mieki256's diary



2020/07/12() [n年前の日記]

#3 [anime] 敵の設定って難しいな

思考メモ。

「SAO(ソードアートオンライン)」アニメ版を眺めていたら、日本人=正義、日本人以外=悪、みたいな図式で戦闘シーンが描かれていて、なんだかちょっと悩んでしまった。

日本国内で放送してる分には問題無いだろうけど、今時は海外に向けて日本のアニメを配信する機会が多いわけで…。もし、外国の方がこのシーンを目にしたら一体どんな気分になるのだろう、この設定って大丈夫かな、などと不安になってしまったわけで。所詮ファンタジーだから、アニメだからと割り切って見てくれるだろうか。割り切って見てくれないと、ちょっと困る事態になりそうだなと。

そういえば、先日視聴した「レディ・プレイヤー1」は、そのあたりの設定が上手かった気がする。オタク(個人)=正義、利益優先で非人道的行為を平然と行う企業=悪、みたいな図式。オタク側には、白人、黒人、黄色人種を含めていたし、男性女性も含めていて…。各方面に結構配慮してある設定だったようにも思えるわけで。

日本国内のみを意識して作っている「SAO」。最初から世界市場を意識して作られた「レディ・プレイヤー1」。その2つを比較するだけでも、どこをターゲットにして作っているかで、正義と悪、敵の設定にも違いが出てくることが分かる ―― みたいな話にもなったりするのかなあ、みたいな。や、わからんけど。

考えてみたら、ハリウッドのアクション映画を眺めると、敵設定にはいくつかパターンがあるなと。

「レディ・プレイヤー1」だの「ロボコップ」だのに見られる、企業を敵にする、というのもそうだけど。アメコミヒーローモノでは、敵怪人はえてして米軍の実験で誕生するものだし。アクション映画においては、敵のほとんどはテロリストだったりするし。

その手の映画においては、「企業」「米軍」「テロリスト」、そのあたりを敵にしておけば無難、ということなのかな…。

ん? このあたり、以前も同じ話をメモしてなかったっけ…。どうだったかな…。

昔は単純だった。 :

1981年頃にアニメージュに掲載された、「カリ城」絡みの宮崎駿監督へのインタビュー記事の中で、「最近は悪役が作りづらくなってる」みたいな話が出ていて…。

例えば昔は、西部劇に出てくる敵なんてインディアンにしとけばそれで済んでた。それが何時の頃からか、「インディアンを悪者扱いはマズいだろ…」という空気になって西部劇自体が作られなくなってしまった。でも、その手の映画は作りたい。どうするか。宇宙を舞台にすれば西部劇のソレを作れるんじゃね。宇宙人を悪役にしよう。敵が黒いマスクだの白いマスクだのを被ったまま、それをずっと外さなければ、「コイツラは徹底的にやっつけてもいい存在なんだ」と思ってもらえるだろう。みたいな。まあ、他にも、ボロを被ってゴミを集めてるのは日本人の比喩だし、猿の惑星でウロウロしてる猿達は黄色人種の比喩かもしれない、等々、宮崎監督はそんな見方も紹介していたけど…。

何にせよ、つまりは40年前から、映画を作ってる人達の間で、「いやー最近は敵の設定が作りづらいなあ。こういう空気ってめんどくせーなー」みたいなことが言われてたわけで…。

ということで、約半世紀ほど悩んだあげく、ハリウッドは、企業、米軍、テロリストなら悪者扱いしてもええやろ、という解を見つけたのかもしれんなあ、みたいな。

日本で、異世界転生なろう系が流行するのもソレなのだろうか。異世界を舞台にすれば、そこで描かれる悪は、純粋に悪として設定できる…。諸々の事情で悪になってしまったのだ、とか面倒臭い設定を考えなくていい。生まれた時から悪なのだからコイツは悪なのだ。悪なのだからボコボコにしていいのだ。悩む必要は無いわけで。ある意味、楽だよなと。

現実に存在しない種族に対する配慮。 :

宇宙人だの異星人だのは現実には存在していないので、悪だの敵だのとして扱っても問題無いはずだけど。しかし、漫画やアニメの場合、それら異星人に対しても、「単純に悪者扱いするのもどうなのか」と考察する場面が増えてきたあたりは興味深い気もするなと。

