mieki256's diary



2019/03/27(水) [n年前の日記]

#2 [anime] 「ケムリクサ」最終回1話前を視聴

録画してたソレを視聴。

(※ ネタバレしないように _もんたメソッド を使って感想をメモ。黒塗り部分はクリックすると外せます。)

スゴイ回だった。特に、 EDへの入り方が良かった。あまりに良すぎたものだから、いい歳して、思わず目頭が熱く…。そこで語られている内容云々に感動したとかそういうわけではなく、見せ方の鮮やかさ、手口の上手さに感極まってしまったというか。こういう繋げ方をするための ED映像だったのだろうか、とすら。

視覚情報を極力絞った、 シルエットのみという見せ方が、実に上手いよなと。そこで起きてることを視聴者・読者にたしかに伝えつつも、その時のキャラの表情等、細かいことは、視聴者の想像に全てを委ねなくてはいけない。視聴者一人一人が無意識に、脳内で、自分にとって理想の光景を思い描くことに繋がる。いわば視聴者全員に対してカスタマイズできている映像になるわけで。更に、周囲に何も描かないことで、視聴者の意識が状況ではなくキャラに集中する効果もありそうだし。故に、上手い。

更に、ED映像の変化が…。これまで 過去を描いていたED映像が、この回だけ、 ほんの一瞬、 未来を描き始めたあたりにゾクッとしたり。そして、ED後の、あのカット。上手い。

自分、「けもフレ1」は未見だけど、この監督さんにごっそりファンがついたのもなんだか納得したというか。

「まどかマギカ」を思い出したりもして。 :

さておき。なんとなく、「まどかマギカ」との共通点を感じたり。例えば…。

各話でどの程度、謎を提示するか、更に、どのタイミングでどの設定を開示するか、そのあたりの絶妙な調整具合とか。

最終回1話前で、 主人公以外の第三者視点で丸々一話を使って怒涛のネタ晴らしをする構成とか。更に、本編からOP/ED へと繋げつつ、OP/EDの歌詞、もしくは映像が、本編内容と重なっていることを意識させる手管とか。

ED映像で、 シルエットのみを使って、本編の展開を暗喩させる見せ方とか。

意識してるのかしてないのかは分からないけど、既存作品から学べるところはちゃんと学んでいる、そんな印象が。

余談だけど。「まどかマギカ」がヒットした後、美少女キャラが酷い目に合うアニメがポツポツ出てたけど。あくまで表面的な模倣に終わって、シリーズ構成面での手口の模倣まで試みた作品は皆無だった印象があるわけで。つまり、アニメ業界人は、お手本があってもそこから学べない ―― 学ぶとしてもせいぜい見た目しか真似できない、てな傾向があるのかなと邪推したりもして。

でも、この監督さんは、ちゃんと先人の手口を技としてゲットした。そこが偉いよなと。けれど、「まどかマギカ」の脚本を担当した虚淵氏と同様、これまたアニメ業界の主流からちょっと外れた場所に居る作家さんだったりもするわけで。

富野監督が、アニメ業界とはちょっと違うところから人材を連れてくるのって、そのへんが関係してるのかなと思えてきたり。どっぷり業界に浸ってしまっている人では、もはや変革を起こせない、新しい血を入れないと、みたいなソレなのかなと。

以上です。

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