2019/04/16(火) [n年前の日記]
#2 [zatta][neta] ぶら下がりたい
先日、大河ドラマ「いだてん」を見ていたら、体育館等に設置されてる謎の木製巨大梯子っぽいもの ―― なんでも
_肋木(ろくぼく)
と呼ばれているものが紹介されていて。
記憶が定かじゃないけれど、子供の頃にアレに登ろうとしたら先生に怒られたような記憶があって。見るからに「さあ君達、我に登ってみたまへよ」的デザインなのに登っちゃダメとなると、一体コレは何に使うんだと子供心に結構不思議だったわけだけど。そうか…大正時代に普及した、単なるぶら下がり健康器具だったのか…。知らなかったぜ…。
劇中では、当時の頓珍漢な施策の一つとしてアレな紹介をされていたけれど。ふと、コレは今の時代にこそ必要なのではないかと思えてきたりもして。
例えば、IT関係なら、同じ姿勢でPC画面を凝視して作業するし、漫画家さんやアニメーターも、同じ姿勢でずっと作業しなければならないけれど、そんなときに肋木があれば、ちょっとは体をリフレッシュできそうだなと。「ううーん。ちょっとぶら下がってきます」「おう。いってらっしゃい」みたいな。
昔のように、体を動かして仕事をすることが当たり前だった時代なら、必要性について鑑みられることはなかったかもしれないが、同じ姿勢で延々作業することが比較的当たり前になってしまった現代こそ、ああいった器具が必要なのではないか。一時期、ぶら下がり健康器具が流行して、そのうち下火になってしまったけれど、今こそ復権の時ではあるまいか。
実際自分も、ずっとキーボード+マウス操作をしていると、時々、「ううーん。体がシンドイ。なんだかどこかにぶら下がりたい」と思えてくる時があって。もっとも、部屋の中にぶら下がられる場所なんてないので、肉体から脳に渡された「ぶら下がりたい」欲求を無視するしかないのだけれど。
例えば、同じ姿勢でずっと寝ていたら、自然と寝返りを打つわけで。同様に、同じ姿勢で作業していたら、そのうち別の姿勢をとりたくなるのは当たり前。しかし、その別姿勢が取れないというのは、まるでベッドにベルトで縛り付けられて寝返り一つ打てない状態でさあ眠れと言われてるようなもので。これは不健康極まりない。肉体が発したメッセージは、それなりに尊重せねばなるまい。「ぶら下がりたい」と肉体から言われたら、要望は極力叶えるべきである。
そもそも、我々人類は猿から進化した生物。木の枝等にぶら下がってぶらぶらすることに最適化された肉体のデザインになっている。しかし現代社会では、ぶらぶらできる場所なんて皆無。人類は、猿からアップグレードした肉体を保有していることをもっと明確に意識するべきではないのか。時にはどこかにぶら下がって、猿だった時代の原始的なアクションを再現することで肉体と脳をリフレッシュしてしっかり英気を養い、また現代社会の荒波へと身を投じて戦い続けるのだ。…みたいなことを言い出す人がどこかに居てもいいのではあるまいか。
おそらく、ぶら下がることで、脳の働きも違ってくるだろう。猿だった時代に活用していた原始的な部位を活性化するわけだから、ニューロンの間を流れる電気信号も普段とは違う部位へと流れていくはず。もしかすると会議室で椅子に座ってウンウンと唸るより、会議室で皆でぶら下がって議論したほうが妙案が次々に発生するかもしれない。いやまあソレちょっとシュールな光景なので「どんな罰ゲームだよ」「一旦なんのプレイやねん」という気もしてくるけれど。
人間は、絶えず重力に逆らって自立するために筋肉を使っているが、その動きは基本的に伸びる方向、肉体を持ち上げる方向で動いてるのではないか。しかし、ぶら下がるというアクションは、重力に引っ張られる肉体を引っ張り上げる方向、縮む方向で動くように思えたり。絶えず伸びようとする筋肉を、たまには縮める方向で働かせても悪いことにはならない気もする。どちらの方向でもバランスよく動かしてやることが、肉体にとってより快適な状態を維持できることに繋がりはしないか。
などと書いてはみたけれど、実際どういう効果があるのだろう。今の科学技術なら、ぶら下がった際の、筋肉の動き方、骨の状態の変化、脳の活動部位の変化等、そこに現れる効果のほどを、それなりに分析できそうな気もするのだけれど。
もちろん、必ずしも良い方向に働くとは限らない。人類が二足歩行を可能にした際の肉体変化の影響は大きく、もはや人類はぶらぶらできるほどのスペックを保持しておらず、予想以上に負荷ばかりかかって体を痛めるからやめましょうね、といった事実が判明してしまう可能性だって否定できない。
