2010/03/23(火) [n年前の日記]
#3 [anime][zatta][neta] 転生ネタを最初にやったのは何の作品なのだろう
「何度も転生を繰り返して、恋人同士が出会う」的設定を最初にやったのは、どの作品なんだろう。…手塚治虫作品あたりにそういうのがあったりするのだろうか?
◎ 過去に遡って転生するという設定を最初にやったのは何の作品なのだろうか。 :
一般的な転生設定だと、キャラが死んだその後に転生するものだけど。時々、過去に遡って転生する設定の作品があるよなと。自分が最初に見たのは藤子F作品なのだけど。そういう設定の場合、同じ時間に、同じ魂を持ったキャラクターが2人存在するという状態になるわけで。最初に読んだときはちょっと頭がこんがらがった。ドラえもんの話の中に、のび太が過去もしくは未来ののび太に会いにいくという話があったりするけれど。状況はちょっと似てるような気もする。
ミンキーモモも転生ラストだったりするけれど。アレは時間軸を弄ってない転生設定だったことを思い出したり。なんとなくだけど、子供向け作品として作るときは、転生設定を織り込むとしても時間軸を弄らないほうがいいのかなと思えてきたり。…いや。時間軸の前後を積極的に入れ替えた話を作りながらも、見事にヒット作品になったドラえもんと言う作品が存在していたりもするので、結局は見せ方次第・説明の仕方でどうにでもなるのかもしれないか。
ミンキーモモも転生ラストだったりするけれど。アレは時間軸を弄ってない転生設定だったことを思い出したり。なんとなくだけど、子供向け作品として作るときは、転生設定を織り込むとしても時間軸を弄らないほうがいいのかなと思えてきたり。…いや。時間軸の前後を積極的に入れ替えた話を作りながらも、見事にヒット作品になったドラえもんと言う作品が存在していたりもするので、結局は見せ方次第・説明の仕方でどうにでもなるのかもしれないか。
◎ キリスト教において、転生の概念はあるのだろうか。 :
転生とか輪廻とかそのへんは、仏教の中に見られるアイデアなのかなという印象があるのだけど。だとすれば、キリスト教が普及しているのであろう欧米においては、転生設定を使った漫画作品・アニメ作品は生まれにくいのかなと想像したりもする。根拠ないけど。そもそもキリスト教に転生という概念・アイデアがあるのかないのかも知らないんだけど。
考えてみれば、手塚治虫作品から綿々と続く日本の漫画作品・アニメ作品は、そのあたりがとんでもないごった煮・ちゃんぽん状態になっている、ような気もする。天使や悪魔が出てくる世界設定でありながら、転生も可能だったりするなんて、一体どんな世界なのか。娯楽作品とはいえそのような設定を平気で創作してしまう日本人という民族は、一体どんな宗教観を持っているのか。信じられん。なんと原始的で頭の悪い民族か。と考えて軽蔑する人も世の中には居たりするのかもしれない。
「転生などありえない」ことになっている宗教に過剰に傾倒している人達からすれば。日本の漫画やアニメの各種設定は目を覆いたくなるほど酷いモノとして認識されているのであろうと想像できる。自分の信仰している宗教の教義や概念が、「邪教」のソレと味噌も糞もいっしょくたにされ、しかも同列に扱われて、更に、それを子供達が大喜びで見ている。これはもう実に許し難い光景であろう。
そのように想像してみると、漫画を「悪書」として扱い、校庭で燃やした時期があるという話も、なんだか納得できてしまう。子供達のためと言いながら、実際には、特定の宗教を強く信仰している一部の大人達のために、そのようなアクションを起こしていたのではなかろうか。そういう属性の人達の主張に、世間がまんまと騙されてしまったのではないか。
てな妄想をしていくと、「子供達のために」等の主張を耳にした際は、それを一番最初に言い出した人達の属性 ―― その人達が傾倒している宗教にも着目する必要があるのかもしれないと思えてくる。もしかすると彼等は、手塚治虫作品はもちろんのこと、「アトムの子供」達が生み出した漫画作品・アニメ作品はこの世に存在してはならないものとして捉えているのかもしれない。果たして妥協点はあるのだろうか。無さそうな気がする。彼等は、それら作品が存在することすら許せないはずだ。彼等にとっては、日本の漫画作品・アニメ作品は「邪教の書」であろうから。
そんな現状があるのだとしたら、なんだか困っちゃうなあ…。
考えてみれば、手塚治虫作品から綿々と続く日本の漫画作品・アニメ作品は、そのあたりがとんでもないごった煮・ちゃんぽん状態になっている、ような気もする。天使や悪魔が出てくる世界設定でありながら、転生も可能だったりするなんて、一体どんな世界なのか。娯楽作品とはいえそのような設定を平気で創作してしまう日本人という民族は、一体どんな宗教観を持っているのか。信じられん。なんと原始的で頭の悪い民族か。と考えて軽蔑する人も世の中には居たりするのかもしれない。
「転生などありえない」ことになっている宗教に過剰に傾倒している人達からすれば。日本の漫画やアニメの各種設定は目を覆いたくなるほど酷いモノとして認識されているのであろうと想像できる。自分の信仰している宗教の教義や概念が、「邪教」のソレと味噌も糞もいっしょくたにされ、しかも同列に扱われて、更に、それを子供達が大喜びで見ている。これはもう実に許し難い光景であろう。
そのように想像してみると、漫画を「悪書」として扱い、校庭で燃やした時期があるという話も、なんだか納得できてしまう。子供達のためと言いながら、実際には、特定の宗教を強く信仰している一部の大人達のために、そのようなアクションを起こしていたのではなかろうか。そういう属性の人達の主張に、世間がまんまと騙されてしまったのではないか。
てな妄想をしていくと、「子供達のために」等の主張を耳にした際は、それを一番最初に言い出した人達の属性 ―― その人達が傾倒している宗教にも着目する必要があるのかもしれないと思えてくる。もしかすると彼等は、手塚治虫作品はもちろんのこと、「アトムの子供」達が生み出した漫画作品・アニメ作品はこの世に存在してはならないものとして捉えているのかもしれない。果たして妥協点はあるのだろうか。無さそうな気がする。彼等は、それら作品が存在することすら許せないはずだ。彼等にとっては、日本の漫画作品・アニメ作品は「邪教の書」であろうから。
そんな現状があるのだとしたら、なんだか困っちゃうなあ…。
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以上です。