「ヤマト」「イデオン」「バルディオス」「ゴッドマーズ」等を思い返すと、「コイツラは純粋に悪だから徹底的にやっちまえ」みたいな状態ではないよなと…。「アイツラにもなんか事情があるんじゃね?」てなことになってるというか…。

それはおそらく、現実に存在する種族だの集団だの組織だのを比喩する設定、なのかもしれないなと。そのものズバリを名指しで描写してしまうと問題があるけれど、宇宙人だの異星人だのに置き換えて描写すれば角が立たないだろう、みたいな。

漫画やアニメに限った話でもないな…。「STAR WARS」のストームトルーパーも、EP4〜6の頃はマスクを外さなかったけど、EP7以降はフツーにマスクを外すし、人間的な感情を持ってることを描写したりもするし…。 *1

そのあたりを考えていくと、娯楽映像作品に出てくるモンスターの類って、今現在はバンバン倒しちゃってもOKな存在として描かれてるけど、そのうち配慮、とはちょっと違うかもしれないけど、バンバン倒すのもどうなの、みたいな描写が増えてくるのかもしれない。

いや、待てよ。そういう作品は既にあるわな。「ウルトラマンコスモス」とか。「ヒックとドラゴン」とか。「ひそねとまそたん」とか。もしかして「ポケモン」もソレなのだろうか。アレはちょっと違うか。でもないか。

そもそも「ナウシカ」もソレか…。蟲達は見た目からして本来は虐殺絶滅させるべきキャラだろうけど、宮崎監督はそういう対象として描かなかったわけで…。

となると…。

「漫画やアニメや映画において、今現在は敵として描かれがちな存在を挙げてみよう」
「そして、その存在と友人や仲間になれる話を考えてみよう」

てなお題は、意外とアリかもしれないなと…。いやまあ、「美女と野獣」だってソレだから、全然アリなのだろうけど。

思考メモです。オチはないです。

「SAO」についての補足。 :

一応、念のために補足。

「『SAO』は、日本人=正義、日本人以外=悪、みたいな図式で」などと書いてしまったけど。本来は、そう単純でもなくて…。VRゲーム内の、戦争風景の一部分を安易に切り取ってしまうと、なんとなくそう見えちゃうけど、そういうわけでもなく…。

以降ネタバレ。

アレは、 日本の自衛隊が倫理的にどうかと思える実験をしていて、その成果を 米軍が横取りしようとして傭兵部隊を現実に送り込み、しかし主人公側が 籠城に成功して、その状態を切り崩すために敵側が アメリカ国内のゲームプレイヤーを扇動して利用、という設定で…。悪に見える側は騙されてる状態というか…。つまり、ハリウッド映画でもよくある、米軍=悪、てな設定と実はそんなに変わらないという…。

しかも、ゲーム内ではNPCに見えている、虐殺されていくキャラ達は、 人間の赤ん坊から脳の構造をコピーして仮想空間で学習と成長をさせたソレだから、人間としてのハードウェアは持たないけれど、ソフトウェア的には人間そのものと言えないか、てな存在で…。結構SFしちゃってる設定なわけで。

通して見てる人なら、日本人=正義、日本人以外=悪、てな単純な設定じゃないと分かるはずなので、海外の人が見ても大丈夫かなー、などと心配する必要は無いのかもしれない。万が一クレームが入っても、「いやいや、最初から見てくださいよ」と言えば済む話、かもしれず。 *2

*1: もっとも、戦闘でバンバン倒されるシーンでは、やっぱりマスクをつけてるのだよな…。そもそもあのシリーズは、地球人の見た目とは異なる異星人が山ほど出てくるわけで。気兼ねなく(?)倒しちゃっても良い存在、として扱うための記号は何かと考えると…。やはりマスクが鍵なのだろうか…。キャラがマスクを被ることで、そこには一体どんな効果が付加されるのか? みたいな。
*2: もっとも、その手のクレーム入れる人達って、説明しても理解してくれない節があるから…。そのあたりを想像すると、事前に、クレームが入らないような設定を設けた「レディ・プレイヤー1」は、やはりそのへん上手いのだろうなと。世界向けの商品なら、そういう配慮も必要なのだ、商売上意識すべきポイントなのだ。みたいな話になるのだろうと。たぶん。

以上です。

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