mieki256's diary



2021/09/04() [n年前の日記]

#3 [anime] 「風立ちぬ」の主人公の声の起用は失敗していた気がする

思考メモ。

階下に降りたら、お袋さんが宮崎アニメの「風立ちぬ」を見ていたのです。先週TV放送されたものを録画したまま見てなかったので今見ている、とのことで。

「見ていてどんな感じ?」と尋ねてみたら、お袋さんは開口一番、「主役の声がひどいんだけど…。何なのコレ」「ずっと一本調子で全然盛り上がらない」と…。

お袋さんは、アニメに対してさほど詳しくない人で。例えば、高畑勲監督の「かぐや姫」を見て、「随分絵が汚いアニメだね。鉛筆の線がそのまま残ってるじゃない」などと言っちゃうぐらいに詳しくなくて。当然、「風立ちぬ」の主人公の声を誰が当てているかなんて知るわけもなく。

ということで、お袋さんの感想を聞いた瞬間、「庵野監督を主役の声として起用したのは間違いだったのでは…。アニメに全然詳しくない人が真っ先に『ナニコレ』と思ってしまう起用は、それはもうダメだろ…」と自分は思ってしまったのでした。

何のためにリアルにするのか。本物を持ち込むのか。 :

たしかに、「風立ちぬ」の主人公のキャラ属性を考えると、庵野監督の起用は、ほぼ本物を起用した状態に近いだろうなと。モノづくりのことを優先しちゃって、それ以外はおろそかになりがちな、どこか求道者のような人種。めちゃくちゃリアル。もし、ひたすらリアルを追求することで価値が産まれるのであれば、庵野監督の起用は大正解だし、これ以上の理想的な起用は無い ―― と自分も思ってしまうのですが。

でも、アニメにおいて、本物を連れてくればそれでいいのか? とにかくリアルにしちゃえばそれで良いのでしょうか? という疑問も湧くわけで…。

一体何のためにリアルにするのか? それについては、人によって様々な理由があるのだろうけど…。これは想像だけど、観客にすんなりと作品世界に没入してもらうための一手段、としてのリアルの追及があるんじゃないかと。

ところが、本物を連れてきたことによって、観客が真っ先にそこで引っ掛かりを感じてしまって、作品世界にするりと没入する際の大きな障害になってしまったとしたら…。その場合、果たしてその起用は正しいと言えるのだろうか。

一体何のためにリアルを追求していたのか。目的を忘れてないか。リアルにすることは、おそらく一手段にしか過ぎなかったはず。だけど、リアルにすることがいつのまにやら目的になってないか。

それとも、元々、リアルにすることの意味なんて考えたことがなかったのだろうか…。実は、宮崎駿という映像作家は、高畑勲監督からとにかくリアルにリアルにと要求され続けて、リアルならそれでいいのだと思考停止してしまったのではないか…。

まあ、そんなわけないだろうとは思うのだけど。きっと1回ぐらいは、「パクさんってすぐに『リアルに』って言い出すけど、なんでリアルにしなきゃいけないの?」と素朴な疑問をぶつけたことがあるのでは。そして高畑監督のことだから、ぐうの音も出ない理由を返してきたのではないか。だから、リアルを追求する意味を毎回ちゃんと考えながらアニメを作ってきたはず…。

でも、だとすると、庵野監督を起用した理由が分からない。たしかにリアルだし本物相当だけど。本物を連れてくることより優先されること、実現しなきゃいけないことがあったような気がするわけで…。

アニメに詳しくないお婆ちゃんに、「声が酷いね」という感想を持ってもらいたくて、そのアニメを作ったわけじゃないだろうと…。

アニメは偽物。 :

本来、アニメというものは、人の手で描かれた絵の世界なのだから、実写と比べてしまったら、最初から終わりまで偽物の映像と捉えることもできるよなと…。なのに、その偽物に魅了されてしまう人達が出てくるのは何故だろう。

一つは、偽物なのに、本物より本物らしく感じる瞬間が多々出現するから、ではないかと想像するわけで。所謂デフォルメってヤツだけど…。本物の特徴を抽出して、より強調して見せることで、本物以上のそれらしさを感じてしまうことができる。それがアニメの持つ魅力の一つ、ではなかったかと。

それを考えると、「風立ちぬ」の主人公の声も、本来ならデフォルメが必要だったのかなー、と。本物よりも本物らしく演技してくれる役者さんをどうにかして探し出すのが正解だったのでは…。庵野監督のような本物を連れてきてハイ終わり、てのは日和った結果に思えるわけで。そこにはデフォルメが一切無いわけだから…。

まあ、「映像が偽物なんだからせめて声は本物を」という考え方もありそうだけど、「映像が偽物なんだから声も偽物で統一しないとチグハグになるでしょ。だけどその代わり、本物より本物らしい偽物を揃えてみせますぞ」という考え方もアリかも、という気もする。偽物には偽物の矜持があるんじゃい、ポンと本物持ってきて悦に入るとは偽物作りの名折れじゃ、みたいな。

もっとも…。宮崎駿監督はアニメーター出身の監督だから、自身のリソースを注ぐとしたらそれは自ずと作画面に集中してしまうだろうし、声優さんや役者さんを選ぶ時期になるともうヘロヘロになっていてなんでもいいや状態に、てな可能性も高そうだけど…。鈴木Pもおじさん達の相手をしまくって一緒にヘロヘロになってそうだし…。

本当は、監督を名乗るからには、声優・役者を、根気強く、辛抱強く、最後まで選び抜くためのパワーをずっと温存しておかないといかんのだろうな…。コンテや作画で全部消耗するんじゃなくて…。もしくは、自分の代わりにコイツに選ばせておけば間違いない、そっち方面は全部任せた、俺はこっちに集中する、と思えるスタッフを用意しておくとか…。

まあ、そんなアレコレをぼんやりとなんとなく考えてしまったのでメモ。思考メモです。

余談。 :

「風立ちぬ」を最後まで見たお袋さんに改めて感想を聞いてみたら、「話は大体分かった。飛行機を設計する人の話でしょ」「最後まで見てたら、声もまあ慣れた」とは言ってました。良かった。「声が気になって話が分からなかった」と言い出したらどうしようとヒヤヒヤしてました。そこまでアレではなかったようで。良かった良かった。ただ、「ずっと盛り上がらないままだったのが、ちょっと」とも…。

しかし直後に、「『風立ちぬ』を見る前に『ローマの休日』を見てたから、それと比べちゃうと全然盛り上がらなくて」と言い出して。

うわあ。それはダメだぁ。たぶん、宮崎駿監督も、「『ローマの休日』見てから『風立ちぬ』を見るのはやめろ!」と叫ぶんじゃないかな…。その流れはあかんわ…。「ローマの休日」には、そりゃ勝てませんわ…。どっとはらい。

以上です。

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