mieki256's diary



2008/07/05() [n年前の日記]

#3 [tv][movie] 鬼太郎実写版を鑑賞

TVで流れてたので見てみたり。

個人的に、アニメ化されたコンテンツを実写化するという企画は好きなほうで。実写映像化するにあたっては、脚本も、コンテも、レイアウトも、配役も、特撮も、様々な障害・乗り越えるべき壁が出現するだろうけど。それをどうやって一つ一つ叩き潰していくのかを想像すると、そこには様々なテクニック・技術の披露が当然見えてくるだろうと。プロの技をたくさん見れるのだから、そこだけ着目しても結構楽しめるはずだ、てな期待があって、そういう企画は好きなわけだけど。

この作品は、何一つ叩き潰せてない感が…。実写畑の人間の悪い映像感覚ばかりが目に付いた。期待しすぎてたかも。

や。大泉演じるねずみ男は良かった。彼だけは何かレイヤーが違ってた。それと、目玉おやじのCGもよかったかもしれず。あのスケールの生物を高い自由度で動かせる技術があるというのは嬉しいこと。しかし、それ以外は…。

いったんもめんの飛行シーンが実に悲しかった。 :

登場人物が、「わー、空を飛んでるー」的台詞を発していたにも関わらず。映像は、まるで、子供むけの博物館でブルーバック合成の仕組みを解説する教材ビデオそっくりの映像で。平成の世にこの映像はないだろうと。脚本の段階では、「ここはきっとこうしてくれるはずだ。このシーンを担当するのはプロなんだからやってくれるはずだ」と期待しながら台詞を書いていたのかなと想像するのだけど。コンテを描く人間が何も考えてなくて、悲しい映像になってしまった、そんな印象を持ってしまったり。

たとえばだけど。宮崎アニメの魔女の宅急便なんかを見ると、「空を飛ぶ」ことについて、とにかく「考えてる」わけですよ。魔女の箒は、ナウシカのメーヴェ等と違ってそんなにスピードが出るわけじゃない。にも関わらず、あの飛翔感。
  • 地べたを走る列車や車、水面に浮かぶ船等を、同一の画面に収めることで、空を飛べない移動手段と飛べる移動手段の対比をしたり。
  • 時計塔の横に浮かせることで人間が空中に浮いている違和感を強調したり。
  • 空中高く昇ってからまた降りるという縦方向の移動感覚を盛り込みつつ、同時に移動する空間としての地形の広さを感じさせたり。
  • 鳥と並べて飛ばした上で風をぶつけて、ネイティブに空を飛ぶ存在と人間のソレの自由さ・不自由さを感じさせたり。
  • クライマックス近辺では壁面にぶつけたり屋根の上に落としたりして上昇下降の恐怖心を見せつけて、さらに地面スレスレに飛ばしてスピード感を強調したり。
まだまだたくさんあるわけですけど、「空を飛ぶ」ってどういうことなんだろ、どういう感覚なんだろ、どんな風景なんだろ、と考えて考えて、それをどうやったら観客に伝えられるか、あの手この手で試して映像化してるのだろうと想像するわけで。…映像化ってのはそういう行為・作業じゃないのかなと思うわけなんですが。

それに比べて、この映画の飛行シーンは何だろうなと。合成技術がどうとかそういう次元よりもっと前の段階でとにかくなってなかったような。そのシーン・そのカットをどう描いたら、「空を飛ぶ」感覚が、少しでも、ほんのちょっとでも、観客に伝わって「楽しんでもらえる」のか。そのへんをゴマ粒ほども考えてなかったんじゃないか。…アニメを本気で見たことがあるのかな?>制作スタッフ。お手本が山のように存在してると思うんだけど、今まで何を見ていたんだろう。>実写畑の人間。いや、そもそも忙し過ぎて、他人の作品は全然見てないのかもしれんか…。

空撮映像をバックに流せば空を飛んでるように見えるのでは、という発想からしてなんだか考え込んでしまったり。それは実写畑の人間がもってしまいがちな、実在の光景を見せればそれだけで実在感が出てくるだろう、てな勘違いに基づく映像の構成感覚ではないのかなと。街の風景の中で演技してる役者を撮ってるならともかく、ありえない光景を映像化するときまでそういう発想で須らく考えてたら、ちょっとダメなんじゃないのだろうか。各カットの種類・属性からして判ってないまま映像を作ってた気がするのだけど、どうなんだろう。

と思ったけど、そもそもこういうのって脚本の段階で逐一指示しておかないといかんかったのでは…。すると脚本の段階でもうダメダメだったのか…? そういや宮崎アニメってコンテが脚本みたいなものらしいし。もしかすると、映画制作に関して、脚本とコンテできっちり作業を分割してるあたりからして、実は問題があるのだろうか。うーん。

さておき。全般的に、「本当はこうしたかったけど技術が足りなくてこうなっちゃった」ではなくて、最初から何も考えてなかったのかな、と思えてしまうカットが多過ぎてなんというか。いや、予算や時間を考えて、ここは記号にするしかないだろ、てな感じで、最初から諦めた状態でコンテを描いてたのかもしれんか…。

そもそも全カットを昭和感覚でまとめようと思っていた可能性もありそうだけど。 :

昔の特撮映画が持つ、インチキくさくて胡散臭いあの雰囲気の再現、みたいな。だとしたら、自分が気になった箇所は全部的外れなのかも。

でも、それってどうなんだろう。技術を持つモノがあえてそれをやるならまだ判らないでもないんだけど。技術を持ってないモノが、今現在使える手がそれしかないからそれをやりました、てな状態だったりはしないのだろうか。それって、胸をはって「俺の狙い通り!」と言えることなんだろうか。技術的に高めていこう、という姿勢を最初から持ってないのは、今後に関してお先真っ暗ではないのか。邦画をますます閉塞させていかないか。未来がないのではないか。なので、個人的にはかなり嫌いな姿勢・方向性なんだけど。

まあ、色んなことを考えてしまってどんどん暗い気持ちになってくる映画、だったような印象なのでした。

これがまた、TV放送されたその後に、実写版ハチワンダイバーのドラマが流れてて。漫画の映像化という点では同じなれど、予算も時間も鬼太郎映画のソレよりずっと少ないだろうに、実験的な見せ方に、果敢にチャレンジしていたわけで。 *1 …なんかこう、映像の作り手としての、姿勢の違い・出発点の違いを更に感じちゃって、ますます考え込んでしまったり。

*1: 1分間ノーカット猛スピードの将棋の試合を見せつけられて驚愕しました。

以上です。

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