いや、マジに、どこかでその手の研究してないのかなー。
記憶が定かじゃないけれど、子供の頃にアレに登ろうとしたら先生に怒られたような記憶があって。見るからに「さあ君達、我に登ってみたまへよ」的デザインなのに登っちゃダメとなると、一体コレは何に使うんだと子供心に結構不思議だったわけだけど。そうか…大正時代に普及した、単なるぶら下がり健康器具だったのか…。知らなかったぜ…。
劇中では、当時の頓珍漢な施策の一つとしてアレな紹介をされていたけれど。ふと、コレは今の時代にこそ必要なのではないかと思えてきたりもして。
例えば、IT関係なら、同じ姿勢でPC画面を凝視して作業するし、漫画家さんやアニメーターも、同じ姿勢でずっと作業しなければならないけれど、そんなときに肋木があれば、ちょっとは体をリフレッシュできそうだなと。「ううーん。ちょっとぶら下がってきます」「おう。いってらっしゃい」みたいな。
昔のように、体を動かして仕事をすることが当たり前だった時代なら、必要性について鑑みられることはなかったかもしれないが、同じ姿勢で延々作業することが比較的当たり前になってしまった現代こそ、ああいった器具が必要なのではないか。一時期、ぶら下がり健康器具が流行して、そのうち下火になってしまったけれど、今こそ復権の時ではあるまいか。
実際自分も、ずっとキーボード+マウス操作をしていると、時々、「ううーん。体がシンドイ。なんだかどこかにぶら下がりたい」と思えてくる時があって。もっとも、部屋の中にぶら下がられる場所なんてないので、肉体から脳に渡された「ぶら下がりたい」欲求を無視するしかないのだけれど。
例えば、同じ姿勢でずっと寝ていたら、自然と寝返りを打つわけで。同様に、同じ姿勢で作業していたら、そのうち別の姿勢をとりたくなるのは当たり前。しかし、その別姿勢が取れないというのは、まるでベッドにベルトで縛り付けられて寝返り一つ打てない状態でさあ眠れと言われてるようなもので。これは不健康極まりない。肉体が発したメッセージは、それなりに尊重せねばなるまい。「ぶら下がりたい」と肉体から言われたら、要望は極力叶えるべきである。
そもそも、我々人類は猿から進化した生物。木の枝等にぶら下がってぶらぶらすることに最適化された肉体のデザインになっている。しかし現代社会では、ぶらぶらできる場所なんて皆無。人類は、猿からアップグレードした肉体を保有していることをもっと明確に意識するべきではないのか。時にはどこかにぶら下がって、猿だった時代の原始的なアクションを再現することで肉体と脳をリフレッシュしてしっかり英気を養い、また現代社会の荒波へと身を投じて戦い続けるのだ。…みたいなことを言い出す人がどこかに居てもいいのではあるまいか。
おそらく、ぶら下がることで、脳の働きも違ってくるだろう。猿だった時代に活用していた原始的な部位を活性化するわけだから、ニューロンの間を流れる電気信号も普段とは違う部位へと流れていくはず。もしかすると会議室で椅子に座ってウンウンと唸るより、会議室で皆でぶら下がって議論したほうが妙案が次々に発生するかもしれない。いやまあソレちょっとシュールな光景なので「どんな罰ゲームだよ」「一旦なんのプレイやねん」という気もしてくるけれど。
人間は、絶えず重力に逆らって自立するために筋肉を使っているが、その動きは基本的に伸びる方向、肉体を持ち上げる方向で動いてるのではないか。しかし、ぶら下がるというアクションは、重力に引っ張られる肉体を引っ張り上げる方向、縮む方向で動くように思えたり。絶えず伸びようとする筋肉を、たまには縮める方向で働かせても悪いことにはならない気もする。どちらの方向でもバランスよく動かしてやることが、肉体にとってより快適な状態を維持できることに繋がりはしないか。
などと書いてはみたけれど、実際どういう効果があるのだろう。今の科学技術なら、ぶら下がった際の、筋肉の動き方、骨の状態の変化、脳の活動部位の変化等、そこに現れる効果のほどを、それなりに分析できそうな気もするのだけれど。
もちろん、必ずしも良い方向に働くとは限らない。人類が二足歩行を可能にした際の肉体変化の影響は大きく、もはや人類はぶらぶらできるほどのスペックを保持しておらず、予想以上に負荷ばかりかかって体を痛めるからやめましょうね、といった事実が判明してしまう可能性だって否定できない。
いや、マジに、どこかでその手の研究してないのかなー。
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以上です。