない。「リアルにしたいなら実写でええやん」と一番言われそうな国なのに、どうしてアニメにすらリアルを要求されるんだろう。

まあ、監督・作家さんレベルではそういう思考をするように思えるけど。あちらでもトリガー作品が好まれるのは、どう見ても実写じゃ無理な映像だから、らしいし。高畑監督の「かぐや姫」が高評価なのも、「実写でこの映像は無理だわ」が根本にあるんじゃないかと。だから、あちらの監督・作家さん・評論家は、「アニメで作る意味は何か」」を問いながらアニメ作品を見てそうな予感。

しかし、一般の観客がそういう思考にならないのは…。アメコミの規制とか、アニメは子供向けコンテンツと思われ続けてきたとか、そのへんが関係してるのかな。それとも、アメリカのアニメがひたすらリアルを排除してきた反動なのかしら。…そのへんよくわかりません。

以上です。

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