2023/10/19(木) [n年前の日記]
#4 [ruby] Rubyというプログラミング言語に対する個人的な印象
ポエムです。感想には個人差があります。
Ruby が Tk を殺さなければ、いや、別に Tk に拘らなくてもいいのだけど、標準状態で何かしらのGUIライブラリが使える状態が実現していれば、Python の PySimpleGUI のように、ラッパーを書いて簡単にGUIアプリを作れるようにする試みが出てきていたのかなと夢想しないでもない…。標準でソレが使えるか使えないかは大きいよなあ…。 *1
もっとも、GUIライブラリはプログラミング言語本体とは明らかに別部分だから、言語本体の開発者にとって、そんな”どうでもいい”部分にリソースを割くより言語本体に集中を、と考えるのは至極当然な気もする。
結局、言語本体だけに注目して開発リソースの配分をするか、それとも言語を取り巻く全体を眺めてリソース配分するか、視点の違いの話なのだろうか。極端なことを言えば、言語を芸術品の類として見ているのか、それとも言語を道具として見ているのか、その違いかもしれない。
Rubyは元々、便利な道具が欲しくて作られたわけではなく、美しいプログラミング言語とはどうあるべきか、その探求心から誕生した言語と聞いているので、出自からして道具としてはなんだかイマイチになってしまう点は避けられなかったのかもしれないなと。
喩えるなら、毎日食卓に並べて使われる食器の類ではなく、床の間に飾ってある焼き物のような、そんなポジションなのだろうか。そして床の間で、ゆっくりと埃をかぶっていくのだろう…。しかし、日常的に使われる食器を作ってる人達は、その焼き物の美しさに魅かれて、せめてこの部分だけでもウチの製品に取り込めないかと試みてみたり…。色んな言語がRubyから影響を受けたと言及していたりするあたり、お手本になる部分が多いのだろう。でも、お手本にはなるけれどソレ自体は道具にならない。Ruby はそういう言語、だったのかもしれない(過去形)。
などと書いたところで思い出した。名前からして宝石だもんな…。宝石は奇麗だけど実用性は無いもんな…。自分達は宝石を、火打石や石刀として使えないものかと苦心してる状態なのでは…?
ポエムです。感想には個人差があります。
Ruby が Tk を殺さなければ、いや、別に Tk に拘らなくてもいいのだけど、標準状態で何かしらのGUIライブラリが使える状態が実現していれば、Python の PySimpleGUI のように、ラッパーを書いて簡単にGUIアプリを作れるようにする試みが出てきていたのかなと夢想しないでもない…。標準でソレが使えるか使えないかは大きいよなあ…。 *1
もっとも、GUIライブラリはプログラミング言語本体とは明らかに別部分だから、言語本体の開発者にとって、そんな”どうでもいい”部分にリソースを割くより言語本体に集中を、と考えるのは至極当然な気もする。
結局、言語本体だけに注目して開発リソースの配分をするか、それとも言語を取り巻く全体を眺めてリソース配分するか、視点の違いの話なのだろうか。極端なことを言えば、言語を芸術品の類として見ているのか、それとも言語を道具として見ているのか、その違いかもしれない。
Rubyは元々、便利な道具が欲しくて作られたわけではなく、美しいプログラミング言語とはどうあるべきか、その探求心から誕生した言語と聞いているので、出自からして道具としてはなんだかイマイチになってしまう点は避けられなかったのかもしれないなと。
喩えるなら、毎日食卓に並べて使われる食器の類ではなく、床の間に飾ってある焼き物のような、そんなポジションなのだろうか。そして床の間で、ゆっくりと埃をかぶっていくのだろう…。しかし、日常的に使われる食器を作ってる人達は、その焼き物の美しさに魅かれて、せめてこの部分だけでもウチの製品に取り込めないかと試みてみたり…。色んな言語がRubyから影響を受けたと言及していたりするあたり、お手本になる部分が多いのだろう。でも、お手本にはなるけれどソレ自体は道具にならない。Ruby はそういう言語、だったのかもしれない(過去形)。
などと書いたところで思い出した。名前からして宝石だもんな…。宝石は奇麗だけど実用性は無いもんな…。自分達は宝石を、火打石や石刀として使えないものかと苦心してる状態なのでは…?
ポエムです。感想には個人差があります。
*1: でも、どうしてそういうアプローチが、元々の Tcl/Tk で出てこなかったのだろうという疑問も…。利用ユーザ数の違いが関係してるのだろうか。それとも言語仕様によるところが大きいのか。
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以上です。